「進化版定期便」に見る、絶好の自己投資機会

 

どんどん増えていますね。「進化版」の定期便

 

 

 

定期便と言っても物流ではなく、購入のことです。
通販みたいな。

 

 

 

定期的に発刊されたり、かならず必要となるものを
一定期間ごとに買う契約をして、ちょっとお得になる。
定期便のシステムはありふれています。
郵便とか雑誌とか、新聞もそうですね。

 

 

 

それが、インターネット環境の普及で爆発的に広がっています。
しかも、新しい形で。

 

 

 

常備品は「注文を出す」ことすら古くなる時代

例えばオフィスに常備して、定期的に補充するもの。

 

 

 

ペンとかテープのような消耗文具もそうですし、
紙コップとか給茶器の粉なんかもそうでしょう。
会社によっては、ちょっとひとつまみのおやつなんかも。

 

 

 

わたしの会社にも、数カ所、補充式のお菓子ボックスがあります。
7種類ぐらいの小袋のお菓子からひとつ選んで、
100円を投入します。
結構人気で、2日置きぐらいに業者さんが補充に来ます。

 

 

 

そんな常備品の補充は、形はいろいろあっても、
結局は買い手が売り手に注文しますよね。
売り手としては注文もないものを納めることはできません。

 

 

 

それがいま、劇的に変わってきています。

 

 

 

例えばAmazon。

 

いつの間にか、トップページの右のほうにボタンが出るようになりました。
定期的に買うものを、一回に買う数量だけ、
ウィジェットのように登録したものが表示されます。

これをポチッと押すと、1クリックで注文が完了します。

商品を探すこともなく。

 

 

 

例えばキットカット。

まだ新しいサービスですが、キットカットを収納した箱の外に
スイッチがあって、これをポチッと押すと補充の注文完了。
担当者が確認に来て補充してくれるそうです。
低消費電力、低コストの無線通信技術で実現したものです。

 

 

 

こういう仕組みが広がっていくと、
もはや「いつものアレ」はページを繰ったりHPで探すこともなく、
もちろん注文書を出したりすることもなく、
指先一つで買うことができます。

 

 

 

今ある定期便は、基本的に、売り手側が設定した「定期的」に
買い手が合わせる形が多いです。
ですが、この「進化版」では、買い手が欲しい時に買えるわけです。

 

 

 

販促機能だけ従来版にして、定期的にメールが送られるとかすれば、
買い忘れを防ぐこともできるかも。

 

 

 

特に日本は、これからも少子高齢化が進んで行きます。
ですが技術はすごい速さで進歩をしていって、
対応しきれない人の方が多くなっていくでしょう。

 

 

 

そんな時代、「これを押せばこれが買えるよ」という
わかりやすいサービスは、需要が増えていきます。
確実に。

 

 

 

なので、ぜひ、フォーマットを統一して、
どんどん広げていけばいいと思います。

 

 

 

とはいえ、いいことばかりでは…

 

進化版の定期便、つまりポチッと買いは、非常に便利です。

 

 

 

考えることも悩むこともなく、ボタン一つで済むんですから。
まあ、売り手側の在庫管理はちょっと手間そうですけど。

 

 

 

ただ、それに慣れすぎると、弊害もあるように思います。

 

 

 

ものを買う時って、求める以外の情報にも必ず触れますよね。
例えば今日の特売品とか、季節ものとか、新製品とか。
広告であれHPであれ、これらは目につきやすいところにあるので、
絶対に何かしら目に入ってきます。

 

 

 

ところが、便利だからといってポチッと買いばかりになると、
この、ある種余計な情報に触れる機会が減ります。

 

 

 

そうすると、今、定期的に買っているものよりも
実はもっと機能がよかったりお得だったりするものがあるのに、
気付かない事が出てきます。

 

 

 

「あれがいいかな、これがいいかな」と考えたり、
「これ、ちょっと試してみようかな」と冒険したり。
そういう機会も減ってしまいます。

 

 

 

それは実は、結構大きな「損」です。

 

 

 

 

「浮いた分を投資する」という考え方

 

技術進歩で生活が便利になると、頭と身体の時間が浮きます。

 

 

 

もちろん、日々疲れている身体、心を癒すことに使うのはありです。
ですが、暇だからとゲームとかSNSに使ってしまうのは、
浮かせっぱなしにするのは、あまりにもったいないです。

 

 

 

浮いた頭で、自分にとって新しいことを考えましょう。
浮いた時間で、自分にとって新しいことを始めましょう。

 

 

 

浮いた分を、自分の成長に投資しましょう。

 

 

 

別にまとまった時間でなくても大丈夫です。
ちょっと空いた15分に本を読むとか、
興味あることについて調べたりとか、筋トレするとか。
あいま時間でもできることは多いです。

 

 

 

それが一カ月、半年、一年二年と積み重なれば、
その時は、今の自分から大きく成長しています。
間違いなく。

まさに「チリも積もれば山となる」です。

 

 

 

その習慣がつけば、成長は更に加速していきます。

 

 

 

せっかく浮いた時間。
しっかり投資して、最短時間で成長した自分を手にしましょう。


あなたの人生が輝きだす!楽しく生きるために大事な、たった2つのこと

 

世の中にはすごい人がいます。

 

 

 

「すごい」と書いてしまうとなんとも陳腐ですが、
こんな人になりたいなあ、と尊敬し憧れる気持ち全部を
一言で表すと、やっぱりすごい、と言わざるを得ません。

 

 

 

100歳近くになっても、人間はこんなに輝けるのか、と。
自分の人生が残り少ないことがわかっていても尚、
こんなに貪欲に、前向きに進めるのか、と。
驚きながら、とても清々しい気持ちになりました。

 

 

 

 

 

瀬戸内寂聴さん。

 

 

 

 

 

 

天台宗の名誉住職であり、比叡山延暦寺の禅光坊の住職であり、
そして小説家でもあります。
波乱万丈という言葉では到底治まらない人生を送ってきて、
その経験をもってたくさんの悩める人に助言もしています。

 

 

 

恋愛小説、伝記小説家としての経歴もさることながら、
源氏物語の現代日本語訳をしたり、
ケータイ小説にも進出したりと八面六臂に活躍されています。

 

 

 

90歳を超えてからがんの手術もされています。
体力面の心配から、高齢者の手術は敬遠されるもの。
医者も、本人も。

それを即決して受けて成功したのだから、その生命力たるや、ですね。

 

 

 

95歳を超えても複数の新聞に連載を持って、
月に数日の徹夜もされています。
そんな忙しい中でも、「注文してくれればいくらでも書く」と
執筆意欲が衰えないのは、もう不思議にすら思います。

 

 

 

きっと、まだ書けていないこと、書きたいことが
たくさんあるんでしょうね。
「小説が大好き。今度生まれ変わっても小説家になりたい」
という言葉に滲み出ています。

 

 

 

短編だけでなく、長編小説も刊行しています。
なんという貪欲さ。

 

 

 

その顔は、同年代のわたしの祖母よりも10歳は若く見えます。
輝いています。
前を見ているんだな、と直感で思います。
楽しそうに生きているな、こんな風になりたいな、と思います。

 

 

 

酸いも甘いも、苦しいこともドン底に落ち込むことも
きっとたくさん経験してきて、
それを全部かみ砕いて飲み込んで、今の寂聴さんなのでしょう。

 

 

 

わたしたちもそれぞれに違う経験をしてきて、
いっぱい考えて期待も後悔も失望もして、
今のわたしたちになり、今の場所にいます。

 

 

 

今の生活に、今の生活が続くことに完全に満足していますか?

 

 

 

そんなわけないですよね。

 

 

 

不満だってあるし、「こうなりたい」ってものもあります。
追い求めれば絶対手に入る。
かもしれないし、手に入らないものもあるかもしれません。

 

 

 

でも、追いかけないと届かないし、
自分から動かなければ、したいこともできない。

 

 

 

そうやって追いかけて動く人生こそ楽しいんだと。
そうやって生きてこそ、わたしたちの人生は輝くんだと。

 

 

 

そう、再認識しました。

 

 

 

あなたはどう生きていますか?


あなたの未来は前にしかない!歩きスマホで失う大事なもの

 

「歩きスマホは危険ですのでおやめください」

 

 

 

スマホの普及率が70%を超える現代。

 

 

 

電車の中、カフェのテーブル、人待ちの柱にもたれて。
時には人と話している間、食事中にも。
スマホを片手に過ごす人がとても増えています。

 

 

 

ガラケー時代にも「携帯がないと死ぬ」という人は
少なからず存在していましたが、
今ではもっと多いんじゃないでしょうか。

 

 

 

いつでもどこでも(電波があれば)情報は取れるし
ゲームはできるし友達とも連絡が取れる。
本当に便利なツールなので、自転車や歩きながらでも
使ってしまうことはわかります。

 

 

 

が、一方で、スマホに集中するあまり事故を起こす割合が
うなぎのぼりに増えています。
事故型トップ3は「ぶつかる」「転ぶ」「落ちる」だそう。

 

 

 

ぶつかる、はわかりますね。前をみていないので。
通常なら確実に避けられる電柱とかに。
対向する歩行者、自転車、時には車に、ぶつかる。

 

 

 

転ぶ、もまあわかります。足元が見えていないので。
小石とか小枝みたいな落下物を踏むとか。
何かにぶつかりそうになって、
とっさに避けたらバランスを崩すとかもありそうです。

 

 

 

落ちる、というのは、冗談みたいですが実際にあります。
足が溝に落ちる、自転車ごと用水路に落ちる、
ホームから落ちる、段差から落ちる、そんな感じで。

 

 

 

人間の集中力なんて、ある種、たかが知れています。
逆にすごいとも言えますが。

 

 

 

一つのことに没頭すると、周りが見えなくなります。
音すら聞こえなくなります。
本当は見えているし聞こえているけど、
脳がちゃんと認識しないんですね。

 

 

 

わたしたちの身体は脆いので、壊れないように
意識的に危険を避けています。

 

 

 

何かにぶつかる時も、「あ、ぶつかる」とわかれば
身体をひねって急所を避けて、
ぶつかるものから遠ざかって衝撃を逃がします。

 

 

 

それが全くなく、ただ純粋に真っすぐぶつかると、
簡単に壊れてしまいます。
あなたも経験があると思います。
不意に何かにぶつかった時、本当に痛いですよね。

 

 

 

そんな風に、スマホに全力没頭して全力で事故る人たちが
後を絶たないので、
歩きスマホを条例で禁止する都市も出てきました。

 

 

 

目の前の事に必死になり過ぎると、
自分が目指している方向とか場所を見失います。
迫りくる危険にだって、そのまま飛び込んでしまいます。

 

 

 

しっかり前を見るべき時は、前を見据えて。
一歩一歩、未来に向かって歩いていきましょう。


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多様化する今だからこそ。子どもに伝える唯一不変の真実とは

 

多様性を大事に。個性を磨く。一億総活躍。
ダイバーシティ社会。

 

 

 

そんな口当たりの良い言葉がやんやと言われていますが、
現実はこんなもんか、とがっかりしました。
もう、昭和時代の全員「横へならえ」世代というか、
いったいあんたは何時代の人なの、という感じです。

 

 

 

多様性って、個性って?

 

生まれつき髪が茶色い高校生が、学校から黒染めを共用されて
裁判所へ提訴したそうです。
精神的苦痛を受けて、不登校になって。

 

 

 

「その髪の色では登校させられない」
「黒染めを約束するまで帰さない」

 

 

 

いやいやいや…髪が茶色いからって一体何なの?
日本人は真っ黒な髪じゃないとおかしいと?
たぶん教員の一人が言ったんだと思いますが、
そのうち目の色とか足の長さまで口出ししてきそうですね。

 

 

 

ある程度指導要領に沿った指導をしなければいけないところが
先生のちょっと哀しいところですが、
先生が教えることって勉強だけじゃないですよね。

 

 

 

うまく集団生活を送れるようにとか、人との付き合い方とか、
生徒がどんな人生を歩みたいか考えさせてあげるとか、
壁にぶち当たっても諦めずに頑張る気持ちとか、
人と違うことが壁にもなり武器にもなることとか。

 

 

 

そういうことを、自分が手本となって教えてあげる。
先生ってそういう役目もあると思うんです。
そりゃ欠点もあるし好き嫌いも得手不得手もあります。
先生だって人間なので。

 

 

 

でも、見た目が人とちょっと違うからって、
それを周りと同じように揃えることを強要するとか。
髪の色が違うなんて、背の大きい小さいぐらいの違いでしかないのに。

 

 

 

自分の子どもがこんなことを言われたら、
言われるだけでなく強要されて、世の中が怖くなってしまったら。
別に学校へ行かないのはいいと思うんですが、
前へ進む力を挫かれてしまったとしたら。

 

 

 

そんな大人は、大人として断固認められないですよね。
全力で排除します。それか、別の環境へ移ります。
関われば関わるほど害を受けそう。

 

 

 

と思うんですが、あなたはどうでしょうか?

 

 

 

違うからこそ、価値がある

 

ちなみに提訴を受けて、教育庁は「ノーコメント」ですって。
たかが知れますね。
くだんの大人(たぶん教員)を認めているようにすら見えます。

 

 

 

そんな人たちは、多様性を大事にとか個性を磨けとか、

決して口にして欲しくないです。

 

 

 

替わりに、同じことが最高、違うのは悪、目立つのは恥。
そんなことを言って、社会から駆逐されてほしいですね。

 

 

 

明治や昭和ならいざ知らず、いやその時代だって、
みんな違っていたし目立つ人だっていたんですよ。
これからの時代、みんなと同じことしかしない人間に
居場所はないです。

 

 

 

子どもたちをそんな人間にしない。
違って当たり前、人と違うところこそ素晴らしいんだと。

 

そんな当然のことを教えられる社会にしていきたいですね。


息子を轢き殺したのは、人?車?会社?

 

2015年に滋賀県で車にはねられ死亡した男子高校生の両親らが、
運転していた人の勤務先に対して1億9千万円の損害賠償を求めて
2017年6月、地裁に提訴したそうです。

 

 

 

勤務先はマイカー通勤を認めていて、両親らはその会社に対しても
責任があるということです。
男子高校生がはねられたのは信号のない交差点の横断歩道で、
2月末の19時頃。冬の19時は真っ暗ですね。

 

 

 

運転していた人は帰宅中で、制限速度を超過していたといいます。
運転者の責任は疑いようもないですね。
外が暗いのもわかっているし、信号がない横断歩道があるような
狭い交差点では、飛び出してくる前提で運転しないといけません。

 

 

 

免許を取るときに真っ先に習うような、
シミュレーターでミスするお手本のような、
あまりに当たり前の事例です。
この人はちゃんと償わなければいけません。

 

 

 

ただ、会社にも責任があるのかというと…どうでしょうか。

 

 

マイカー通勤を認めている会社はたくさんあります。
その全員に、法律違反をしたりその結果事故を起こした時、
マイカー通勤を認めた会社にも非があるかというと、NOでは?

 

 

 

親御さんの気持ちは想像できます。
運転者の会社さえマイカー通勤を認めていなければ、
息子は亡くならずに済んだに違いない。
そうも思うでしょう。

 

 

 

実際、わたしの勤めている会社では、
どんなに不便だろうとタクシー代が高くつこうと、
業務で運転することを認めません。
あまりに不便な場所からはマイカー通勤を認めていますが。

 

 

 

社員が事故を起こした時のリスクが大きすぎるから、
それをお金でカバーできるなら高くはない。
確かにそれも一つの方法です。
営業から見ると、不便で仕方ないですが。

 

 

 

ただ、速度超過とか飲酒運転とか一時不停止とか、
法律違反をした場合、そして事故に至った場合。
これはもう、個人の責任になるのではないかと思います。
自分の注意で防げるし、それを防ぐ行動をしなかったんだから。

会社の命令でやったんなら話は別ですが。

 

 

 

「そんな運転をする人にマイカー通勤を認めるからいけない」
とかそういう理由で会社の責任になるなら、むしろ、
そんな運転をする人に免許を与えた国が悪いわけです。

 

 

 

そうなるともう、この世から自動車をなくすしかないですが、
まあ無理です。

 

 

 

追突防止の自動ブレーキはかなり普及してきています。
これを搭載していないから人身事故が起こったんだ!
という言い方もできそうですが、事故を完全に防ぐ、
そこまでの技術ではないです。

 

 

 

早く完全な自動運転の技術が完成して欲しいですね。

 

 

運転そのものが人間の不確かな手を離れて、
目的地までかかる時間はあらかじめわかっていて、
誰もが粛々と運搬されていく。電車みたいに。

 

 

 

焦ることに意味がなくて、焦ったところでどうにもならない。
でも、ちゃんと計画して使えば楽で便利。
飛び出してきても止まれる速度でしか走らない。
高速運転する場所は、歩行者は入れない。

 

 

 

そんなルールにして。

 

 

 

本当に幸運だと思いますが、わたしたちは、
そんな世の中を迎えることができそうですね。
待ち遠しいです。


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筆者:鳴海 研

化学メーカーにつとめる30代理系サラリーマン。
一人っ子として育てられたと思ったら実は違ったり、
借金で育てられたり家族が蒸発したり会社の先輩が失踪したり、
色々経験する中で辿り着いた、本当に生きたい人生とは。
あなたはどんな未来を実現したい?そんなことを書いています。

⇒鳴海研ってどんなやつ?

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