何のために生き、何を目指して働くのか


 

言葉には力があります。力を与えることも、奪うこともできます。
心を砕くことだって、できます。

 

 

 

心を砕く言葉。
別れようとか、嫌いになったとか、役に立たないとか。
経験や背景、年齢、状況によって様々でしょう。

 

 

 

わたしが最もくじけそうになったのは。

 

 

 

光のない瞳で、無表情に。
愛する人から「死にたい」と言われたこと。

 

 

 

ただし、粉々になったふたりの心を混ぜ合わせて、
もう一回作り直して。
それで得られた、たった一つの「生き方」への価値観があります。
二度と揺らがない、根本になる価値観があります。

 

 

 

そのお話をしたいと思います。

 

 

看護師の卵として

 

 

当時、付き合っていた彼女がいました。
付き合って4年が経った頃、同棲を始めました。
わたしは社会人3年目、彼女は大学卒業したて。
彼女の大学卒業をきっかけにして。

 

 

 

給与の額はたかが知れていて、それで二人の生活を賄うので、
決して貧しくはありませんが豊かでもありませんでした。
一緒にいて、休日には食事を一緒にして、一緒に寝て。
映画を見たり出かけたり、日常生活がただただ楽しい頃でした。

 

 

 

わたしは化学メーカーの研究職で、
研究テーマの推進責任者を任され一番身が入っていた頃です。
彼女は大学院への進学を志しましたが、
残念ながら叶いませんでした。

 

 

 

彼女の親へ学費負担をかけ続けることを嫌っていて、
あと2年と決めていたようです。
2年制の看護の専門学校へ行くことになりました。
彼女の母親が当時現役看護師で、その勧めもあって。

 

 

 

看護は彼女にとって初めての領域でしたが、
勉強は面白いと言っていましたし、
大学時代にはなかった様々な背景を持つクラスメートができたことも、
彼女にとってプラスだったようです。

 

 

 

高卒はもちろん、シングルマザー、介護職から転じた男性、
元自衛官、元OL、手に職をつけようとする母親などなど。

 

 

 

近隣の寺社やイベントを利用した学外研修等もあり、
彼女としても学校へ行き学ぶ生活は慣れたものですので、
座学の間は楽しく通っていました。

 

 

 

半年も経った頃から、実習が始まりました。
実習と言っても、実際の病院で、実際の患者さんを相手に、
現役看護師の指導のもと学ぶインターンのようなものです。

 

 

 

注射などの医療行為はできないので、たとえば寝返りの補助とか、
移動するためにベッドから車いすに移る手伝いとか、
そういった基礎的な部分の実習になります。

 

 

 

ですが、実際の患者さんを相手にするので、
接し方や気配り(接遇というそうです)は当然、必要です。
患者さんにも学生の実習である旨伝えるそうですが、
相手があることなので、時にはうまくいかないこともあります。

 

 

 

指導する看護師さんはもちろんプロですので、
慣れない学生の至らなさが目につきますよね。
しかも、多忙極める仕事の中での指導です。
看護師さんによっては、きつい言い方だって出てきます。

 

 

 

習ったはずでしょ、なんでこんなのもできないの、とか。
予習も復習も不十分、これで看護師になれると思ってるの、とか。

 

 

 

看護師さんも学生時代があったわけだし、そんな言わんでも、
とは思いながら、まあ、気持ちはわかる気がします。
わたしも研究業務の一部を大学生に任せたら、同じように言うかも。
危なっかしくて仕方ないです。

 

 

 

患者さんに気持ちよく過ごしてもらうため。
座学で学んだことを実際できるようになるため。
あと、指導の看護師さんが厳しかったら、叱られないためにも。
学生は、定められた実習の予習復習に励みます。

 

 

 

それが、わたしの目から見ても、かなりハードでした。
実習が始まると、当たり前ですが平日は毎日実習です。
予習も復習も毎日、実務と同様の形式で行われます。
看護師として働く人材を教育するという点で、いい指導です。

 

 

 

まずは明日の予習ですね。
座学をベースに、翌日実施する内容のケーススタディをします。
何を準備しておくべきか、どこに気を付けるべきか、
起こり得ることには何があるか、それにはどう対処するか、とか。

 

 

 

そのレポートを持って翌朝、ナースカンファレンスというんですかね、
始業時の申し送りと確認のミーティングをします。
そこでは細かい作業内容や注意点の確認はありません。
自分の予習内容は全て、実習を通して見られます。

 

 

 

実習中に間違いや勘違い、過不足は担当の看護師さんから指導され、
それを元に、復習として、予習レポートの加筆訂正を行います。
レポートは看護師さんが普段書いているものとほとんど同じで、
看護師さん自身のものと見比べ指導になります。

 

 

 

現役の看護師さんが見ている中、緊張しながら、
初対面の患者さんに初めての処置をする。
これは実際に看護師になれば日常茶飯事で、できて当然とはいえ、
世慣れていない学生にとってはなかなかハードですよね。

 

 

 

指導された内容がその場で全て理解できないこともよくある上、
その後に確認する時間が取れなかったりもらえないことも。
その場合、自分で調べて復習するしかないわけです。
翌日の予習にも時間がかかるけど、復習も全く手が抜けません。

 

 

 

しっかり復習していかないと、当然、翌日に厳しく指導されます。
指導に時間を取ってしまうと担当の看護師さんに迷惑ですし、
その日の実習にも遅れを出してしまいかねないので。

 

 

 

看護師になるってこんなにきついプロセスなのか。
彼女の生活を見ていて驚きました。

 

 

 

19時頃に帰宅し、夕食をとってすぐに復習に取りかかる。
あっさり終わって1時間、時間がかかれば3時間ぐらい。
それから予習を始めて、寝るのが夜中の2時ぐらい。
翌朝7時には家を出る毎日でした。

 

 

「負のループ」へ突入

 

 

 

 

とはいえ、きつい毎日を送っているのはクラスメイトも同じです。
友達とお互い支え合いながら、時には同じ班の人と電話しながら
課題に勤しんでいました。

 

 

 

それでも疲労は着々とたまっていきます。睡眠不足が起点です。
能率が落ち、復習予習に時間がかかって睡眠時間が更に短くなり、
実習でうまくいかずに復習内容が増えて余計に寝れない。
お手本のような負のループですね。

 

 

 

叱られることから学ぶとか、
今回は患者さんに痛い思いをさせないレベルまで仕上げようとか。
何回かに一回ぐらい、割り切って休めればよかったんですが、
彼女は完璧主義の傾向がありました。特に当時は。

 

 

 

納得いかないことやわからないことがあると、
そこを一旦置いて進むことができません。
引っかかりが解消するまで進まないので、非常に時間がかかります。

 

 

 

なので、復習を終える頃には日付が変わり、
疲れ切った頭で十分な予習など望むべくもなく、
ろくに眠れないまま実習し、失敗してその分復習に時間がとられ…。
ループ突入です。

 

 

 

週末は次週の実習の予習をできるだけ進めておこうとして、
気を抜くどころか気が張る一方。
手を抜いたら意味がない、と真剣に取り組む姿勢は本当に立派ですが、
頭と気持ちを休めるタイミングがないのは気がかりでした。

 

 

 

自分のやるべきことを頑張りたい強い気持ちはよく理解できたので、
「休むことも必要」「頑張り過ぎたら続かんで」と
口で言う以上のことはしませんでした。
むしろ、頑張ってるね、頑張れ、と後押しすらしていました。

 

 

 

 

 

 

今思えば、もっと極端なことをすればよかったと思います。
勉強道具を取り上げて無理やり休ませるとか、
無理に外に連れ出すぐらいするべきでした。
それ以前に、もっと彼女と話をする時間をとるべきでした。

 

 

 

リラックスできる相手と、短時間でも顔を突き合わせて話をすると、
それだけで張り詰めた気持ちが少し楽になりますよね。
違うことを考えるので頭の切り替えにもなります。
それに一番いいのは、仕事から手を放す食事時だと思います。

 

 

 

しかし、わたしも当時は仕事がいっぱいいっぱいで、
朝6時前に家を出て帰宅が23時過ぎという毎日でした。
必要に迫られて交代勤務を組み、20時出勤の翌8時退勤なんて日も。
平日に彼女と食事をとることはほとんどありませんでした。

 

 

 

それが原因でケンカをすることもありました。
「私と仕事、どっちが大事なの」
そんなドラマみたいなことはなかったですが、
「温かいご飯が食べたいんだ」と言われたことがあります。

 

 

 

言われた時は意味がわかりませんでした。
「電子レンジで温めたらいいやん?」と返したぐらいです。
それはそうだ、その通り、と思うかもしれませんが、
そういう意味ではないんです。

 

 

 

彼女が言いたかったのは、何を食べるかではなく、
一人で黙々ととる食事は寂しく冷たい、ということ。
話をし、話を聞き、リラックスできる時間が欲しいということです。
ちゃんとサインを出してくれていたんです。

 

 

 

ですが、その当時のわたしはあまりに無知で、想像力がなくて、
自分のことで精一杯でした。
根拠も何もなく、自分たちは大丈夫、と信じていました。
わたしも頑張っているんだから、彼女も頑張れる、と。

 

 

 

 

人間は永久機関にはなれない

 

 

 

彼女の変化は、比較的ゆっくり現れました。

 

 

 

彼女はもともと朝は弱い方だったのですが、
拍車をかけて起きにくくなりました。特に休日ですね。
日ごろ遅くまで勉強しているし、寝不足の反動だろう、
疲れているからだろうと軽く考えていました。

 

 

 

だんだんと食事量が減っていきました。
朝は食べない人でしたが、昼も夜も。おなかが空かないと言って。
その代わり、あまり好きでなかった甘いものが増えました。
脳が欲しているのかな、なんて言っていました。

 

 

 

イライラしていることが増えました。
テレビを見ていても「もうこんな時間」とイラつくとか。
同時に、怒りっぽくなりました。
疲れているんだろう、と捉えられるレベルですが。

 

 

 

彼女はいわゆる「本の虫」で、多い時は月に20冊近くも読む人でした。
それが、ほとんど読まなくなっていました。
時間がないことに加えて、興味が持てないと。
読んでも内容が頭に入って来ないとも。疲れかな、と言っていました。

 

 

 

何かおかしいな、と思いながら、深く考えることもせず、
全部疲れのせいにしていました。
この局面を乗り切れば元通りになると、疑いもせず信じていました。
わたしも、彼女も。

 

 

 

 

 

 

そのまま数カ月経ちました。頑張り続けました。

 

 

 

 

 

 

その頃には、彼女は、ほとんど眠れなくなっていました。
夜、目を閉じると、勉強のことや叱られたこと、
次の日の実習への不安が堂々巡りになると言っていました。
予習復習が不十分な気がして、眠気が来ない、と。

 

 

 

もちろん体や頭は疲れ切っています。
眠れないと、翌日はとてもしんどい。ですがその日も眠れない。
眠れないし、不安もあるから、夜中から勉強したりもします。
でも、疲れているから進まず、焦りと不安が募って更に眠れない。

 

 

 

食事もほとんど喉を通らなくなっていました。
朝にゼリーをひとつ食べて、その日はそれだけ、なんてことも。
わたしが早く帰った日、ちょっとでも負担を減らそうと夕食を作る
こともありましたが、二口三口でおなか一杯になってしまう。
せっかく作ってくれたのに、と沈んでしまうこともありました。

 

 

 

笑わなくなり、無表情でいることが増えました。
呼びかけても反応が薄く、遅く、生返事だけ返ってくることも。
わたしが夜に帰宅したとき、電気も点けず、
暗い部屋の中で一点を見つめてじっとしていることもありました。

 

 

 

一方で感情の起伏は激しく、本当にちょっとしたことで
激高するようになりました。

 

 

 

帰宅直後、玄関が散らばっていると怒鳴って鞄を投げ捨てるとか。
掃除したばかりなのに、部屋が汚いといって怒鳴るとか。
質問しても「うーん」しか返ってこないので、
2回目を聞くと「しつこい」と突然癇癪を起こすとか。

 

 

 

感情が制御できないことは自覚があるようでした。
癇癪が収まってから、思い出したようにぼそっと、
「自分の感情に疲れる」とつぶやき、泣いていました。

 

 

 

あれだけ好きだった本も、手に取ることすらなくなりました。
映画やテレビや買い物にも、食事にさえ全く興味を示さない
時間が続くことも。
ただ無表情に机に向かい、予習復習をしていました。

 

 

 

と思えば、急に酔っ払い並みの異常なハイテンションになって、
すぐに外出してゲームセンターでクレーンゲームに熱中するとか。
日付も変わってからウェブで動画を何時間も見漁るとか。
大きな声で、脈絡ない話を次から次にしたりとか。

 

そんな周期が日単位、時には数時間おきに繰り返しました。

 

 

 

勉強はしなくちゃいけないから、毎日やる。
でも、やってもやっても内容が頭に入らない、終わらない。
みんなやってるのにできない自分は、なんてダメな人間なんだろう。
彼氏(わたし)にも迷惑をかけている。いないほうがいいのでは。

 

 

 

そんな思考も目立つようになってきていました。
彼女自身もおかしい、と思っていたようです。
提案すると「そうだね、念のためにも」という感じで、
すんなりと、近くの精神科を受診することになりました。

 

 

 

診断結果は、いわゆる躁うつ病。
大枠では双極性障害とも言われます。
発症に男女差はなく、世界的には2~3%の人が罹っているようです。
躁の状態が比較的軽かったので、双極Ⅱ型だったと思います。

 

 

 

原因は、簡単に言えば、頑張りすぎです。
ストレスを逃がせずに、補給なしで全力疾走し続けて、
心のエネルギーが空になってしまった状態だと。
精神科医にはそう説明されました。

 

 

 

一方で、まずはゆっくり休んでエネルギーをためて、
それから普段の生活を思い出すようにリハビリすれば、
必ず治る。風邪と同じように。
うつ病や躁うつ病はそういうものだ、とも。

 

 

 

診断が下ったのち、すぐに彼女の親と学校に相談し、
まずは1年休学し様子を見ることになりました。

 

 

 

 

心を患う、ということ

 

 

 

休学中に撮った写真がいくつか残っています。
数少ない外出の機会に、何の気なしに撮ったものです。
彼女も撮られることを特に嫌がるでもありませんでした。
単に、興味がなかったのかもしれませんが。

 

 

 

笑顔の写真もあります。ありますが、明らかに変なんですよ。
どれも、表情は笑っているようですが、目が全く笑っていません。
雰囲気でしか言えないですが、一目で違和感を感じます。
目の中央、瞳のあたりが、不自然なぐらい真っ黒に見えます。

 

 

 

日本人のスタンダードな瞳は黒いわけですが、あまりに力がない。
というか、何もない、と言った方が伝わりやすいかもしれません。
目は口ほどにものをいう、とよく言われますが、
当時の彼女の目には、意思や感情が全く写されていません。

 

 

 

当時、わたしも毎日彼女と過ごす中で感じてはいましたが、
今これらの写真を見ても、はっきりとそう思います。
なにもありません。ただ顔が形を変えているだけ。
心を患うというのはこういうことか、と、痛感しました。

 

 

 

実は、躁うつ病の診断を出てから、症状はぐっと悪化しました。
気分の上下の幅と入れ替わる頻度は、ひどければ1時間単位。
「自分は躁うつ病の患者なんだ」と認識することで、
意識が躁やうつに向きやすくなるから、という説もあります。

 

 

 

気分が高まれば、深夜にウェブで付けたこともないカラコンを
発注したり、発注したことを覚えていなかったり。
突如ホームベーカリーを買って、深夜1時過ぎからパンを焼いたり。
料理をしていて、思い通りにいかないとシンクにぶちまけたり。

 

 

 

パン焼きはうるさいからやめてくれとお願いしたら癇癪を起し、
飲めないお酒を飲んで酔っ払ってベッドに入ってきたり。
夜中に大音量で動画を見たり音楽を流したり。

 

 

 

本、テレビ、映画は、興味がないし内容がわからないから、
と全てやめてしまいました。
不眠はいよいよ深まってきて、睡眠導入剤を処方されていました。
夜中に活動して、導入剤が効いてきたら昼まで寝ている日々。

 

 

 

抗うつ剤も処方されていましたが、最初は相性が悪かったようです。
数種類試しましたが、一つ目はすごく酩酊感があったようで、
効いてくると足元がおぼつかなくなり、気分も悪くなりました。
家の中で転びそうになるので変えてもらいました。

 

 

 

二つ目は、底なしの食欲を感じるものだったようで、
一日中何か食べていました。
ピザのLサイズをほとんど一人で平らげた後、
ポテチのLサイズ一袋を続けて平らげたりしていました。

 

 

 

もちろん食べ過ぎなので、後で気持ち悪くなって戻したり。
毎日毎食そんな感じなので、摂取カロリーも膨大になり、
瞬く間に太ってしまいました。それでも食べたがる。
そんな自分に自己嫌悪して、鏡を見るのも嫌になって、
結果、うつ状態の落ち込みが深くなったりもしました。

 

 

 

先に触れたように、躁うつ病には躁状態とうつ状態があります。
心のエネルギーがなくなっているので、蓄えるのが第一です。
うつ状態ではまさにそんな感じなのですが、
躁状態の時はエネルギーの塊みたいな感じです。

 

 

 

エネルギーがないのに躁の時に暴走すると、
身を削った分だけうつ状態の時には反動でより深く落ち込む。
これはどうやら当たっているようです。
燃料がない車を無理に走らせるとエンジンが傷つくように。

 

 

 

そんな状態を繰り返すのは、本人が一番辛いです。
自分で制御できないのなら、なおさらです。

 

 

 
自分はひとりで何もできない。
できて当然のことも、今までできていたこともできない。
周りに迷惑をかけるばかりの、どうしようもないダメ人間。
自分なんていない方が、周りも幸せになれるに違いない。
みんなそう思っているに違いない。

 

 

 

メンタルヘルス状態のチェック項目にもあるような記載ですが、
実際に、当時の彼女が言っていました。
歪んだ思考ですが、そうに違いない、と当人は確信を持っています。
「病気が言わせているんだよ」と諭しても聞く耳なく。

 

 

 

 

 

 

ある日、電気も点けない暗い部屋の中で。
全くの無表情で、真っ黒な瞳で、愛する人が懇願してきました。

 

 

 

「死にたい。死なせて」
生きているのが辛い、死んだ方があなたにとっても良い、と。

 

 

 

忘れられる日は、きっと来ません。

 

 

 

 

色のない1年間

 

 

 

彼女の精神科受診に何回か同行しました。
「彼氏」という立場なので、ちょっと居心地悪かったけど。
診察後、わたしだけ残るよう言われ、先生から助言を受けました。

 

 

 

いわく、今の彼女には、考えたり判断するエネルギーがない。
普段なら何でもない検討や決断が、負担になる。
それができない自分を感じることも、大きな負担になる。
だから、代わりに考えてあげなさい。ただし、極力会話はすること。
「こうするよ、いいよね」と確認してあげなさい、と。

 

 

 

たとえば、今日の夕食に何を食べるか。
普段なら「何が食べたい?」と聞きますが、わたしが決めて、
「今夜はうどんにしよう、いいよね」と確認してあげます。
入浴や歯磨きも「そろそろしよっか」と促してあげる感じですね。

 

 

 

また、励ます言葉には要注意。
「頑張れ」「すぐよくなる」「君ならできる」とかはNGワード。
頑張れない自分、すぐよくなるはずがなれない自分、
できるはずのことができない自分はなんてダメなのか、と責めてしまう。

 

 

 

うつ状態には、周りにはこじつけに見える思考ででも落ち込みます。
まずは、とにかく「休むこと」に集中させてあげるそうです。
過保護に思えますが、熱を出して寝込んだらあれこれと世話を焼く、
それと同じだと思うことにしました。

 

 

 

治療期間中は、とにかくよく寝かせました。
朝は自然に目が覚めるまで起こしませんでした。
夜は、導入剤が効いて眠たくなれば寝るように言いました。
昼間だって、眠たければ寝ていいよ、と伝えて。

 

 

 

食事は、一緒に食べられる時はわたしがメニューを決めました。
都合、惣菜やデリバリーが増えました。
わたしが仕事で出ている時は、朝、昼と食べるものを用意しました。
ただし、おなかが空いたら食べてもいいよ、ぐらいで。

 

 

 

躁状態の時は、ある意味暴走するに任せました。
外出したくなればわたしもついていき、お金を使う事も
希望通りにやらせてあげました。
金額もたかが知れていることでしたし。

 

 

 

物を壊すことはなかったので、とにかく彼女が楽しめるように。
ただし、時間は短めに。無理な場合もありましたが。
躁状態から落ち着いた夜、特に落ち込みがひどかったです。
死にたい、というのもこの時が多かったですね。

 

 

 

泣きじゃくる彼女を抱きしめて、
死んでしまったらどんなに寂しいか、
何もしなくていい、いてくれるだけでいい、と宥めました。

 

 

 

わたしたちの場合、本当に幸運だったのは、診断から1年ほどで
「寛解」まで回復できたことです。
うつ病も躁うつ病も、治療の進み具合は個人差が激しいので
一概には言えませんが、数年かかることも珍しくないです。

 

 

 

うつ病、躁うつ病には、「完治」はありません。
再発の可能性はどうしてもありますし、
「今回のうつ病はこの期間からこの期間まで」と区切れないからです。
心の風邪と言われますが、ここが違うところですね。

 

 

 

寛解というのは、仕事を含め、日常生活に支障ない状態になった、
という意味です。
発症前と同じ生活を送ることができます。
発症の原因をそのままにしていたら、再発しますが。

 

 

 

 

 

寛解までの約1年間。
この時期ほど、自分の無力を痛感したことはありません。

 

 

 

精神疾患について何の知識もないので、
精神科医の指示や助言を忠実に守るしかない状態です。
彼女を力づけてあげたいけど、わたしの発言は
いたずらに彼女を追い詰め、負担を感じさせるだけかもしれない。

 

 

 

泣いている彼女の背中をさすりながら、
ここにいるだけでいいから、大丈夫、とか言いながら、
心に浮かんだ言葉を吟味して、結局かけられる言葉が見つからず、
壊れた蓄音機みたいに同じことばかり言っている自分。

 

 

 

病気のせいでそういった気持ちになっていることは
わかっています。わかっているのですが、
生きたいとすら思わせてあげることすらできない自分に
何の価値があるのか、と思ったことは一度や二度ではありません。

 

 

 

全て彼女のためだけに、できることは全てやりました。
その結果が今なのです。
だから諦めずに、治ることを信じて頑張りましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

なんて、綺麗ごとで片づけられるものではありませんでした。

 

もう投げ出してしまいたい、いっそ別れてしまった方が楽かも。
それをしてしまうと、彼女は本当に死んでしまうかもしれない。
それは怖い。生きていてほしい。でも辛い。辛いからやめたい。
悩む夜もたくさんありました。

 

 

 

「どうしたらいいかわからない」
お酒の勢いで彼女に言ってしまった日もありました。
「わたしだってわからない!」と返され、二人で泣きました。
まあ、二人ともわからないですよね。今思えば当たり前です。

 

 

 

わたしがわたし自身を保つために、酒に逃げる日もあったし、
ごく少数の信頼できる人に吐き出すこともありました。
心の底の底は誰にも言えませんでしたが、
「頑張ってるね」と認めてもらい、背中を押してほしかったんですね。

 

 

 

とはいえ、仕事をこなしてから帰宅して彼女のフォローというのは、
正直、とてもきつかったです。
これがあと1年2年と続いていたら、わたしもうつになっていたかも。
実際そういったケースもあるようです。

 

 

 

片方の落ち込みにつられて二人とも落ち込むとか、なるでしょう。
片方が入院するか、二人とも実家に戻って治療に専念するか。
どう転んでも離散は避けられません。
家庭内が原因なのだから、救いがないですよね。

 

 

 

 

 

 
ある日の夜、仕事から帰って玄関を開けると、テレビの音がしました
長い間、わたしがスイッチを入れないとつくはずもなかったのに。
ニュースだったか映画だったか忘れましたが、
一人暮らしの時、彼女は「音がないと寂しいから」と、
見るでもないテレビをつけていたことを思い出しました。

 

 

 

とても驚きました。
同時に、目の前の光景に色が戻ったような気がしました。
その感覚は、今もはっきりと覚えています。

 

 

 

なぜ頑張るのか、何のために生きるのか、ということ

 

 

暗い話を長々としてしまって申し訳なく思います。
ですが、この経験は、今のわたしを形作る大きな基礎となりました。
大したことは全くできていませんが、わたしなりに
精神疾患やメンタルヘルスに興味を持ち勉強を続けています。

 

 

 

寛解から年月が経ち、彼女の了解も得て、
参加している活動の中で自分の経験を一部話すこともあります。
他の話題では寝落ちている人も、その部分だけは聞いています。
やはり実体験談というのは、身に迫るものを感じるようです。

 

 

 

人生にはたくさんの出来事が起こります。
わたしはそれほど長くは生きていませんが、
その中でもトップ5入り確実なきつい体験をしました。
そのおかげか、大抵のことは「なんとかなる」と思えるようになった。

 

 

 

そして、彼女をこれまで以上に、本当に大事に想うようになった。

 

 

 
闘病当時、相談した人には、別れることを強く勧められました。
まあ、例えば友達がそんな悩みを相談してきたら、
一回はわたしもそう助言すると思います。
その本人を、本人の人生を守るために。

 

 

 

わたしが投げ出さなかった大きな理由は、先に触れたように、
「わたしが逃げたらこの人は死ぬかもしれない」という
恐怖感だったと思います。

 

 

 

それでもいいや、とならなかったのは、
それだけ彼女が大事だったとも言えるでしょう。
が、それが全てだと、声を大にして言い切る自信はありません。

 

 

 

仮にもう一度、彼女以外の人と同じ状況に遭遇したら。
たぶん無理です。今度は早々に放り投げる確信があります。

 

 

 

もし、彼女が再発したとしたら。
これは現実的なリスクです。いつだって可能性はあります。
これはたぶん、また乗り越えられると思います。
根拠はありませんが、こう思えたことはわたしにとって、
大きなきっかけとなりました。

 

 

 

妻にとっても、生き方を見直すきっかけになったようです。
頑張りすぎるきらいがあること、ストレスをうまく抜くのが
苦手なことを自覚してくれました。
今は「疲れてきた」と自分から言って、仕事や家事から
手を抜くことがあります。時々。それなりに。

 

 

 

元々がストイックで学ぶことが好きな人なので、
仕事を3つ掛け持ちしていますし、年にひとつは資格に挑戦しています。
勉強が不十分で落ちることもありますが、
「サボったから仕方ないね」と二人で笑っています。

 

 

 

それでいい、と思います。

 

 

 

近年、過労死が日本で大きな問題になっています。
過労死には過労自殺も含まれることが多いですが、
過労自殺の最大のきっかけは、統計によると、精神疾患です。

 

 

 

精神疾患にもいろいろありますが、
うつ状態で自殺を選ぶことが多いようです。
大きく「自殺」で見ても、原因は経済的状況とか人間関係とか
様々ですが、やはりうつを患って踏み切ることが多いです。

 

 

 

うつになると、当然ですが、本人も周りも、とても辛いです。
文字にしてしまうとうまく伝わりませんが。
自分の感情の制御ができないし、考えることもできません。

 

 

 

妻が言っていました。
あの当時は頭の中にずっともやがかかっていたような気がする。
何をやって、何を思っていたのかほとんど覚えていない。
診断を受けて治療を始めてからは特に、覚えていないことが多い、と。
なぜか、夜中にパンを焼いていたのは覚えているらしいです。

 

 

 

周りも、どう接したらいいかわからないし、
なんて声をかけたらいいかもわからないです。

 

 

 

不用意な言葉をかけると、思ってもみない激しい反応が返ってきたり、
死にたいと泣いているのに、かける言葉が見当たりません。
うつ状態になっている相手の受け取り方がわからないので、
自分の感情を表に出すこともできません。特に負の感情は。

 

 

 

「何もできない」ただその実感だけが日々増殖していく感じです。
無力感と虚無感がずっと胸の中にあって、
それでも生活はしなければいけないです。
自分が言った何かをきっかけに、相手が自殺に踏み切る可能性もあります。

 

それは、純粋に、恐ろしいことです。
その恐ろしさといつも向き合っていなければいけません。

 

 

 
命が削られていく実感があります。

 

 

 

今思えば、もしかしたらその感じ方自体が、
うつへの入口だったのかも知れません。

 

 

 

うつや精神疾患は心が弱い人がなるとか、たるんでいるとか。
そんな前時代的で盲目的な、くだらない誤解をしている人が
いまだにいます。
全く違います。

 

 

 

それぞれのケースで原因が異なるので一概には言えませんが、
まじめで責任感が強い人が頑張り過ぎた結果、
自分のキャパを超えてしまってなることが多いです。
そしてキャパは、人それぞれです。

 

 

 

周りからはまだ余裕があるように見えていても、
本人にとってはもう限界、ということもよくあります。
肝心なのは、本人のキャパを超えないことで、
周りからどう見えるか、ではありません。

 

 

 

こんな思いをしてまでやるべきことって、何かあるでしょうか。

 

 

 

いい学校に行くとか。
いい会社に就職するとか。
周りから尊敬されることをするとか。

 

会社を大きくするとか。
利益を増やすとか。
お客さんに満足してもらうとか。

 

従業員の生活を守るとか。
銀行への返済をするとか。
株主に利益を還元するとか。

 

 

 

語弊を恐れずに言うと、何もないと思います。
どれも仕事や職務上は重要なことですが、
自分や愛する人の命を削ってまで得る価値は、全くないです。

 

 

 

さっさと放り出してしまうべきです。
そうならないように手を打つ必要はありますが。

 

 

 

唯一の例外は、命を守るため、だけでしょう。
つくづくわたしは、カウンセラーや精神科医にはなれないですね。

 

 

人生において、自分を磨くこと、働くことは必要です。
ただ、何のためにするのか。何を目指してするのか。
それを見失ってはいけないと思います。
理由は人それぞれでしょう。

 

 

 

自分のため、誰かのため、生きがいのため。

 

 

 

わたしの場合は、愛する人、家族と幸せに生きていくため、です。
わたしが考える幸せから遠ざかったり壊すようなものは、
変えたり排除しなければいけません。

 

 

仕事も生活も努力も、時には嫌なことを耐えるのも、
幸せに生きていくためになればこそ、です。
わたしは、これが自分の生き方なんだと、胸を張って言えます。

 

 

 

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筆者:鳴海 研

化学メーカーにつとめる30代理系サラリーマン。
一人っ子として育てられたと思ったら実は違ったり、
借金で育てられたり家族が蒸発したり会社の先輩が失踪したり、
色々経験する中で辿り着いた、本当に生きたい人生とは。
あなたはどんな未来を実現したい?そんなことを書いています。

⇒鳴海研ってどんなやつ?

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