人生で譲れない5つのこと


 

「今のあなた、何をしていますか」
「楽しんで生きていますか」
「この地をもう一度踏んでいますか」

 

 

 

未来のわたしに宛てた、わたしからのメッセージ。
受け取って感じたことは…

 

 

 

あこがれのイタリツアーへ

 

 

結婚が決まったら、まず何をしますか?
お互いの親への挨拶、友達への報告、式をするかどうか、予算組み。
両家顔合わせ、結婚式の会場選びと日程調整、料理の試食と決定、
レイアウトとか花とか演出をどうするか、衣装合わせもろもろ。

 

 

 

たっくさんありますが、大きなイベントがハネムーンですよね。
行くかどうか、国内か海外か、何日間行くか。
これも考えることがたくさんあります。

 

 

 

わたしの周りの人も様々です。
九州へ温泉旅行、沖縄でリゾート、北海道一周食い倒れ。
ハワイ、グアム、アジア周遊、オーストラリア、アメリカ、北欧など。
ヨーロッパも多いですね。

 

 

 

わたしと妻の場合、ハネムーンへ一番予算をまわしました。
フランスやドイツも周れる数カ国周遊プランもありましたが、
休みは一週間ほどしか取れないし移動時間ももったいない。
ということで、イタリア一つに絞りました。

 

 

 

なぜ、イタリアなのか。理由はいくつかあります。

 

まずわたしも妻もパスタ、ピザに目がない。トマト大好き。
肉や魚介を食べない妻でも楽しめる料理がいくつもあります。
シンプルなトマトパスタとかマルゲリータとかブルスケッタとか。
わたしが一番好きな白ワインには、イタリアンがよく合います。

 

日本など比べ物にならないほど歴史ある史跡、美術品、街並みが
生活の中に溶け込んでいます。いるはずです。
フィレンツェでは教科書レベルの彫像が手の届くところにあり、
世界的にも珍しい水の都ヴィネツィアはぜひ訪れたい場所です。

 

 

 

ということで、ヴィネツィア→フィレンツェ→ローマの
三都市周遊ツアーへ行ってきました。

 

 

 

初秋なのに汗ばむぐらいの暖かさで、空は抜けるように青かったです。
建物と空の青とのギャップがあり過ぎて、むしろ嘘っぽいぐらい。
ハネムーナー向けだったので、同行者の日本人はみんなラブラブ。
気分ウキウキ、食事は美味しい、街並みや史跡は予想以上の美しさ。

 

 

 

 

幸いに悪名高いスリに遭うこともありませんでした。
スペイン階段でジプシーの人に囲まれかけましたが。

 

 

コロッセオ前で「愛の告白と未来へのメッセージ」録画という
なかなか照れの入るイベントをこなし、

各都市を移動する3時間のバスは風景観光と体力回復に充て、

石畳の街並みが足に与えるダメージに驚きつつ歩き回り、

仕事よりもおしゃべり優先なイタリアの人たちの自由さに感じ入り、

史跡を訪れる予定を入れすぎてちょっとケンカしたり。

 

 

 

足の筋肉痛とともに、すっかりハマって帰ってきました。
再訪を固く誓って。

 

 

連れて行ってもらうのではなく、次は自分たちで

 

 

ハネムーンのあとの3年間で、仕事、生活上の変化がありました。

 

 

 

仕事の上では、わたしが研究から営業へ異動したこと。
勤務場所が遠くなったため、通勤時間が往復4時間近くなったこと。
海外顧客をいくつか担当し、年5回ほど海外出張もあること。
仕事で英語を使う機会が増え、会社補助で英会話学校に通い始めたこと。

 

 

 

生活の上では、結婚に伴い引っ越したこと。すぐ異動になりましたが。
妻の仕事がついに3つになったこと。リスクの分散達成です。
わたしの収入が月平均で5万ほど減ったこと。
営業は残業がつけれず、また会社業績の悪化で一時金が減りました。

 

 

 

衣食住に困り果てるわけではない、でも余裕はない、ほどほどの生活。
結婚生活と営業の仕事にも慣れてきた、結婚3年の節目。
妻と出会ってちょうど10年というキリのいいタイミングでもあり、
その年は大きな出費予定がない、ということもあり。

 

 

 

どちらからともなく、イタリアへ行こうか、という話が出ました。
例えば添乗員なしのHISの安いツアーなら費用が捻出できるかも。
貯金は少し残しながら、夏の一時金を全部充てれば、あるいは。
そんな感じでプラン作成に入りました。

 

 

 

ローマのあの店はもう一度行きたい。あの美術館に行きたい。
ヴァチカンは15分しか時間がなかったから、1日かけてまわりたい。
コロッセオは工事中だったから、中に入ってみたい。

ヴィネツィアは雰囲気が素晴らしかった。少し生臭いけど。

 

 

前回は夜について翌々朝早く発ったので、ゆっくりしたい。
ガラス工房や宮殿はもういいけど、街をそぞろ歩きしたい。
行けなかった島にも行ってみたい。ゴンドラは1回乗ったしいいか。

 

 

 

フィレンツェは街並みが本当に素晴らしかった。
ドゥオモ(花の大聖堂)にももう一回登りたい。

 

 

とわたしは主張しましたが、妻いわく「飽きる」だそうで。
次の機会に検討ということで、フィレンツェは外されました。

 

 

 

ナポリ、ミラノ、アマルフィ、トリノ、ヴェローナなど
候補地はまだまだありましたが、
今回は「心残りの解消」「二回目のハネムーン」という主題にし、
ローマ→ヴィネツィア希望で決定しました。

 

 

立ちはだかる、自分の中の壁

 

 

旅行というものは、行ってからももちろん楽しいですが、
計画を練っている時が一番楽しかったりします。
ここに行きたい、あれをやりたい、これを食べたい。
やりたいことをとにかく挙げて、選ぶ過程はワクワクするものです。

 

 

 

そして、一番の難関は、わたしは実行に移すこと、だと思います。

 

 

仕事を休める時期、休める準備ができるかを考える。
旅行会社へ行って相談する。あるいは、必要な手配を自分で調べる。
費用を予算と照らし合わせて、何を削るか増やすか決める。

特に海外旅行となれば、必要な休みは長くなるし、費用もかさみます。

 

 

わたしはもちろん、たぶん大部分の日本人は、
長期の休みを取ったり大きな買い物をすることに慣れていません。
「よし」と思って計画しても、いざ実行という時に怯みます。

 

 

 

ハネムーンであれば結婚という大きなイベント(と出費)の最中だし、
こんな時ぐらい、という気持ちもあるので、障壁は高くなかったです。

 

 

一方、今回は「2回目のハネムーン」とテーマ付けはしていても、
実態は普通の海外旅行。しかも貯金の大部分と一時金全額を使う。

我ながらビビるのも無理はないと思います。
というか、よくやったな(笑)

 

 

 

まずはHISへ行き、パンフをもとに担当の方と話しながらツアー選定。
添乗員なし、交通とホテルのみの手配で、二人で40万円ぐらい。
オプショナルツアーと食費と買い物もろもろでプラス20万円ぐらい?
ヨーロッパ旅行の費用としては安い方ですが、大きい金額です。

 

 

 

60万円あったら…めっちゃいいテレビとパソコン買える…。

 

 

 

そこはぐっと飲みこんで、とりあえずツアー予約を完了。
半年以上先の話なので、手付金の振り込みも数カ月先。
キャンセル料の発生はさらに先なので、
詳細をじっくり考える時間があります。
オプショナルツアーは別途申込なので、それも含めて。

 

 

 

一息ついて帰宅して。
ここでふと思いました。

 

 

 

あれ、添乗員なしってことは、飛行機乗り継ぎとか
ホテルで何かあった時の交渉とか、自分たちでやるんよね?

前回フランクフルトで乗り継ぎの時、時間なくて走ったよね?
今回はドバイ経由やけど、初めての空港で大丈夫?

 

 

 

前回は5ツ星ホテルにグレードアップして部屋に問題はなかったけど、
今回はそこまでお金かけられへんから3ツ星レベル。
浴槽がなかったりお湯が出なかったり電気が切れたり、
いろいろトラブルあったりするって聞いたけど、大丈夫?

 

 

 

ローマの空港からホテルまで送迎付きやけど、
イタリア人のドライバーが来てくれるらしい。
日本語はもちろん不可、英語が通じるかもケースバイケースって…
合流できんかったらやばいんちゃう?大丈夫?

 

 

 

妻は英語の聞き取りはそこそこできるけど、話はほとんどできない。
尋ねたり交渉したりは全部わたしがやるけど、大丈夫?

 

 

 

わたしも海外出張経験が増え、英会話学校に通っているとはいえ、
行ったのはせいぜいが韓国とインド。
しかも日本語通訳ができる人同行。わからなければ聞く人がいる。
今回の旅行の守備範囲はレベルが違いそうです。

 

 

 

おお、不安になってきた…。

 

 

情報の海に勝るものは、たった一人の先達

 

不安があるなら解消するしかない。
ということで。
ウェブや本、わたしや妻の人脈をフル活用で調査をしました。

 

 

 

今の時代、ウェブ上にたいがいの情報はあります。
公式なものであったり、誰かが経験したことを書いていたり。
ドバイ空港内の状態や乗り継ぎ所要時間ももちろんあります。
一通り見て思ったのは。

 

 

 

でっか!!!!!!!!!!!!!

 

 

 

韓国の仁川空港もなかなか大きいと思っていましたが、
比べ物にならないですね。
複数階建ての関空並みのターミナルが三つもあるわー…。

 

 

 

ドバイ発着時の詳細は二カ月ぐらい前までわからないらしいけど、
夜中になることは確実。
流石に夜中は空港職員も少ないらしいので、
現地で道を聞ける人も少ないわけです。

 

 

 

真っすぐ、寄り道せずに乗り換えても20分ぐらいはかかりそう…
まあ、時間さえ十分あればいけるんやろうけど…。
タイトそうなら、事前にHISの人に聞けばいいか。

 

 

 

ホテルでのトラブルについては、
たくさんのブログ記事が参考になりました。
最初の心構えとしては、何もない、なんてことは期待しないこと。

 

 

 

施錠ができなかったり。
毛布に何か虫が住み着いていて咬まれたり。
怪しげな集団が隣室で騒いでいたり。
トイレが詰まっていて流れなかったり。排水管に穴があったり。

 

 

 

みたいな致命的なトラブルは、イタリアではなさそうです。
三ツ星以上のホテルなら。中国や東南アジアの安宿みたいには。
ただし、電気がつかなかったり、お湯が出なかったり、
バスタブがなかったり、トイレに便座がなかったりはするそう。

 

 

 

日本人は驚いてしまいますが、
便座がないのは結構スタンダードです。
汚れるから、というより、持ち去られるからだそう。
持って帰ってどうするのかはさておき、ハネムーンの時も
便座がついていたのはホテルのトイレぐらいでした。

 

 

 

とはいえ、電気がつかなかったりお湯が出ないのは困ります。
そんな時は、言葉が通じなかろうが何だろうが、とにかく主張する。
部屋に見に来てもらう。直るまでしつこくお願いする。
だそうです。どこの国でもさして変わりませんね…。

 

 

 

ドライバーとの合流は、どうやらそれほど心配いらなさそうです。
名前を大きく書いたプラカードを持っているし、
最悪合流できなければ、HISのカスタマーセンターへ電話する、と。

 

 

 

一番注意しなければいけないのは、手配された以外の人に
ついて行ってしまうこと。
大きな空港には客引きがわんさかいて、どんどん声をかけてきて、
質問しても「そうそう」と答える人もいるらしく。

そんな人の車に乗ってしまうと、後々面倒なことになる。

 

 

なるでしょうね。想像に難くありません。
事情通の人なしに初めて行く旅慣れない身にとって、
これは役立つ情報でした。

 

 

 

と、いろいろ調べているうちに、年に数回イタリアへ行く人が
妻の知人にいるとのこと。
なんとなんと、大先生が身近にいらっしゃると。ありがたや。
不安に思うことを妻に根掘り葉掘り聞いてもらいました。

 

 

 

ウェブ情報を頭から疑っているわけではないですが、
どうしても、顔が見えない人からの一方通行になりますからね。
信頼できる筋からの裏付けがあれば、やはり安心できます。

 

 

 

英語が通じるかどうかというところは、
観光地であれば特に問題なし、とのこと。
というか、多くの日本人の方がよっぽど英語話せないので
いらん心配はしないでいい、とアドバイスをもらいました。

 

 

 

ちなみに大先生は、イタリア人と恋人になれるぐらい
イタリア語堪能だそう。

 

 

 

訪れる史跡やレストラン調査のために買った「地球の歩き方」から
交通システムの違いやチップ、宿泊税とかもろもろの知識を足して、
大先生からの教えも乞うて、重たい腰も完全に上がりました。

 

 

 

あとは行ってみるべし!

 

 

天変地異は何の前触れもなく

 

 

手付金の支払いも滞りなく完了し、あとはフライト確定次第、
オプショナルツアーを予約するのみ。

 

 

 

というタイミングで、風邪をひきました。
夏風邪ですね。
インドへ一週間出張し、週末挟んで韓国へ一週間出張という
なかなかハードなスケジュールで疲れがたまっていたようです。

 

 

 

とはいえ、出張でオフィスを空けると仕事がたまっているわけで。
折悪くお盆の連休前、処理しておかなければいけない仕事もある。
一日休んで病院に行き(夏風邪と診断されました)、
翌日から出社しました。後から思えば、これがよくなかったんですね。

 

 

 

薬を飲み、夜はできるだけよく寝るようにしながらなんとかお盆へ突入。
妻の実家、私の実家へ帰省し、療養に努めました。
が、連休半ばから扁桃腺が痛み出し、熱はないものの日に日に酷く。
当然病院が開いているわけもなく、鎮痛剤でごまかしていました。

 

 

 

お盆明け最初の出社時に会社の産業医へ行きましたが、
産業医のお盆休みが一日長くて診てもらえず。
次の日休みをもらって耳鼻咽喉科へかかり、抗生物質ゲット。
やはり扁桃炎にはよく効くようで、次の日から出社しつつ、
日増しによくなっていくのを実感しながら週末を迎えました。

 

 

 

ここで終わればよかったんですがね。
時すでに遅し、だったようです。

 

 

 

処方された抗生物質を全て飲み終えた金曜の夜、扁桃腺が再び痛み、
明らかに腫れ始めました。口蓋垂も腫れ、舌の上に乗るほどに。
唾液を飲み込むのも痛く、一回ずつ「やるぞ」と気合が必要な感じ。
口を開けるにも顎関節が痛く、2cmも開けられない状態に。

 

 

 

土曜日、扁桃腺の腫れは変わらず、右側だけに疼きが加わりました。
とはいえ、何もしなくても扁桃腺にきつい痛みががあるので、
いまさら疼きが増えたところで気にもなりませんでした。

 

 

 

日曜日の朝、異変に気付きました。
口の中、喉の方まで、異様に狭い。
鼻から息はできるけど、口からしようとすると、狭まった喉の奥に
口蓋垂が引っかかったり詰まったりして、息がしにくい。

 

話をするにも、口の中の空間がほぼないので舌が動けず、
音も響かず、明瞭に発音できない。
生まれて初めての事態です。

 

 

 

ベッドから出て、鏡で口の中を見て愕然としました。
第一印象は「なにもない」。本当にそう見えました。

 

 

 

顎が痛くてろくに口が開かないとはいえ、普段なら空間と
奥の方に口蓋垂が見えるじゃないですか。
スマホのライトで照らしてみると、舌も空間も口蓋垂も見えず、
歯のすぐうしろに肉の壁があって、おしまい、という状態でした。

 

 

 

いや、本当に、ぞっとしました。何これ…という感じ。
熱もプラス3℃ほどあったので、悪夢を見ているのかと思いました。

 

 

 

よくよく見てみると、口の中、左の奥に肥大した口蓋垂が。
周りにほとんど空間なく、舌の奥に「でん」と乗っかっている感じ。
唾液を飲み込んだり舌を動かすと、明らかに触れている感覚があります。

 

どうやら口の中の右側がめちゃめちゃに腫れて左側にせり出し、
ほんの小さな穴になった喉の入口を、腫れた口蓋垂が蓋をしている。
そんな、悪い冗談みたいな状態になっているようです。

 

 

 

日曜日は熱も高く、ほとんど飲食できなかったので休養し、
月曜日の朝一番、妻にも付き添ってもらって病院へ行きました。

 

 

 

先生が口から喉を一目覗き、鼻からカメラで気管を診て一言。
「このままじゃ死にますよ。今すぐ緊急入院です」

 

 

 

 

診断名は「扁桃周辺膿瘍」。なんですかそれ?

 

 

 

扁桃腺に溜まった膿が膜を破って外へ広がり、
扁桃腺の周辺や口蓋垂、口蓋が腫れあがる症状だそうです。。
腫れが進んで気管に達すると呼吸ができなくなって死に至る。
その状態まで、あとほんの一歩です、と。

 

 

 

「死にますよ」なんて、初めて医者に、はっきり言われました。
身体は比較的元気なので、現実感はほとんどなかったです。
死ぬって言われたら、もう黙って従うしかないですよね。
仕事なんて全部後回し、まずは死ぬ心配がない状態回復です。

 

 

 

その日にかかった病院で処置できるレベルではないということで、
先生が近くの総合病院を指定し、推薦状を書いてくれました。
すぐ家へ帰って数日分の着替えや身の回りの物を用意して、
タクシーで指定された総合病院へ。

 

 

 

通されたのはなんと救急。
海外ドラマとかで見る、白衣ではない色の違う服を着た先生も
一目見るなり「すぐ入院です。書類にサインしてください」

 

 

 

こんなに症状が進むまでなぜ放っておいたのか、と怒られました。
気管が腫れたら数秒で死に至ることをわかっているのか、と。
ごめんなさい、全然わかっていませんでした。
というか、想像もしていませんでした。

 

 

 

抗生物質をがっちり点滴されながらいくつかの書類にサインをし。
入院の手続きを終えた時点でお昼過ぎ。

 

 

そこからMRIとかいろいろと検査をし、共通の病室へ移り、
妻に追加の着替えやら暇つぶしの本やら持ってきてもらい。
長い一日が終わり、長い入院生活が始まりました。

 

 

 

柔らかい食事を取る許可が出たのが3日目。
扁桃腺に注射針を刺して膿を抜く処置が6日目。
膿を抜いて腫れが完全に引き、通常食が出たのが8日目。
退院の許可が出たのが、9日目のお昼でした。

 

 

 

退院した日は抜けるような快晴。
あの空の青さと、病院特有の饐えたにおいのない空気と。
最初に食べたうどんのおいしさ。
忘れようがありません。

 

 

 

まるまる9日間。
お粥メインですが食事はしっかり採って、
ろくに動かなかったのに体重は4キロほど減っていました。
退院後しばらくして、しっかり元通りになりましたが。

 

 

 

そして、本を読む時間と考える時間だけはたっぷりあった9日間。

 

 

 

営業に移るまでは月に3、4冊は本を読んでいました。
異動してからは、業務外まで食い込んでくる仕事や接待に追われ、
この数年間はほとんどゼロ。
片道2時間の通勤時は新聞を読んだ後は意識が途切れるような感じで、
妻に薦められた本ですら、読もうという気すら起こりませんでした。

 

 

 

その分を取り返すように、9日間で15冊ほど読破しました。
SF、フィクション、ビジネス書、1日で読める韓国語などなど。
日付が変わっても夢中になって、看護師さんに注意されるぐらい。
楽しかったです。

 

 

 

やっぱり、人生には読書は必要だと痛感しました。
知識ももちろんですが、自分とは違う考え方や感じ方、
自分が知らない世界のことを知れます。

これは、誰かと交わるか、本を読むことでしか得られない。
その機会のない人生なんて、なんて薄っぺらでつまらないか。

 

 

 

そんな機会をくれる人は貴重です。どこにでも、はいません。
出会いや交流を自分から求めないと得られない。
また、全ての本がそんな機会をくれるわけではなく、
これもある程度数をこなさないといけない。

 

 

 

そのための時間を確保するのは、お客さんや社内の誰かに
おべっかを使ったりご機嫌を取るより、よほど価値がある。
そう、改めて思いました。

 

 

 

また、仕事の合間を縫って毎日来てくれた妻。
加えて、急な知らせを受けて顔を見に来てくれた家族。
心配して連絡をくれた友人たち。

 

 

 

わたしは一人ではない、ということがしっくり心に落ち着きました。
気にかけたり必要としてくれる、かけがえのない人がこんなにいる。
特に今回は、もう一歩遅ければ死んでいた可能性がありました。
そして、人はこんなにもあっさりと死んでしまうものなのですね。

 

 

 

頭では理解していたけれど、本当にわかってはいなかったようです。
わたしが健康で、元気に、充実した生活を送ることが
かけがえのない人たちへの一番のお礼になる。
そんなことに気付く機会になった入院でした。

 

 

 

もうちょっとだけ、イアタリアに踏み込めた旅

 

 

退院から数カ月。
入院中に決まった会社イベントの日程と旅行が重なって有給取り消し、
運よくツアーの日程変更ができてしかも少し料金が安くなったり。
いろいろありましたが、何とか踏んだイタリアの地。

 

 

 

結局、心配したことはほとんど全て、杞憂に過ぎました。

 

 

 

オプショナルツアーで取れなかった美術館は、
国際電話で直接予約を試みるも繋がらなかったので、
予約代行業者に頼んで無事に予約できました。
調べてみれば、だいたいのサービスはあるものですね。
しかも2人分で1,000円。費用対効果を考えれば十分です。

 

 

 

ドバイ空港での乗り継ぎは3時間弱あり、
だだっ広いけど案内標識があったので迷わず、
買い物と軽食を取る余裕までありました。
首がカタカタ上下するアラビア人男性の人形が面白かったです。

 

 

 

ローマの空港の送迎は、名前を書いたプラカードは持っておらず
「HIS」の表示のみ。しかも複数人いる、という困った状況でした。
HISのプラカードを持った人に片っ端から声をかけていくと、
3~4人目でちゃんと出会えました。

 

 

 

お互い片言の英語で名前と行先は確認できましたし、
ホテルまでのおよそ1時間の道中も、ぼちぼちと話ができました。
渋いおっちゃんで、イタリアの男性だからというかなんというか、
彼はほとんど妻に話しかけていました。

 

 

 

観光地だから、ということもあるでしょうが、
今回の旅で話したイタリアの人は全員、英語で意思疎通できました。
ここは妻の知人の大先生のおっしゃる通りでしたな。

 

 

 

チェックインとチェックアウト、買い物、食事はもちろん。
急に雨が降ってきて傘が必要になった時も、
オペラ劇場で見学の申し込みの仕方がわからなかった時も、
案の定ホテルで電気がつかなくなった時も、
わたしの拙い英語でも不自由なく過ごせました。

 

 

 

こちらが何とか伝えようと身振り手振り話しかければ、
あちらも何とか理解しようと真剣に聞いてくれます。
日本人よりずっと英語に堪能な人が多いので、
返事はわかりやすい簡単な構文で返してくれました。

 

 

 

ここらへんはもしかしたら、英語に苦手意識がある日本人の方が
不親切なのかもしれません。
「英語はわからないよ」「どう説明すればいいかわからない」で
話を切ってしまうこともあると思うので。

 

 

 

また、今回の旅で感じたのは、
イタリアの人は楽しんで生きているということ。
わたしたちが目にしたのは当然ほんの一部だけですが、
自分の人生を大事にしているように感じました。

 

 

 

例えば、スーパーのレジ打ちや美術館の受付。
仕事中に隣の人と楽しそうに話しているし、
電話がかかってきたら直ぐに出る。
手が止まったり遅くなって行列ができてもお構いなし。
並んでいる客も特にイラつくでもなく待っている。

 

 

 

例えば、ホテルの従業員。
連泊したお客さんが出発する朝なのか、
朝食会場でハグをして「楽しい時間をありがとう」とか言っている。
料理を出すときに、待っているお客さんに
「スペシャルな料理、お待たせ」と声をかけて笑顔にさせる。

 

 

 

例えば、雑貨屋の店員さん。
入店時に客が「チャオ」と声をかけるのがマナーですが、
「チャオ」と答えたあとに「どこから来たの」とか、
「このお皿は自分が絵付けしたオススメよ」とか、
「この棚のノートは自分が紙漉きしてマーブル柄を入れたの、
綺麗でしょう」とか、話をします。

 

 

 

何も買わなくても、気を悪くするどころか、
「楽しんでね」と送り出してくれる。

 

 

 

例えば、朝のラッシュ時の地下鉄。
混雑していて、日本とは違って特に並ぶでもないので、
車両の入り口や社内で身体がぶつかることもあるわけですが、
自然に笑顔で「失礼」と声がかかる。老若男女問わず。

日本ではまずないですよね。
ぶつけた方が迷惑顔で睨みつけることすらあります。

 

 

 

また、ローマやヴィネツィアは大観光地ですし、
通勤してくる人も多いですが、足早に急ぐ人はそれほどおらず、
どこか余裕すら感じさせます。
日本に比べると時間にルーズ気味ということはあるとしても、
仕事に急ぐよりも同行者とのおしゃべりを楽しんでいる感じ。

 

 

 

例えば、雑貨やバッグなどのお店は昼休み2時間というところ。
さすがにレストランやカフェは開いていますが、
きっちりCLOSEの札を出し、次は15時開店と書いてある店も。
昼休みが長い分、閉店も21時とか遅めの場合が多いです。

 

 

 

お昼は一旦帰宅して家族と食事をするのが一般的。
食事の時間も日本の感覚とはズレていて、
昼食は13時~15時頃、夕食は20時~22時頃が普通だそう。
基本的に、食事は家族と一緒に、ゆっくりと。

 

 

 

これは、前回のツアーの添乗員さんも言っていたし、
旅行本にも書いてあることですが、今回、実際に感じました。

 

 

嫉妬と憧れ

 

今回感じた、日本とイタリアの感覚の違い。
「文化の違い」と言ってしまえばそれまでですし、
「それどうなん?」と思う部分も確かにあります。

 

 

 

行列お構いなしで話している店員とか、
監視業務そっちのけで電話している美術館の監視員とか、
ちっとも時間通りに来ない電車とか、
そもそも時刻表のない路面電車とか。

 

 

 

旅の最後、ヴィネツィアからの帰りに空港へ送ってくれたのは
現地の旅行代理店に勤める、日本人の女性でした。
旅行でイタリアにどっぷりはまって移住を決意し、
語学学校に通ったのち、現在はイタリアの方と結婚しているそうです。

 

 

 

彼女に、イタリアに移住した感想を聞いてみました。
曰く、

 

イタリア人は仕事相手としては適さない。
日本人の感覚からすると、時間や納期にルーズ過ぎる。
失業率は高いし、政治もなかなか安定せず、賃金は高くはない。
インフラ代が高く、常に電気と水は常に節約しないといけない。

 

ただし、生きていく場としては大いにオススメする。
底抜けに明るい人が多い。特に南部。
できる範囲で最高の生き方、楽しみ方を考える。
自分と他人が違うことを、そのまま受け入れる土壌がある。
誰かが自分に露骨に合わせてくると、むしろ気味悪がる。

 

 

 

プラス面に関して、今回、わたしたちが肌で感じた印象は
間違いではない、ということが裏付けられました。
それと同時に、強烈な嫉妬と憧れを感じました。

 

 

 

今のわたしの現状を見ると。

 

 

 

何とか生きていくだけのお金は得られています。
今回のように、たまーに海外旅行にも行けます。
親の介護や自分たちの将来への備えを考えなければ。

 

 

 

仕事で特定の国へ出張で行けます。
今回の旅のように、文化を肌で感じられるような余裕はありませんが。

 

 

 

平日はほとんどの時間が業務に占められます。
夜は20時頃まではONモード、接待があれば24時頃まで。
時には休日も。
業務を超えた「仕事」を考える余裕が取れないことも悩みです。

 

 

 

家族と過ごすための時間、自己研鑽や将来のために充てる時間が
もっと必要だと感じていますが、今以上に増やせない状況です。
今の会社では、仮に昇進していった場合、
今後もっと減っていくように感じています。

 

 

 

わたしの考えとして、相手は相手、そのままを受け入れたいです。
また、自分の考えは曲げずに持っていたいです。
受け入れられるかは別として。
でも、特に仕事の上では、どうしても曲げたり
飲み込んだりせざるを得ない時があります。

 

 

 

うまく進めるためのすり合わせは必要だとは思いますが、
根本的な部分で納得できず押さえこまれると、
どうしようもなく窮屈に感じます。

 

 

 

社会の一員として、家族と共に自分らしく生きていくためには、
仕事は仕事、家族は家族とどこかで割り切って、
我慢する部分、諦める部分も飲み込むしかない。

平日はほぼ全ての時間を会社に割り振って、
週末や休日の残った時間を家族に、自分に振り向けるしかない。

 

納得いかない部分は、長い時間がかかるけど会社を変えるしかない。
自分がリタイアするまでにできたらいいな、ぐらいのスパンで。

 

 

 

そう、ある意味諦めていたわたしを、
イタリア旅行で確信した風土はどうしようもなく惹きつけました。
イタリアへの移住方法を本気で調べるほどに。

 

 

 

人生は楽しんでいい。
楽しんで生きている人がそこにいる。
そう思ったからです。

 

 

 

譲れない幸せの条件。それを手に入れるためには。

 

 

「今のあなた、何をしていますか」
「楽しんで生きていますか」
「この地をもう一度踏んでいますか」

 

 

 

ハネムーンの時にコロッセオの前で収録した、
未来のわたしに宛てた、わたしからのメッセージです。
思ったことを口にしただけで、イタリアにまた来たいなぐらいの
つもりでしたが、心に刺さるものがありました。

 

 

 

「楽しんで生きていますか」

 

 

 

確かに、それなりに楽しく思うことはあります。
ただ、楽しんで生きること、生きることを楽しむこと。
楽しむだけなく、幸せに生きること。
これは、諦めてしまっている部分があります。

 

 

 

イタリア旅行で感じた、人生を楽しむということ。
非常に強く憧れるのですが、それだけでは不十分です。
それではまだ、諦めなければいけない部分があります。

 

 

 

仮にイタリアへ移住したとして、働き方が今と同じであれば、
家族や自分のための時間は結局増えません。
まず乗り越えるべき言葉の壁もあります。

 

 

 

また、収入面のこともあります。
親のため、自分たちの将来のために必要な金額を試算してみると、
今のレベルでは到底足りません。

 

今のまま給与が増えていけば届く日も来るでしょう。
20年後ぐらいに。年功序列のままいけば。可能性は低いですね。
親の介護費用は、その時にはとっくに必要になっています。
時間切れで不自由な晩年を過ごさせてしまっている可能性も。

 

 

 

わたしの人生にとって譲れないことは何か。

 

 

帰結するのは、家族と共に幸せに生きていくことです。
そのために必要な収入、時間の使い方、人間関係、
そしてそれを実現できる場所。

家族、お金、時間、人間関係、場所。

 

この5つはどうしても諦められないことです。
これらを同時に手に入れるにはどうすればいいか。

 

 

 

今の会社には答えがない、これは確実です。
このまま続けても、5つのうち1つが精いっぱいでしょう。
変えていくにも時間がかかりすぎ、タイムオーバー。

であれば、実現できる環境はどこにあるのか。
作るためには今、なにをすべきなのか。

 

 

 

それを模索しています。
情報を集め、人脈を作り、実践を始めています。
今まではどこかで諦めてしまっていたことを実現するために。
人生を楽しむために、わたしなりに幸せに生きるために。

 

 

あなたにとって、人生でどうしても譲れないことは何ですか?


コメントフォーム

名前

メールアドレス

URL

コメント

トラックバックURL: 
筆者:鳴海 研

化学メーカーにつとめる30代理系サラリーマン。
一人っ子として育てられたと思ったら実は違ったり、
借金で育てられたり家族が蒸発したり会社の先輩が失踪したり、
色々経験する中で辿り着いた、本当に生きたい人生とは。
あなたはどんな未来を実現したい?そんなことを書いています。

⇒鳴海研ってどんなやつ?

What’s New?
カテゴリー

ページの先頭へ