プロフィール


①あげるより、あげたい派

妻  「今度誕生日やね。何が欲しい?」
わたし「え?あありがとう。そやなあ……………」
妻  「…………………」
わたし「…………………」
妻  「………欲しいもの、ないん?」

 

 

わたし「なくはないけど………ベルトとかネクタイとか?」
妻  「何年か前にあげてるやん」
わたし「うん、まだまだ現役やね。時計もあるしなあ………」
妻  「ちょっといいハンカチとか、アクセサリーは?」
わたし「消耗品はなあ。アクセサリーは手元にあるので十分やし」

 

 

妻  「服とか靴とか本とか?」
わたし「服と靴も十分あるし、本は売るかも知れんし………」
妻  「そんなこと言ってたら決まらんやーん(叩く)」
わたし「ちょ、誰のプレゼントやねんな(笑)」

 

 

わたし「あ、あれがいい。うん、そうしよう」
妻  「なになに?」
わたし「ちょっといいご飯を頑張って作って。俺のために」
妻  「え?そんなんでいいの?」
わたし「ケーキも作って」
妻  「えー?」
わたし「そこはうんって言おうよ」
妻  「えー…わかった。頑張る。から、ケーキは手伝って(笑)」
わたし「えー…しゃあなしやで」

 

 

わたしは、あまり物欲がない人間のようです。
子供の頃はおもちゃやゲームをそれなりに欲しがりましたが、
大人になってからは特に、誕生日やクリスマスに何が欲しいかと
聞かれると、困ってしまうことが増えました。

 

 

 

ないと困るもの、例えば最低限の衣類は買います。
でも、それ以上となると、どうも不要に思ってしまいます。
いずれ捨ててしまう雑貨などは特に。
よっぽど気に入ったものだけ買って、しつこく持っています。

 

 

 

モノよりも、体験とか経験にお金をかけたいと思っています。
気の置けない人と食事を楽しむとか、映画や美術館に行くとか。
プレゼントをしたり一緒に料理をするというのも、
相手との楽しい時間を共有する経験にお金をかけているわけです。
もちろん、旅行やスキーに行ったり、BBQをするのも。

 

 

 

記憶だってだんだんと薄まっていくものですが、
体験や経験は新鮮な驚きをもって自分を豊かにしてくれますし、
知らない世界や価値観も教えてくれます。
共有した相手との絆も強くしてくれます。

 

これは、モノにはできないことです。

 

 

 

②2回目で居酒屋の大将に覚えられる

わたしが子供の頃、両親の交友が広く、
お酒が出る大人の食事の場にもわたしを伴って行っていたこと、
たくさんの大人が出入りする場所へ日常的に行っていました。

 

 

 

オシャレなパーティなんかではなく、
山歩き、山菜取り、海や山中でのキャンプですが。
読んで字のごとく、山が多かったです。

 

 

 

よく、両親の友人や学校の先生たちに、
「受け答えがしっかりしているね」と言われました。
何かを聞いても、ちゃんと(それなりの)答えが返ってくるし、
わからないならわからない、と言ってくると。

 

 

 

特に子供の頃、わたしは喋るのが遅い方でしたので、
今なら、そのフォローの意味もあったようにも思いますが。
当時の会話の記憶なんてあるわけもなく、他の子はどう、
なんてのも気にもしていなかったので、真偽は謎です。

 

 

 

ただ、確かに大人と話をする時間は長い方だったのではないかと
それだけは思います。
しっかりしているかはともかく、知らない人と
何か話をすることに抵抗はなくなった気がします。

 

 

 

そのおかげか、人見知りとは無縁になりました。

 

 

 

居酒屋やバーのカウンターに座ると、店員さんと話すことも多いです。
特に大将や女将(マスターやママ)は話好きだったりするので、
料理やお酒の話から仕事の話まですることも。
同じお店に二回も行けば、かなりの確率で覚えてもらえます。お得。

 

 

 

誘われれば、妻の職場のイベントに参加したりもします。
バーベキューとか忘年会とか、お酒の場が多いですが。
妻の勤め先の元店長(今はエリア統括)のおじさんとは、
仕事のやり方や業界の話、人事のあり方なんて真面目な話もします。

 

 

 

ここ数年で、自分の仕事の上での人間関係よりも、
その外での関係の方がずっと面白いし刺激的だと思うようになりました。
いろんな価値観や考え方に接することが出来るし、
日々の生活と直結しないからこそ、気負わずできる話もあります。

 

 

 

これからも広げていきたいと思っています。

 

 

 

③八方美人なのに、ガンコ…?

 

よくあるシチュエーションではないでしょうか。

 

 

来週の社内の飲み会、店選びでもめている。
課長は、若手の参加者が多いので焼肉でどうだ、と言い、
部長は、ゆっくり話ができる日本料理屋がいいだろう、と言う。
で、平行線の挙句、周りに意見を求めてくる、とか。

 

 

 

わたしはどちらも好きですし、持ち出しが同程度であれば
「どちらもいいですね」と無難に返します。
もし、苦手な選択肢が来たとしても、ゲテモノでなければ
「いいですね」と返すことが多いです。

 

 

 

結果、焼肉になれば「課長チョイスさすがですね」
「次は部長おすすめの日本料理にしましょうか」
日本料理屋になれば「部長さすがいい店をご存知ですね」
「課長おすすめの焼肉も美味しいらしいですね」

 

 

 

どちらに転んでも、どちらも気分を害さない立ち回りをしようと
考えることが多いです。飲み会でも、仕事でも。
なので、ちょっと意味は違いますが、ガツンと主張するよりは、
わたしは八方美人に振舞う人間だと思っています。

 

 

 

一方で、時にわたしのことを「ガンコ」と評する人もいます。
ガンコというと、納得しない限り自分の意見を頑として曲げない、
というイメージがありますよね。

 

 

 

例えば、お酒の席で他部署の部長がふと言いました。
わたしとしても自己イメージと合いませんでしたし、
一緒に聞いた同僚も「そうかな?」と言っていました。
気になったので、後日、聞いてみたことがあります。

 

 

 

いわく、仕事の面で、
「その場では体よく振舞っても、納得していないことがある」
「君が行動に移すのは、ちゃんと納得したことだけ」
「そういう意味で、ガンコな人間だと思う」と。

 

 

 

確かに、もうちょっと若い時には、噛み付くこともありました。
「ここまではわかるが、ここからはわからん」
「わからんことはやりようがないから、やりません」
といった感じで。自分ではそれをガンコとは思っていませんでした。

 

 

 

わたしをガンコと評した人の中には、
噛み付いていた当時のわたしを知らない人もいます。
それでも、いまだにどこからか滲み出るものがあるのか。
本当のところはわかりません。

 

 

 

周囲の評価を気にしすぎて、いいことは何もありません。
が、意外に思うことは理由を聞いてみると、
自分では思いもかけない「見られ方」を
発見できるかもしれませんね。

 

 

 

④自分の宝を愛でると、相手の宝も愛でられる

 

例えば。

 

 

 

誰にも話しかけられず、読書に没頭できる半日。
ワイングラスを片手に、リラックスして家で映画を観る2時間。
気の向くままにブラブラと散歩をする数時間。
ゲームやプラモデル作りに集中しっぱなしの3時間。

 

 

 

毎日なくてもいいんです。
でも、一週間や二週間に一度ぐらいは、こんな時間がほしい。
一人だけの、自分のためだけの時間がほしい。
そう思いませんか?

 

 

 

自分の部屋でもいいし、一人で出かけるでもいいし、
家族みんな出払っている時に留守番するでもいいです。
自分のためだけに時間を使うことで、自分のメンテナンスができる。
なぜ、とか、どこを、なんてわかりませんが、そう思います。

 

 

 

これって、実は思っていても、家族を持つと諦める人が多いようです。
でもやんわり主張してみると、なんとかなったりします。
もちろんストレートに言うのもOKでしょう。
相手の性質や自分との関係によるでしょうが。

 

 

 

自分にとって大事なものを大事にできればこそ、
誰かの大事なものも尊重できる。
恋人もそうですし、家族ならなおさら。
そんなふうに思います。

 

 

 

⑤お掃除ロボを思いながら、淡々と掃除をする

 

学生時代、化学の研究に携わっていました。
実験器具を洗う作業は、食器を洗うのと同じで避けて通れません。
一日の終わりにまとめて洗う人が多かったですが、
わたしは、実験のすき間を見つけてはせっせと洗うタイプでした。

 

 

 

実家を出てから。ほこりにアレルギーがあることもありますが、
一週間に一度は必ず、できれば3日に一回、掃除機をします。
一人暮らしの時はもちろん、結婚した今でも続いています。
たまに妻に「嫌味かそれは」とか言われながら。

 

 

 

実験器具の洗いも掃除機も、隅っこまで、できる限り綺麗にします。
しようと心がけています。
それは、どちらも面倒で大嫌いな作業なので、やり直したくないから。
やらなければいけないことなので、一回で確実に終わらせたいからです。

 

 

 

とはいえ、いつもいつもちゃんとするわけでもなく。
面倒くささが勝ってしまったときは、手抜きもします。
手抜きをして「次にちゃんとやればいいや」と
自分を誤魔化しています。

 

 

 

やらなければいけないことを嫌々やっていて、
それも気分によって手抜きもする。
わたしの自己評価は「大雑把」という感じです。

 

 

 

それでも周りからは、几帳面だと言われることが多いです。
何を勘違いしたか、細かい作業や家事が好きだと思っている人まで。
全くそんなことはありません。
可能であればやりたくないです。面倒です。嫌々です。

 

 

 

真剣にお掃除ロボの導入を検討中です。
今は余裕がないので、ボーナスを何回か積み立てる予定です。
広い面積はロボットが日々頑張ってくれて、週末に
隅の方をちょこっと掃除するだけ。なんて楽。技術革新最高。

 

 

 

今の生活で、どうしてもやらなければいけないこと。
でも、その作業や行動は、実はやりたくない。
そんな場合は、もう淡々と粛々とこなすしかないじゃないですか。
嫌だ嫌だと言ったところで、やらないといけないんだし。

 

 

 

やらなくてよくするためには、と日々考えながら、
ただ淡々とこなしている姿が、きっと周りから見ると
「嫌がる作業を嫌な顔せずやって、きっちりしているね」
という感想になるのかもしれません。

 

 

 

⑥目玉焼きにはケチャップ派

 

あなたは目玉焼きに何をかけますか?
醤油?ソース?それとも塩コショウだけ?
わたしはケチャップ派です。
主流ではないようですが、おいしいですよ。お試しあれ。

 

 

 

という会話を、同僚としたことがあります。
ちなみに彼は醤油派でした。ご飯のお供なのだから醤油一択だと。
まあ、食べ物の話なので、そこで終わればいいんですけどね。
そうはなりませんでした。

 

 

 

彼は「目玉焼きには醤油」ということに強い信念を持っていて、
ケチャップ派のわたしを論破しようと持論を展開し始めました。
ケチャップなど邪道だ、もはやケチャップの味しかしない、
卵焼きにはケチャップかけないだろう、合わないのだよ、と。

 

 

 

論破といっても、わたしに論じる気が全くないので、
ただ一方的に話すだけでしたが。生返事をしながら聞いていました。
結果、目玉焼きには醤油をかけるよう改めたまえとなり、
「いやだ」と返事をしておしまいになった気がします。

 

 

 

人間には「承認欲求」というものがあります。
誰しも、誰かに認めてもらいたい。
その通りだね、とか、すごいねよくやったね、とか。
それはよくわかります。わたしも当たり前に持っています。

 

 

 

目玉焼きに何をかけようが、仮に砂糖をかけようが、
好きにすればよろしい。単にそれぞれの好みです。
ですが、わたしたちは自分と違う意見に出会った時、
相手に自分の意見が正しいと認めさせたくなることがあります。

 

 

 

何も食べ物の話だけではなくて、仕事の進め方やり方とか、
AとBとどちらがいいかとか、こだわりを持っていることとか。
お互いに「これがいい」という主張がぶつかると、
自分の意見の方がいいんだ、そうだろう?という話になります。

 

 

 

仕事やルールに関することなら、すり合わせは必要です。
お互い納得して、決まりを守らないと進まないですよね。
でも、一事が万事、すり合わせなくていいと思うんです。
あなたはあなた、わたしはわたし、という部分の方が多くていい。

 

 

 

それが、違いを認め合うということですよね。
たまにいるじゃないですか。
「あなたにわたしのことを良く知って、理解してもらいたい」
そう主張してくる人。

 

 

 

お互いに理解し合えない部分は必ずあります。
だって違う人間なんですもん。
自分で自分のことも100%理解できないのに、
どうやって人のことを理解しきれるでしょうか。

 

 

 

「この人は、自分とは違う考えを持っているんだ」
そこをお互い大事にできるからこそ、
困った時や相談したいことがある時、
お互いの意見が重要になるんだと思います。

 

 

 

⑦人生とは小説よりも奇なり

 

わたしは、自分の人生が特殊であるとは思っていません。
広い世界はもちろん、狭い日本にだって、どこにでもある境遇です。
ただ、ちょっと変わっているようです。

 

 

 

身の上話を誰かにする機会なんて少ないですが、
必ず「大変やね」と言われます。「よくグレずに育ったな」とも。
そんな大層な、と思いますが、確かに色々積み重なって、
それらが絡まり合って、今の自分を形作っています。

 

 

 

たった30数年ですが、わたしが経験したあれやこれや。
少しだけご紹介したいと思います。
暗い話です。ご注意を。

 

 

 

父が同僚と建築デザインを設立して某テーマパーク設計に関わったり。
月の収入が100万を超えたり。
数年後、父にサラ金からの借金が数百万あることがわかったり。
借金で育てられた衝撃は、高校1年生にとってもかなりのものでした。

 

 

 

それから数年、父は日雇いの仕事もしながら会社の立て直しに。
母も働きに出て、わたしもバイトして奨学金を借りて。
なんとか一歩ずつ、大きなマイナスからゼロに向かっていた頃。
両親がペーパー離婚することになりました。わたしが20歳の時です。

 

 

 

理由は、母が夢としていたマイホームを建てるため。
同居は続けていましたが、だんだんと父が変になっていきました。
仕事と偽ってパチンコに行き、酒量が増え、風呂にも入らず。
そんなある日、父が、置き引き被害に遭ったと言いました。

 

 

 

調達した現金を車内において食事したら、車の窓が割れていて、
200万円入ったバッグがなくなっていたと。
これで我が家は破綻しました。母は父を信用できず、喧嘩が絶えず、
父は酒におぼれるようになり。そして突然、蒸発しました。

 

 

 

また、前触れもなく、母から驚きの事実を伝えられた日もありました。
ずっとわたしは一人っ子として育てられていましたが、
実は父違いの姉がいると。たしか18歳の時ですね。
その姉が結婚し子供が産まれた、会いたいと打診があったと。

 

 

 

これも気持ちの整理に時間がかかりました。
背景には時代のせいと言えなくもないこともあり、受け入れましたが、
18年も伏せられていたことには気持ちがついていきませんでした。
結局、わたしも会いました。若い頃の母によく似ていました。

 

 

 

その後、姉、母、元夫の関係は再び繋がったかに思えましたが、
姉の心の奥底に「捨てられた」という思いがあり、
埋めがたい溝になっていたようです。近しい関係にはなりませんでした。
そして12年後、40手前で姉が亡くなりました。乳がんでした。

 

 

 

母は、通夜では母親の席に座ったものの、葬儀は欠席しました。
姉には育ての母というべき人がおり、配慮したようです。
ただ、それが原因で、元夫とは断絶状態のようです。
ちなみに父にも母親違いの子供がいるようです。蒸発後に聞きました。

 

 

 

姉が亡くなる一年ほど前、わたしの母方の祖父が亡くなりました。
90歳を超えての大往生でした。肺がんですが、寿命でしょう。
ただ、祖父母が若かった頃の確執が原因で、今わの際まで
祖母が祖父をけなすなじるの、ひどい状態でした。

 

 

 

大学院に進学し付き合った彼女と数年後同棲しました。
彼女がうつ病になりました。
幸運にも1年ほどで寛解しましたが、言葉で表せない1年でした。
ただ、乗り越えられたことで、彼女との結婚に踏み切れました。

 

 

 

親の離婚、再婚なんて特に珍しくもありません。
前の配偶者との間に子供がいることもあるでしょう。
わたしの友人にも数名いるぐらいですし、
この歳になると自分自身が経験していることも。

 

 

 

親が社会的に成功したほぼ直後、借金を作って蒸発する。
これはあまり聞かないケースかも。
自分で経験してネタにして本を書くと儲かるぐらいですし。
とはいえまあ、そんなこともある、と想像できる範疇ですよね。

 

 

 

多感な時期の出来事だったので、わたしの結婚観、人生観に
大きな影響を与えました。
反面教師という意味合いでも。

 

 

 

さすがに、姉が亡くなった時には堪えました。
親しくもなかったですが、こんなこと自分に起こるの?と。
家族が若くして亡くなる辛さの1割ぐらい、わかる気がしました。
姉の子供は長子で10歳。たまりませんでした。

 

 

 

祖父母の件は、わたしが結婚してからの出来事でしたので、
余計に考えるものがありました。
姉の死、妻と乗り越えたうつ病の経験も相まって、
わたしにとって、人生で譲れないものに気付くことができました。

 

 

 

駆け足で書くと、どうしても伝わらない部分がありますね。
もうちょい詳しくはこちらに載せています。
興味があれば。

 

●「良く生きる」ための1つだけの条件

●何のために生き、何を目指して働くのか

 

 

 

確かにきついこともたくさん起こりましたが、
その結果、今のわたしがあります。
むしろ、いろいろ起こったからこそ、たくさんの反面教師を得たからこそ、
今のわたしになったわけです。

 

 

 

自分の人生が「特別厳しい」と思った時、きっと何もできなくなります。
可哀想なわたしを誰か助けて、もう動けない、とか。
そんなのはまっぴらごめんですよね。
自分の人生はひとつだけ、一回だけなので、誰かと違うのは当たり前です。

 

 

 

小説で読んだことのあるような出来事が、
小説でも書いてないような重なり方をしている。
それが、わたしたちの、それぞれの人生なのだと思います。
それで違いが生まれない方が異常ですよね。

 

 

 

だから、面白いんです。

 

 

 

⑧わたしの人生は、わたしの幸せを実現するためのもの

 

会社に、人のいい先輩がいました。30代の若手です。
柔らかい物腰で、穏やかな物言いで、真面目で、
人の話を真剣に聞いてくれて、後輩に慕われていました。
うっかりものなのが玉に瑕、そんな先輩でした。

 

 

 

その先輩が、ある日突然、会社に来なくなりました。
無断欠勤なので上司が携帯に電話すると、電源が入っておらず。
数日後には携帯が解約されており、家も引き払い済み。
実家に連絡すると、親御さんも初耳だといいます。

 

 

 

聞くところによると、その前日の全社イベントでミスをしたようで、
上司にきつく叱責されたそうです。
来場者に大変失礼なミスで、叱責の場に居合わせた人が引く勢いで。
完全に音信不通のまま、数週間が過ぎました。

 

 

 

うっかりもの、というのはそのままの意味で、
その先輩は、普段の仕事にもミスが多かったようです。
そこに大きなヘマをやらかし、責任者の上司としては
腹に据えかねたのでしょう。

 

 

 

きつく叱られても仕方ないと、そう思います。
仕事上の指摘であれば。それ以上はただのハラスメントです。
ですが、音信不通の数週間で上司がしたことは、何もありません。
無断欠勤から退職したらどうなるか、規定を確認したぐらい。

 

 

 

先輩の同僚や後輩、労働組合はほうぼう手を尽くしました。
といっても連絡手段がないので、大してできませんでしたが。
先輩の職場の人に話を聞くうちに、上司からの叱責は日常的で、
吃音や手の震え、やたら汗をかく「症状」があったことがわかりました。

 

 

 

入社当時、全くそんな症状はなかったそうです。ぞっとしました。
少なくともわたしが入社した7年前には全て症状があったので、
てっきり、先輩の癖なんだと思っていました。
そんなに長期間、上司にも職場の人にも、放置されていたわけです。

 

 

 

最悪の事態が頭をよぎりました。
それは、わたしだけではありませんでした。
地元の新聞に死亡記事が出るたび、何人もの人と同じ話をしました。
今回は違ってよかった、まだ連絡はつかないのか、と。

 

 

 

そしてさらに数週間後、先輩から退職届が郵送されてきました。
退職願いではなく、退職届です。
本来なら人事部しか知らないことですが、すぐさま拡散しました。
当事者である上司が、これ見よがしに言いふらしたので。

 

 

 

それと同時に、親御さんのところに連絡があったようです。
本人希望で会社へ連絡先、住所は伝えられなかったそうですが、
ひとまずは生きていることがわかり、ほっとしました。
現代の日本社会の中にあって、生存確認できて安心したわけです。

 

 

 

異常だとは思いませんか。30代ですよ。
退職届を受けて上司は「いなくなって清々した」と言い放ちました。
過程はどうあれ自分が最後の引き金を引いて、清々したとか。
仮に思ったとしても、わたしたちの前で言うことでしょうか。

 

 

 

結局、先輩は自己都合での退職ということになりました。
上司は「懲戒でなくて感謝してほしい」とか言っていました。
自己都合にしないと会社にとって都合が悪いからだと思いますが。

 

 

 

その後、会社として原因究明もされませんでした。
上司の処分などあるはずもなく。
口頭注意ぐらいはあったかもですが。
その1年間で、若手が10名近く退職しました。

 

 

 

退職の理由は様々ですが、多くの人が先輩の事例に触れました。
自分もいつ同じ目に合うかもしれない。
会社は顧みないし変わらないことがよくわかった、と。
わたしもそう思います。そう思っている人が、多くいます。

 

 

 

これを受けても、会社は変わろうとしません。
社長に聞くと、重く受け止めているし対策も始めていると言うのですが、
対策も方針も一向に見えてきません。
退職者は一時より落ち着きましたが、10年単位で見ると多いレベルです。

 

 

 

会社の規模にしてはメンタルヘルスなどの制度は整っている方ですが、
いくら制度があっても、組織の中身が伴なわなければ意味がありません。
組織の中身を変えていくには、膨大な時間がかかります。
そして、わたしたちの時間は、限りある貴重なものです。

 

 

 

踏ん張って会社の中から変えていくというのは、たぶん、
おじさん好みの英雄的なかっこよさがあります。
が、自分の「生」は一回きり。満足に身体が動くのは40歳ぐらいまで。
その大事な一回だけの時間の使い方は、自分で決めたいですよね。

 

 

 

会社の英雄になるもよし、何も考えない代わりに会社に飼われるもよし、
サラリーマンとして仕事も家庭もほどほどにこなすもよし。
自分の一生を良く生きるために、違う世界に飛び込むもよし。
自分の歩んでいく道は、自分でしか選べません

 

 

 

わたしの人生は、わたしの幸せを実現するためのものです。
そのために必要なこと、ものを選んで生きていきます。
そこに、今の会社で働き続けることは、残念ですが入っていません。
なので、外に飛び出すための準備をしています。


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筆者:鳴海 研

化学メーカーにつとめる30代理系サラリーマン。
一人っ子として育てられたと思ったら実は違ったり、
借金で育てられたり家族が蒸発したり会社の先輩が失踪したり、
色々経験する中で辿り着いた、本当に生きたい人生とは。
あなたはどんな未来を実現したい?そんなことを書いています。

⇒鳴海研ってどんなやつ?

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