人生は短い。あなたの夢は何ですか?


                              
小さい頃や学生の頃の夢、覚えていますか?

例えば小学生の頃。
看護師、スポーツ選手、シェフ、ヒーロー、花屋、消防士など。

 

 

 

ちなみにわたしは仮面ライダーブラックでした。
年がばれそうですが。
妻はペンギンだったそうです。
もはや人間ですらない。自由ですね。

 

 

 

例えば大学生(大学院生)の頃。
企業家、大金持ち、NPO、建築家、芸術家、科学者、鍼灸師など。

 

 

 

わたしは化学者でした。
白衣姿に憧れて化学を学び、既に研究に携わっていました。
妻は臨床心理士でした。
それに憧れて専攻できる大学を選びました。

 

 

 

何の制約もなく、心躍るものに単純に憧れられた頃。
やりたいこと、自分ができることがわかってきた頃。
「夢」と言っても、自分の心の持ちようで全く方向が違いますね。

 

 

 

言い換えれば、だんだん「今から自分が実現可能そうなもの」
つまりは「選択肢から選ぶもの」に変わるように思います。

 

 

 

そこで、今、問いたいと思います。
今、あなたが想い描く夢は、何ですか。

 

 

 

とある研究員の場合

 

大学院を卒業し、化学メーカーの研究職へ就き、営業へ異動し。
先ほどの問いを突き付けられた時、わたしは答えられませんでした
愕然としました。

 

 

 

夢見た化学者になれた、さぁあとは邁進するのみ!
就職した初めの頃は、そんな意気込みで仕事に打ち込みました。
それこそ、プライベートや寝食を忘れた時期もありました。
仕事が面白かったんですね。

 

 

 

一方で、時間が経つにつれ、違和感が大きくなってきました。
4年目ぐらいでしょうか。
本当にやりたかったこと、憧れたのは、これなのか、と。
この窮屈さは一体何だろう、と。

 

 

 

そうして数年経ち、営業へ異動しました。
営業部長がずっとわたしを欲しがってくれていましたし、
ちょうど、長く携わっていた仕事に一区切りついた時期でした。
この異動は予想していたので、特に抵抗はありませんでした。

 

 

 

違う仕事もしてみようかな、もしかしたら面白いかも。
数年後、研究に戻ってもらう、とも言っていたし。
面白かったら戻らない選択肢もあるのかな。
という、割と軽い感じで受けました。

 

 

 

ここで、あれ、と思いました。
夢と掲げるほど憧れていたはずなのに、外れるのに抵抗もない。
数年後に戻れるのに、特に心躍ることもない。
そんな時に、先ほどの問いを投げかけられました。

 

 

 

今のあなたの夢は、なんですか、と。

 

 

 

研究に限って言うと、大学と企業では目指すものが大きく異なります。

 

産官学共同テーマなど、その限りではない場合もありますが、
基本的に大学では論理的、技術的な完成を目指します。
世の中に将来の価値を認めてもらえスポンサーがつけば、
突き詰めた研究が可能です。

 

 

 

一方、企業では利益を得られる製品の開発を目指します。
投資に見合うリターンが見込めるか、がまず問われます。
企業にどっしり腰を据えて取り組む体力がなければ、
見込みが薄くなった時点でおしまい、時間の制限もあります。

 

 

 

それは企業で働く中で痛いほどわかっていました。
それで化学の研究者が嫌になった、なんてこともないんです。
確かに窮屈さはありますが、それを一番感じたのは1年目の頃で、
その時は仕事が楽しかったのですから。

 

 

 

では一体、なぜ。
夢は何、将来やりたいことは何、と問われて、
なぜ何も出てこないのか。
自分でもさっぱりわかりませんでした。

 

 

 

とある営業員の話

 

営業になって、たくさんの人と出会い、話をしました。
営業ですから、既にお客さんである人や、
将来のお客さん候補の人と話をするのも重要です。

 

 

 

その中で感じた事は、仕方なしで仕事をしている人が多いこと。

 

 

 

営業の立場で会うのは、購買と商社の人が一番多く、
次に研究、工場の人です。
ごく一部、特に商社に「最高の仕事だ」という人はいますが、
ほとんどが、一家言は持っているけれど、輝いては見えません。

 

 

 

それぞれが、それぞれの立場と場所で仕事をしています。
その前提で「この人は優秀なんだろうな」と感じることは
よくあります。
また「仕事にやりがいを感じている」と明言する人も、多いです。

 

 

 

一方で、酒の席で「目指す姿は何ですか」と投げかけると、
「社長」とか「取締役」とか「定年して居酒屋経営」とか。
突飛なもので「コネを活かして商社を立ち上げる」とか。
「田舎に隠居して猫を飼って読書にいそしむ」とか。

 

 

 

田舎に隠居なんて、いいですよね。
わたしは動物の毛にアレルギーがあるので猫は飼えないですが、
将来ありたい姿、という意味では憧れがあります。

 

 

 

ですが、なんというか、できそうなこと、なんですよね。
そこまで努力しなくても叶えられそうじゃないですか。
社長はちょっと別格で、運も重要な要素でしょうが、
平の取締役なら年功序列企業に長くいればそのうちなれるでしょう。
起業すれば来週にでもなれます。たぶん。

 

 

 

定年して居酒屋とか商社起業なんて、単に、やればできる。
うまく運営していけるかどうかは別として。

 

 

 

そんなものが夢ですか?
今後の人生で目指すものは、無難に過ごせば勝手になれそうな
組織の中での役職に就くとか、やればできることをやる、
でいいんですか?

 

 

 

そのために今働いていて、嫌なことや辛いことも我慢して、
毎日を過ごしているんですか?
長い間の努力や我慢に報いられるだけの、重みのある夢ですか?

 

 

 

イエス、と自信をもって答えられる人もいるかと思います。
それも、ひとつの幸せです。いいと思います。
何も考えずそれなりに過ごしていれば叶います。たぶん。
叶わなくてもきっと、次が控えています。

 

いいじゃないですか。楽です。

 

 

 

一方で、違う、そうじゃない、という人もいるかと思います。
それは夢ではなく、単にやりたいことです。
そんなレベルのやりたい、なりたいであれば、
ぱっと思いつくだけでいくつもあります。

 

 

 

オーロラを見てみたいとか。
映画館や本屋で働いてみたいとか。
南極と北極に立ってみたいとか。
中東に行ってみたいとか。

 

 

 

もし1年後に死ぬ、となれば、すぐに実行できます。
今しないのは、お金や時間に余裕がないだけで、
踏み超えるきっかけがあればできてしまうんです。

 

 

 

では、一体、夢って何なんでしょう。

 

 

 

 

どう生きて「いきたい」か。「いけるか」ではなく。

 

 

今のあなたの夢は何ですか、と。

 

 

 

わたしに問うたのは、転職した後輩でした。
彼は、わたしと同時期に研究から営業へ異動しましたが、
人間関係と仕事内容が合わず、他社の研究へ転じました。
全く分野の違う会社ですが、やはり研究がやりたかったそうです。

 

 

 

彼の生き方として、やりたいことが常に明確です。
そしてそれを実現する最短の方法を取り、突進します。
「やりたいことが多すぎて手が回らない」
研究にしろ趣味にしろ遊びにしろ、彼は常々口にしています。

 

 

 

実は、わたしと彼では相容れない部分も多いのですが、
落ち着きのない彼を、眩しく思っていました。
時に周囲へ迷惑をかけることもあるけど、何ができるか、
ではなくて、何がしたいか、を一番大事にする人です。

 

 

 

そんな彼に、夢は何か、何がやりたいのかと聞かれ、
言葉を濁すしかなかった自分が、とても小さく感じました。
また、真剣に考えたことがない自分を恥じました。
そんな人もいるということが、彼にはピンとこないようでしたが。

 

 

 

その出来事のあと、思い出した古い友人がひとりいます。
既定路線に乗って大手化学メーカーに就職したものの、
どうしても鍼灸師になりたくて、2年程で退職しました。

 

 

 

その後、バイトをしながら専門学校に通い、
進路はその中で柔道整復師に変わっていきましたが、
無事にその資格を得て、今、個人院で修行中です。

 

 

 

学生時代は熱い想いや根気を感じるタイプではなかったのですが、
サラリーマンにとっては勇気のある行動を迷いなく選んだ彼を、
大いに見直しました。いばらの道に進んだことを。
本当にやりたいことを見つけた彼を、羨ましく思いました。

 

 

 

今も年に何回か会いますが、今の彼の夢は
「独立して年収1,000万円」だそうです。
柔道整復師になるまでは努力と継続で何とかなったけど、
これからが本当の勝負と息巻いています。

 

 

 

既に、独立した医院を登録するところまでは進んでいます。
業界として、独立がまず目指すべき道ということもあり、
お世話になっている先生も同僚も応援してくれているそうです。
まっすぐ前だけ見て、ちょっとずつちょっとずつ進んでいます。

 

 

 

2人は性格や行動力からして全くタイプが違うのですが、
共通するのは、一歩踏み出したことです。
そしてそれを追いかけ続けていることです。

 

 

 

やりたいことをやるために転職をする。
なりたいものになるために退職して、いちから学ぶ。
今までの延長ではなく、その先や、
もしかしたら違う道にあるものに手を伸ばして掴む。

 

 

 

なれたらいいな、できたらいいなと憧れながら、
安全に今の組織に居続けることだってできたわけです。
でも、自分なりの生き方をするべく、行動しました。
「このまま」では届かないものを得るため、リスクを取りました。

 

 

 

わたしは思います。
手に入れるためには、まさに人生をまるまる賭けるほどの
膨大なエネルギーが必要で、その人の「生き方」そのもの。
それが夢、なのではないだろうかと。

 

 

 

なので、モノとか地位とか行く場所とかではないでしょう。
大統領になることが夢というなら、それは、
大統領になってこうしたいとかこれを変えること、が夢ですよね。
なっておしまい、という目標は、ないと思います。

 

 

 

とはいえ、夢を追うことに大きなリスクを背負う必要はない
とも思います。
今の延長に追いかける夢があれば、それがベストですよね。
今、自分は行くべき道を進んでいる、ということなんですから。

 

 

 

仕事と同じように、夢にも貴賤なんてありません。
あなたとわたしの夢が違って当たり前ですし、
わたしの夢が誰かにとっては全く魅力がないこともあります。
その価値は、本人にしかわかりません。

 

 

 

ですが、夢というのは、追いかけて欲しがり続けて努力して、
考えて行動して、やっとこさ手に入るものだと思います。
だからこそ価値があり、夢を追う人生は輝くんです。
青臭い理想論ですが、まず理想がなくては何も変わりませんよね。

 

 

 

そんな夢もなく、生活のために、仕方なしに嫌なこともやって、
食べて住んでたまに遊ぶだけのお金で雇われ続ける。
それでも最低限生きていけます。
が、どうでしょう。ワクワクして生きていけるでしょうか。

 

 

 

ありたい未来にたどり着くために、足りていないものは?

 

 

世の中では「大人である」ことを求められます。
実現可能な選択をする、現実主義ということろでしょうか。
いつまでも夢ばっかり見てないで、大人になりなさい。
どこかのドラマでよく聞くセリフです。

 

 

 

でも、人生はたった一回だけです。悔しいぐらいに平等です。
あなたにとっても、あなたの大事な人にとっても。
あなたとあなたの大事な人みんなが幸せに生きければ、
これほどいいことはない。そう思いませんか。

 

 

 

これは簡単じゃないですよね。
だから、ほとんどの人が、どこかで諦めます。妥協します。
そんな理想をいつまでも追いかけていないで、
大人であることを選びます。現実的に。やりもしないで。

 

 

 

ご多分に漏れず、わたしもそうでした。
でも、それって誰もがイエスというほど、明確な理想なんです。
掴むには遠い遠い理想です。
であればこそ、追うべき夢なんじゃないでしょうか。

 

 

 

何があれば、どうなれば幸せかは人それぞれです。
自分ひとりが幸せになれればいい、そんな人もいるでしょう。
それはそれで、いいじゃないですか。

大事なのは、そのためにはどうすればいいか考えて、
実際に実行して、手に入れる事です。

 

 

 

人生はたった一回しかありません。
リセット効けばいいけど、ない。ワンチャンスしかないんです。
なら、世の中の「大人」の枠にはまって、
やりもせず色々諦めてる場合じゃないですよね。

 

 

 

今のわたしの夢は、わたしと家族が幸せになることです。
言葉にするとあまりに青臭いので照れが入りますが、
こうしか言いようがないで、仕方がないです。
照れますが、胸を張って宣言できます。

 

 

 

わたしの考える幸せとは、お互いのための時間がしっかり取れて、
旅行とか食事とかスポーツとかレジャーとか、
お互いの経験を共有して歳を取っていくことです。
海外も含め、年に1、2回の旅行はしたいです。

 

 

 

また、自分磨きにも時間を取りたいです。
運動とか語学とか芸術鑑賞とか。
語学は特に、海外旅行を楽しくしてくれますので重要です。
英語とイタリア語は習得したいと思っています。
海外に住んでみたいという希望もあります。

 

 

 

祖父はもう亡くなり、祖母もかなりの高齢です。
わがままが目立ってきましたが、数少ない家族です。
できる限り不便なく、楽しい時をたくさん過ごしてほしい。

 

 

 

親もいい年になってきました。
わたしの両親は離婚したので母だけしかいませんが、
リタイアしたらあちこち旅行したいと言っています。

 

 

 

妻の両親も本当によくしてくれています。
義父は再びハワイに、義母はヨーロッパに行きたいそうです。

 

これまで頑張ってきた分、やりたいことをやってほしいし、
お金とかの理由で諦めてほしくないです。
彼らが自分でできないのなら、できるようにしてあげたい。
それを叶えることも、わたしにとっての幸せです。

 

 

 

遠くない将来を考えれば、介護費用も用意する必要があります。
平行して自分たちの老後の貯蓄も、いつかの子供の学資も。
もし病気やケガで入院などした時のためのお金も。
家は…特にいいか。車は…これからシェアの時代になるか。
とはいえ、生活するためのお金は当然必要です。

 

 

 

ぱっと思いつくだけ、しかも特別な贅沢をしなくても、
わたしにとって「幸せな将来」の条件はこれだけあります。
どれも必要ですし、全て最優先事項です。
わたしが幸せに生きるためには、譲れないことです。

 

 

 

なので、全て手に入れる方法を考えなければいけません。

 

 

 

 

足りないものを手に入れるには?

 

サラリーマンの一般論では、仕事をしながら、
週末や休みに家族のケアをし、朝や夜に趣味や自己研鑽をし、
長期の休みでたまに旅行へ行くのでしょう。

 

 

それは可能です。今のわたしもそのパターンです。
このパターンの人が一番多いのではないでしょうか。

 

 

 

ただし、わたしの考える幸せの条件に対して、
ここには決定的に欠けているものがあります。

 

 

 

家族との時間と、将来への備えです。

 

 

 

家族との時間の捉え方については、本当に人それぞれです。
上のパターンで十分足りている人もいれば、
むしろ多すぎるという人もいるでしょう。
家にいてもやることがない、という意見も聞きます。
男性、特に子供がいる方がほとんどですが。

 

 

 

わたしの場合、今の生活は、朝6時半に家を出て帰宅は20時過ぎ。
直行直帰の場合もありますが、だいたいはこうです。
接待があれば帰宅が24時過ぎになることもあります。

 

 

 

ゆっくり家族と話す時間は、朝は早いのでとれないです。
夜は、とれて2時間ぐらい。
家族それぞれにやることがあれば、とれない日も多いです。

 

 

 

わたしにとっては、全く足りません。
何を話すわけではないですが、何気ない会話が足りません。
気持ちを落ち着けて、オンからオフに切り替えるために、
わたしには必要なんですが、足りていません。

 

 

 

家族との気持ちのすれ違いも増えます。
家族との時間が減って、いいことは一つもありません。

 

 

 

特に高齢の祖母との時間も増やしたいです。
一緒に過ごせる時間自体が残り少ないですから。
取り返しがつかない後悔はしたくありません。
そんなものは一つで十分です。

 

 

 

今の会社では、職場が多少変わっても状況は変わりません。
平日はやはり仕事を優先せざるを得ないですし、
海外案件もあるので、夜や土曜日もメールが来ます。

サラリーマンでいる限り、完全に仕事から開放はされません。
政府が色々頑張っていますが、確信があります。

 

 

 

将来のための準備不足は、既に深刻です。

 

 

 

わたしや妻が50歳、60歳になり給料が上がれば
それなりの貯蓄もコンスタントにできるでしょうが、
親の介護費用となれば、その年齢の時には既に必要なお金です。
既に貯め終わっていなければいけません。

 

 

 

祖父母に孝行もしていきたい。自分たちの老後の積み立ても。
子供がいれば、残してあげるお金も必要です。

 

 

 

その時々に必要な金額を、時間軸に沿って考えたことがあります。
40歳の時、50歳の時、60歳の時…という感じで。
あなたも一度考えてみることをお勧めします。
現実とのギャップに愕然としますよ。きっと。

 

 

 

わたしの場合、今のままではどんなに頑張っても、
絶対達成できないという結論になりました。
数年内に給料が倍になるぐらいでないと届きません。
そんなこと、ひとつの会社では起こりえないですよね。

 

 

 

ということで。
わたしの場合、今のままサラリーマンをしていたら、
わたしの考える幸せは手に入らない、という結論になりました。
なんてこったい。

 

 

 

自分の人生は、何のためにあるのか?

 

 

 

わたしは決して、今の仕事が嫌いではないです。
理不尽や納得できないことも少なからずありますが、
面白味もやりがいもありますし、同僚にも恵まれています。

 

 

 

ですが、わたしの人生は、会社や上司同僚に尽くすためでも、
サラリーマンをするためのものでもありません。
わたし自身と、家族をはじめ大事な人たちと、
幸せに生きていくための人生です。

 

 

 

そのために譲れないものを諦めず、全て手に入れる。
そして家族と幸せに生きていく。

 

 

 

繰り返しになりますが、それが今の、わたしの夢です。
絶対、簡単じゃないです。苦労も波風もあるでしょう。
心折れることも、人にバカにされることだってあるでしょう。
たぶん、並大抵の努力では叶いません。

 

 

 

それでも、やります。
わたしの中でぶれようのない軸が何か、幸せな人生の条件は何か。
それに気付いてしまったから。

 

 

 

もっと早く気付けばよかったとすら思いますが、
きっと、今の自分だから気付けたのだろうとも思います。
ちょっと前のわたしは、自分の夢が何かすら、
答えを持っていなかったんですから。

 

 

 

一部を実現して、一部を諦める。
それでは意味がない、とまでは言いませんが、
全て実現することがもちろん一番いいですよね。
目指しもしないものが手に入る奇跡は起こりません。

 

 

 

そのために、やるべきことはたくさんあります。

 

 

 

 

まずは、働かなくても稼げる方法を見つける。
しかも努力なし、短時間で、誰でもできそうな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

書いてみただけです。そんな仕組みは存在しません。

 

 

 

それはただの、詐欺の入口です。
自分で動いて努力して這いずり回って、掴み取る。
それで実現できるものです。
労せず手に入るわけはありませんよね。

 

 

 

わたしは、仕事をすることは充実した人生に必要だと思います。
お金のためもありますが、人と関わってたくさん刺激し合いながら、
よりよい形や結果に向かって試行錯誤と切磋琢磨を重ねる。
それこそが、自分を高め夢にたどり着く、唯一の方法です。

 

 

 

なので、わたしの思う幸せが実現できる働き方をする必要があります。
ただし、ひとつの仕事に絞ることはありません。
リスク分散の意味でも、絞るべきではないと思います。
仮に今の倍稼げても、朝から晩まで缶詰めでは意味ないですし。

 

 

 

夢を実現できる「環境」

 

家族との時間がとれて、一緒に色んな経験をしていける。
そのために一番いいのは、
場所と時間を自分で決められる仕事ですよね。

 

 

 

博打でなく、安定的に収入を増やすには、兼業が最も有効です。
政府もオススメとはいえ、サラリーマンには
まだまだハードルが高いですが。

 

 

 

一方で、複数の仕事で収入を得るためには、効率化が不可欠です。
時間の節約のため、作業にしろ、人間関係にしろ、
無駄は徹底的になくさなければ到底まわりません。
加えて、常にベストのパフォーマンスを出せなければなりません。

 

 

 

それらを追求できる働き方、つまり環境が必要です。

 

 

 

わがままな条件満載ですが、世の中に皆無ではありません。
むしろ、ITがあらゆるところに浸透し「繋がり」が増えている
これからの時代にこそ、どんどんと増えてくると思います。

 

 

 

うまくネットワークの仕組みさえ作れば、もはやオフィスは、
必要な時に借りて集まるだけの場所になりつつあります。
本当に重要な、他言無用や契約締結の場面とか、
製造や工事、教育などの現場を除くと、
もはや通勤すら時間を無駄にする行為になってきています。

 

 

 

対面し顔を見ながら話し合う意義、効果は間違いなくあります。
時にそれが予想以上の効果を発揮することがあります。
が、いつもでなくていいです。たまにだからいいのかも。
現代には様々なツールがあります。テレビ会議とかスカイプとか。

 

 

 

どんな仕事にも納期や締め切りがあるものですが、
それを守り、顧客が満足できるクオリティが維持できれば、
仕事をする時間、場所は限定する必要なくなりますよね。
AIの発達した社会では、そんな仕事しか残らないかもしれません。

 

 

 

人間関係はどうでしょうか。

 

 

 

サラリーマンの場合、上司や同僚が自分にとって大好きな人だけ、
という環境であれば、それは最高に恵まれていると思います。
また、社内外での飲み会も、いつも楽しみで仕方がない、
のであれば、いいと思います。

 

しかし、全てが全て、そうではないですよね。

 

 

 

部下は上司に服従するべし、を地でいく上司とか。
仕事以外にも自分の価値観を押し付けて満足する先輩とか。
飲み会とゴルフが最高のコミュニケーションと信じて疑わない、
団体行動が何より大事なご老体たちとか。

 

自分が飲みたい、ゴルフしたいだけでしょう。

 

 

 

サラリーマンは、仕事に関わる人間関係を選べません。
ですが、人間関係は仕事に影響します。確実に。
人間は好き嫌いする生き物ですので、仕事の対応や内容が
人間関係の良し悪しで変わってくるのは、ある程度仕方ないです。

 

 

 

なので、社内外の人たちと長い時間をかけてよい関係を築き、
その輪の中で便宜を図りながら仕事をスムーズにこなすという、
日本社会伝統の仕事の仕方は有効と言えます。
定時外も休日も、かなりの部分が関係づくりに費やされますが。

 

 

 

自分の人生は仕事のためにある、というのであれば、
一部の先輩上司が言うように、飲み会やゴルフなどに
全ての時間を捧げて良好な人間関係を築いて、
その輪の中で高いレベルの仕事をするのもいいんでしょう。

 

 

 

が、自分がやりたいこと、やるべきことが社外にある時にも、
短い人生の時間を大きく割く価値あるもの、でしょうか。

 

 

 

「何でもやれ、できるようになれ」とか言う人もいますが、
広く深く、何でもできる人はいません。なる時間もありません。
社内にしろ社外にしろ、仕事は、お互いに結果に責任を持つ
プロ同士として、スキルと成果をやりとりして進むと思います。

 

 

 

親しさや以心伝心で円滑に進めりやりたかは確かに有効ですが、
そんなズルズルとした馴れ合いが全てでは、決してありません。

 

 

 

むしろ、ほとんどのエコノミストが予想を外し、
変化についてこれなかった組織がバタバタ倒産する現代では、
時間がかかりすぎると足かせになるんではないでしょうか。

 

 

 

これが個人として尊敬してやまないとか、
仕事抜きに交流を持ちたいとか、そう思う相手であれば別です。

 

 

 

自分の人生を深め広げる友人になりたいと思う相手なら、
全力でお付き合いすべきですよね。
でなければ、仕事の上での付き合いでいいんではないでしょうか。
ドライに過ぎる考え方なのかもしれませんが。

 

 

 

仕事の上での人間関係と、プライベートでの人間関係。
入り混じる部分は当然あっていいと思います。
その方が、自分の可能性も広がります。
むしろ、境目を持たない生き方ができる環境には憧れます。

 

 

 

そうではなく、自分の人生において目指す姿、幸せに関して、
明らかに邪魔とか無駄になるものは断固、
お断りすべきだと思います。
難しいんですが、やはり意識すべきだと思います。

 

 

 

わたしはゴルフはしないので、飲み会の話に偏りますが、
わたしはお酒は大好きですが、相手によります。
家族や友人たち、気の置けない人たちとのひとときは、
何にも代えがたい価値があります。

 

 

 

また、一人で飲むお酒も好きです。
居酒屋は寂しくなるのでお一人様はしませんが、
行きつけの飲み屋やバー、家でのんびり飲むのもまたよろし。
自分の気持ちがいい時間は、無駄では全くありません。

 

 

 

一方で、悩み相談ならともかく、仕事の延長や愚痴大会とか。
特に、前にも聞いた同じ話を延々繰り返す場合は、苦痛ですよね。
しかも力関係上、非常に断りにくいとなれば、拷問です。
もうパワハラです。訴えてやる的な。

 

 

 

やるべきこと、やりたいことは公私ともたくさんあるのに。
時間とお金と体力を無駄にしている気がしてなりません。
仕事のやり方、考え方、人付き合いや飲み会一つにしても。
全部、自分の目指す幸せの糧になるものを選びたいですよね。

 

 

 

そんな働き方、人間関係を実現できる仕事は何か、環境はどこか。
今、あちこちと探しているところです。

 

 

 

ひとつの仕事にこだわるつもりはありませんが、
仕事はやってみなければわからないのも事実です。
候補を絞り終えたら、集中して取り組んでいきます。

 

 

 

自分の夢、ありたい姿、最高の形。
それを軸にして、実現するには何が必要か、何をすべきか。
それを明確にして、最高を目指して地道に取り組む。

 

 

 

それが、短い人生を望み通りに生きる、
たった一つの道ではないでしょうか。


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筆者:鳴海 研

化学メーカーにつとめる30代理系サラリーマン。
一人っ子として育てられたと思ったら実は違ったり、
借金で育てられたり家族が蒸発したり会社の先輩が失踪したり、
色々経験する中で辿り着いた、本当に生きたい人生とは。
あなたはどんな未来を実現したい?そんなことを書いています。

⇒鳴海研ってどんなやつ?

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