完璧主義をやめる。そして完璧を選ぶということ


 

この世には、呪いの言葉が確かに存在します。

 

 

 

「どうせやったってダメなんだから」とか
「そんなのどこ(場所、会社など)でも一緒」とか
「これくらい完璧にやらなきゃ」とか
「自分は完璧主義だから」とか

 

 

 

呪いといっても、病気にするとか呪い殺すとかではないです。
不幸にさせる、という意味ではそうなのかもしれませんが、
「未来を縛る言葉」です。「完璧」もそうですね。
特に完璧主義となると、自分を縛ります。

 

 

 

本来はいい意味の言葉です。
完璧な出来、完璧な状態、完璧な結果、完璧なプロポーション。
これ以上なく、100%の、欠点がない状態やものを指します。
大事なことを完全に成し遂げる、という意味もありますよね。

 

 

そもそも「完璧」って?

 

もともとは「完」全な「璧」、つまり傷のない宝石を意味します。
「壁(かべ)」ではないのでご注意を。

 

 

 

中国の戦国時代、有名な璧を他国の国王が欲しくなって、
15個の城との交換を申し出たので使いが璧を持って参じたところ、
反故にされたというか、城と交換する気配がなかったので、
傷をつけないように命がけで持ち帰った、という故事があります。

 

 

 

その故事「完璧而帰」=璧を全うして帰る、から今の意味になりました。
なので「完璧主義」となると、いかなる状況からでも傷一つつけず、
璧を持ち帰ってくることを自分に課す、ということになりますね。

 

 

 

いやいやいや、無理でしょう。
どれだけ柔らかい布に包んでも一回ぶつければ傷はつくし、
そもそもがモノの表面なんで傷だらけです。目に見えないだけで。
とか言ったら、本当に完璧主義の人は気が狂いそうですね。

 

 

 

キーワード「完璧主義をやめる」で検索したり本を読むと、
よく「8割主義」という言葉に行き当ります。
仕事のやり方について語られることが多いようです。

 

 

 

100%なんて永遠に到達しない。90%でもあまりに時間がかかる。
それなら80%の段階で提出や報告をして、顧客とか上司、
世の中の反応を見て、追加とか修正をすればいい。

 

 

 

完璧主義は、100か0かの両極端な思考にも陥る。
結果が100%でなければ全くダメと考えてしまうと報われることがない。
むしろ結果に至る過程が重要で、過程を改善することが
望ましい結果につながる。

 

 

 

人との付き合い方も、相手に完璧を求めてはいけない。
完全に理解し合えることはないので、これも80%でよしとする。
完璧主義に陥るのはそもそも、失敗を恐れるからだ。
成功者ほど失敗経験が多い。行動して失敗から学び、成功する。

 

 

 

などなど。
失敗を恐れず、100%を求めず、周りの見解や意見も求めながら
過程を試行錯誤して、仕事をうまく進めたり生きやすくしましょう。
ということだと思います。

 

 

 

うん、その通りですね。

 

 

 

数えられるもの、何かの量とか個数を揃えたりする以外に、
人が何かをしたり求める時に、100%の結果なんてありません。
考えれば考えるほど、不足とか不確定要素は底なしに出てきます。
結果は未来にしかなくて、未来は決まっていないから。

 

 

 

それなら「うまくいく可能性があるね」ぐらいの段階で、
一度結果を見てみるのが早いです。
現実の判断材料があれば、過程の改良や変更もできますし。
個人的には、調査とか検討なら60%で踏み切るぐらいでもいいと。

 

 

 

他人との相互理解なんて、30%もあればいいのでは?
そもそもが、どれだけ理解すれば100%かなんて、知りようがないです。
自分には思いもつかないものを相手は持っています。お互いそうです。
それが「違う人間だ」ということで、だから面白いんですね。

 

 

 

完璧を目指すのは、無駄…?

 

ですが、どうでしょうね。完璧主義はよくないですが、
なんでもかんでも8割主義、というのもちょっと違いませんか?
もっと低く6割主義でもいいのでは、という部分もありますが、
完璧を目指さないといけない事もあると思います。

 

 

 

完璧主義に何でも完璧を目指すのではなくて、選ぶということです。
譲れないと言い換えることもできますね。
大事な何かのために行動を始める時、やっぱり目指すのは
完璧なんだと思います。理想、ですね。

 

 

 

例えばスポーツ選手がトレーニングする時。
目指すのは完璧なフォームだったりスイングだったりして、
そこにくっついてくるのが最高の結果なわけです。

 

 

 

完璧なフォームやスイングは当然、簡単には会得できません。
個人差もあるでしょう。でも、それができた時、すごい結果が出る。
そのために努力して努力して、完璧なフォームとかができる確率を
ちょっとでも上げるんですね。確立が上がることが成長です。

 

 

 

そして、成長する過程で、目指す「完璧の形」が変わることもあります。
こうやった方がいいんじゃないか、こういうチャレンジもいいかも。
そうやって試すことで、成長していくことができます。
たぶん、永遠に、完璧には辿り着かないからこそ、際限なく進めます。

 

 

 

逆に、結果に完璧を求めてしまうと、おかしくなります。
完璧な結果のその先には何もありません。完璧なんですから。
そして、完璧な結果を出すには過程も完璧じゃないといけないし、
過程も結果も完璧にするには、いつでも必ず完璧にできないといけません。

 

 

 

言い切りますが、そんな日は来ません。
自己満足で済むなら、もしかしたら満足できるのかもしれませんが、
他人からも完璧であることを認めてもらいたいと思うでしょうね。
人が違えば完璧の形も違います。なので、無理です。

 

 

 

完璧主義の人が辛くなってしまうのは、そこなんじゃないでしょうか。
完璧を目指してめちゃめちゃ頑張るけど辿り着けない。
「できた!」と思っても、人からは「完璧じゃない」と言われる。
辛いですね。完璧にできない自分はダメな人間みたいな気がしますね。

 

 

 

諦めましょう。すっぱりと、今すぐに。
完璧にできないことがいけない、と思うことを。
もしかしたら、完璧主義であることを誇りに思う、そのことも。
目指すべき完璧な人間は、古今東西、いません。

 

 

 

完璧のための道は、完璧でなくてもいい

 

とはいえ、もし8割主義っていうことで80%を目指すなら、
「できた!」と思えて他人もそう評することがあるかもしれませんね。
どこが80%なのかはわかりませんが。

 

 

そしてそう思って満足した時点で、そのことに対してはおしまいです。
達成感を得ておしまい。それ以上はありません。

 

 

 

これが業務とかルーチン的なことなら、いいと思うんです。
時間との兼ね合いや効率を考えれば、むしろ80%でやめるべきでしょう。
研究や開発での調査検討もそうです。時間とお金がかかり過ぎます。
支払いとか請求とか、お金が絡む、間違い=トラブルの仕事は別ですが。

 

 

 

でも、例えば会社が将来あるべき姿とか。
新しい製品が持つ、世の中を変えるような特徴とか。
自分がどんな生き方をするのか、とか。どうなりたいか、とか。
大事な人とどうなりたいか、大事な人をどうしたいか、とか。

 

 

 

いわゆる「軸」になる、譲れない大事なこと。
それは、8割の達成で済ましてしまえるわけがないですよね。
完璧を狙いに行くしかありません。譲れないことだと思います。

 

 

 

ただ、目指す「完璧」は、自分の成長や進み具合で
変わっていっていいですよね。
時間の制約だってガッツリあります。自分が生きている間だけです。
わたしの場合、あと40年程でしょうか。たったそれだけです。

 

 

 

完璧に近づく近道になるなら、過程は8割とか6割主義でいいです。
過程一つ一つは中途半端であっても、その先に早く進めるなら
その判断は最適です。完璧ではなくても。
足を引っ張ったら元も子もないですが、時間が惜しいです。

 

 

 

何でも完璧にしたいという気持ちを捨てて、完璧主義をやめて。
報われませんし、大事なものは手に入りません。

 

 

 

もっともっと先を見て、譲れないものをそこにおいて。
それを完璧に手にするために、一番いい方法を考えて。
時間も大事です。一番早い方法を選んで。

 

時には思い切って、重いだけの荷物は置いて。

一歩一歩、いきましょう。


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筆者:鳴海 研

化学メーカーにつとめる30代理系サラリーマン。
一人っ子として育てられたと思ったら実は違ったり、
借金で育てられたり家族が蒸発したり会社の先輩が失踪したり、
色々経験する中で辿り着いた、本当に生きたい人生とは。
あなたはどんな未来を実現したい?そんなことを書いています。

⇒鳴海研ってどんなやつ?

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