過労死大国ニッポンに必要なただ1つのこと


2016年、とある広告大手の話題が大きく取り上げられましたね。
リアルでも、ウェブでも。
若い女性の過酷な労働実態と、追い詰められていく過程が
垣間見えるLINEなどの履歴。

 

 

 

ぞっとしたサラリーマンは、私だけではないと思います。

 

 

 

この事件は、特に大きく取り上げられています。
そんなに特別なのかというと、ある意味ではそうですよね。
この会社は過去に一人、社員を過労死させています。
にもかかわらず、二人目です。

 

 

 

工事現場で何回も死亡事故を起こしている会社が関西にもありますが、
シリアルキラーならぬ、シリアルキリングカンパニーとか。
そんな言葉が、そのうちできそうです。

 

 

 

Karoshi

 

言葉つながりですが、「過労死」という言葉。
残念なことにすっかり耳なじみですが、日本生まれということ、
ご存知でしたか?

 

 

 

世界で初めて提起されたのは1982年。

「過労死 脳・心臓系疾患の業務上認定と予防」

3人の研究者と医師により出版された、専門書です。
英語では「Death from Overwork」

 

 

 

とも書くそうですが、「KAROSHI」で通じます。フランス語でも。
すごいぞ日本。
逆の意味で。

 

 

 

2016年、またしても日本から世界初の文書が出ましたね。
通称「過労死白書」。
名実ともに、日本は過労死大国なわけです。

 

 

 

過労死大国。

 

字面がものすごいです。
ちなみに、過労死の中には「過労自死」も含まれることが多いそう。
白書によると、先進国の中でも平均労働時間は日本人が非常に長く、
色々な問題が仕事によって引き起こされています。

 

 

 

・身体の疾患
・精神の疾患
・突然死、自死

 

 

 

ここ数年で減ってきてはいますが、まだまだ多いです。
今でも、毎年2万5千人以上の人たちが自死しています。
そのうち、原因が認定されているのは30%とも50%とも言われます。
理由が不明、という事件も多いのです。

 

 

 

「過労死白書」は、日本国内の実態と対策状況を著したものです。
世界にさきがけて発表できる、ということは、
そもそも、過労死が世界でもトップクラスに多い、ということ。
経験豊富な専門家だからこそ、世界初の専門書が書けるわけです。

 

 

 

なぜ、日本では過労死が多いのか?

 

よく言われる原因は
・非常な長時間労働
・職場の人間関係(ハラスメントなど)
です。

 

 

 

たとえば、

 

日々の無理がたたって精神的、身体的な疲労が蓄積する。
仕事の効率が落ちて長時間労働に拍車がかかり、
仕事が終わらず上司や同僚に叱られたり見放されたりする。

たまの休みはぐったりしているので家族や友人との関係も冷え、
疲れが取れず効率が更に落ちる。

 

 

 

とか

 

 

 

毎日毎日、上司に何時間も衆人環視で叱責を受ける。
気持ちが沈みっぱなしで家族や友人に八つ当たりをし、
ギスギスした職場で連携も何もあったもんじゃなく、
気が休まらない事で疲れがどんどんたまっていく。

仕事が遅れミスも増え、上司からの叱責が更に激しくなる。

 

 

 

というような負のスパイラルに陥ってしまうと、どこかで限界がきます。
身体に限界がくれば、不整脈や脳溢血などで亡くなったりもします。
精神に限界がきてうつ病などになれば、
判断能力がなくなり、自死してしまうことも。

 

 

 

どうしてそこまでして働くのか?

 

 

 

心を病んでしまうと自分の状態が判断できなくなり、
壊れるまで頑張り続けてしまったり、
逃げ出す、やめるということが選択肢からなくなったりしますが、
なぜ、そこまで突き詰めてしまうのでしょうか。

 

 

 

日本人は特に真面目だから?
常に控えめで気配りをする国民性だから?
残業するのが日本企業の文化だから?
「品質」「良質なサービス」の維持には長時間労働が必要だから?

 

 

 

どう思われますか?

 

 

 

 

人なのか、文化なのか

 

確かに日本人は真面目で几帳面、気配りできる国民と言われます。
ただし、それはあくまで他国の傾向との相対的な比較であって、
一人ひとりによって非常に大きな違いがありますよね。

 

 

 

残業は、もともと、契約した以上の労働を、会社の指示で行うもの。
日本以外の国でも当然、必要に応じて行われます。
労働時間管理や権利主張がしっかりしている欧米でも、
大企業の管理職では日本企業のそれと同じぐらいの残業があるそうです。

 

 

 

一方で、サービス残業はまた異なります。

 

 

世界の標準認識は、「労働とは、賃金や他条件を雇い主と契約し行う」もの。
賃金が出ない労働をする、という考えそのものが存在しない国が多いです。

 

 

契約書も何もなく子供を長時間使って使って捨てるブラックな世界なので、
サービス残業そのものは日本特有ではありません。
が、これを「仕方がない」、時に「やって当たり前」と受け入れる日本社会は
世界的に見ても異常であることは、疑いようもありません。

 

 

 

品質や良質なサービスの維持には長時間の労働が必要。
つまりは、それだけの手間をかけて提供するものに価値がある。

これは、その通りなのかもしれません。

 

 

実際、世界のどの国と比べても日本の製品、サービスの質は
高水準と言われるし、世界中の人がお金を払っているのですから。

 

 

 

遠い昔、貴族が支配していた室町時代から。
あるいは、武家が頂点に立った鎌倉時代から。
一握りの権力者から庇護を受ける代わりに、町民や農民は
衣食住の世話を主として労働力を提供してきました。

 

 

 

それが、長年にわたる、わたしたち日本の一般人の自然な働き方でした。
閉鎖された国土で、労働力と引き換えに、生きていくための保障を得るかたち。

お殿様に満足してもらい、たくさんのご褒美をもらえるよう、
米の品種改良や効率的な作付け、より頑丈な建築や土地整備の技術改良に励み、
お殿様の機嫌を良くするため観察力、洞察力を磨くことに専念できましたよね。

 

 

 

閉ざされた世界で磨いてきた、ある意味日本人にとって当然の技、感性が
近代に入って、海の向こうの世界に評価された。
世界の水準から見て、それだけ手間をかけたものは珍しいし、
お金を払っても惜しくない価値があるわけです。

 

 

 

当たり前だけど見過ごされやすいこと

ただし。
そこに、つくり手に対して、手間に見合うだけの対価が支払われていれば、です。

 

 

対価があればこそ、高い水準の製品やサービスが維持されていくし、
対価を元手に、更に高い水準を目指した活動ができる。
ほとんどのビジネスはこうやって回っています。

 

 

 

「何を当たり前の話を」と思われることでしょう。
そう、当たり前のことなんですよね。

 

 

 

お客さんが対価を払うのは、製品やサービスに対してですよね。
その製品やサービスを生み出すのは、会社や個人事業主など、組織です。
その組織は何で成り立っているか。

 

 

 

当たり前ですが、わたし達、人です。
人がいないと、何も、決して生まれません。

 

 

今後AIがどれだけ発達しようと、そこは変わらないと思います。

つまり、誰かが評価しお金を払う「モノ」「コト」は、
「人」によって生み出されています。
人が活動する、働く、ということが不可欠です。

 

 

生み出された「モノ」「コト」、そして「活動、労働」
それらが、相当の対価を支払われるべき価値のあるものです。

活動や労働は、人の時間と身体と頭を使う行為ですよね。

 

 

サービス残業は、人が活動する、働くという価値を下げることに他なりません。
いわば人を「安売り」することです。

 

 

 

過重労働やハラスメントなどで、人の活動の効率を下げる。
活動できなくする。
これも、当然、人の価値を低くすることです。
死なせてしまったら、価値も何もなく、ゼロになってしまいます。

 

 

 

組織が人で成り立っているのだから、
人の価値が下がれば、組織の価値も下がります。
すると、生み出される「モノ」「コト」の価値も下がります。
ゆくゆくは、誰からも見向きもされなくなる。

 

 

当たり前のことですよね。

当たり前なんですが、当たり前だからこそ、見過ごされている気がします。

 

 

組織にとっての3大資源は「ヒト」「モノ」「カネ」と言われます。
物、金はおおむね大事にされます。
特に金は、どんな時にも重要視されます。大きな金を生むために、金をかける。

しかし、人は?

 

 

 

教育や指導に金をかけるのは、将来のリターンを期待すればこそ。

 

 

それなら、なぜ、人の価値を下げる行為をするのか。放置するのか。

直接的にしろ遠回しにしろ、なぜサービス残業を命令するのか。

パワハラやモラハラが起こっているのを知っている、感じているのに、
なぜ放置するのか。

それらで苦しんでいる人を、なぜ見捨てるのか。切り捨てるのか。

 

 

 

山あり谷ありも、目指す先に輝きあればこそ

厳しい時も辛い時も人生の中にはあります。
それを乗り越えてこそ成長する、それは間違いなく正しいです。

 

 

乗り越えた先に、新たな世界や価値観があれば。

 

 

 

ただただ命令されて、自分を毎日安売りさせられたり。

いわれも意味もない嫌がらせにひたすら耐えたり。

助けを求めても「お前にも原因がある」と突っぱねられたり。

「会社を変わっても一緒だ」なんて呪いの言葉に絶望したり。

 

 

 

それらを耐えた先に、一体何を得られるんでしょうか。
そんな組織に、一体どんな価値があるんでしょうか。

 

 

 

きっと世界の中には、本当に人を大事にしている組織もあると思います。
でも、大事にしている、って、どういうことを指すんでしょうね。

 

 

 

周りから見て、待遇や制度が整っている事なのか。
決して解雇せず、働いている人の声に耳を傾ける事なのか。
納得できる評価と登用をもって、チャンスを与える事なのか。

 

 

 

それもひとつの見方です。

 

 

ですが、わたしは、「本人が実感できるか」だと思います。
大事にするかたち、というのは、人の数だけありますよね。
自分の周りの人たちの、逆に自分も周りの人から、価値を認め合う。
これしかないです。

 

 

 

「たくさんの人が集う組織では無理」とか聞こえてきそうですが、
ひとつの仕組みや制度で済まそうとするからじゃないでしょうか。

 

 

本当に、真実、十人十色です。
本当に必要なのは、制度でもなく、人の改革です。

価値を認め合える人たちが集まった組織なら、
そもそもこんな当たり前のことで悩む必要もないですよね。

 

 

 

自分の所属している組織がそうでないのなら。
そう変わっていける気がしないのなら。
自分で作ったり探したり、飛び出していくのも選択肢です。

 

 

 

あなたの価値、私の価値

ひとつの組織に勤め続けたとして、およそ45年。
20歳から65歳ぐらいでしょうか。
最近の日本人の平均寿命の半分いかないぐらいですが、
身体的、精神的に最も充実している時期です。

 

 

 

その間、安売りさせられ続けたり、嫌がらせに耐え続けたり。
最終的には捨てられたり、もしかしたら、殺されたり。

それで一生終わって良いほど、あなたは価値が低い存在でしょうか。

 

 

 

サービス残業を強制したり、ハラスメントを実際にやっていたり、
それを顧みるつもりもなかったり。
そんなクズな人でない限り、わたしはそうは思いません。決して。

わたし自身、ぜったい、嫌です。

 

 

今いる組織も、建前はともかくサービス残業歓迎な風潮がありますし、
一部ではハラスメントもあります。
それで去った同僚もいます。

それに憤る社員がいて声も上がっているのに、変わりません。

 

 

会社方針でサービス残業なし、と再度通達があっても、
部長や課長は、残業をつけるのは19時以降と命令します。
定時が17時30分なので、完全にサービスですね。
そして、労務管理をする人事もそれを黙認しています。

 

 

 

ハラスメントには懲罰的な人事があり、それでおしまいです。
何人も、主に新入社員をつぶしているのに、
その人は今も部長の立場でいます。

 

 

今は管理職だけの部にいますが、数年経てば新人が来るでしょう。
もしかしたら、そのうち、部長以上の職位に戻るかもしれません。

 

 

 

嫌で嫌で仕方がありません。
もう、社長も含め、個人がどうこうして変わるものじゃないです。

 

 

組織は人で成り立つもの。
人が変わらなければ、組織も変わらない。
でも、変わるべき立場の人が、最も変わらない。
それを待っていられるほど、自分の人生は長くも安くもない。

 

 

 

なので、わたしは、飛び出そうと思います。
その準備をしています。
価値を認め合える人たちと繋がりを持ちながら、
価値を高め合っていける、そんな生き方を目指して。

 

 

 

組織の「檻」の隙間から、外の世界をうらやむ。
それをやめて、檻の外へ。


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筆者:鳴海 研

化学メーカーにつとめる30代理系サラリーマン。
一人っ子として育てられたと思ったら実は違ったり、
借金で育てられたり家族が蒸発したり会社の先輩が失踪したり、
色々経験する中で辿り着いた、本当に生きたい人生とは。
あなたはどんな未来を実現したい?そんなことを書いています。

⇒鳴海研ってどんなやつ?

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