「自分を知る」AI時代に埋もれない、たった一つの方法

 

ついに来ましたね。

何もスキルがなくても、経験がなくても、
健康ならなんとか食べていける。
そんな時代が終わろうとしています。

 

 

 

そんな時、まずしなければいけないのは。
自分とじっくり向き合って、自分を知ることじゃないでしょうか。

 

 

 

人間であること、って?

 

世の中にAIとか自動運転技術が登場して、随分経ちました。
今や床の掃除機がけとか自動車の非常ブレーキ、
簡単な受付や案内業務、洗濯物を畳んだりは、
人間の代わりにロボットができる時代です。

 

 

 

声で個人の識別ができ、ひと声かけるだけで家電の操作もできます。
高速道路で前の車についていくのも、渋滞時のペダル操作も肩代わり。
スマホに話しかければ、リアルタイム翻訳だってできます。

 

 

 

わたしたちの日常に深く溶け込みつつあるこれらの技術が、
ついに、建築現場の資材搬送や鉄骨の溶接まで行おうとしています。

 

 

 

建築は芸術の一種です。
わたしは全くの素人なので技術的なことはわかりませんが、
周囲の景色や環境と調和し、来た人に驚きや安らぎを与え、
自然現象への耐性を兼ね備え、機能を持っています。

 

 

 

そもそも「調和」とか「驚き」「安らぎ」といった感覚は、
人間特有のものです。好き嫌いだってあります。
なので、それらを設計し生み出すのも評価するのも、
人間にしかできません。

 

 

 

ですが、設計された建築を、図面や工程通りに作ること。
これは、ロボットにもできる分野です。

 

 

 

一方で、建築現場では、狭い中たくさんのロボットが一斉に動くし、
GPSの電波も届きにくい。
立体的な構造の中、たくさんのロボットを制御しなければいけない。
そんなことから、これまで自律型ロボットの導入は難しいものでした。

 

 

 

なので、機械を使いながら、人が現場に入って建築をしてきました。
厚い中寒い中、時に足場の不確かな中で重い資材を持ち運ぶ。
当然、体力のいる仕事です。
管理者には建築と安全衛生の専門知識もいります。

 

 

 

ですが、清水建設は建築現場に自律型ロボットを投入するそうです。
なんと自社開発。2018年から一斉投入するそうですね。
しかも、100カ所の工事現場で8,000台のロボットを管理できる
システムも開発したとあっては、すごい!の一言です。

 

 

 

3次元の設計図面とかセンサーで自分の位置を把握できるそうです。
資材を運ぶ搬送ロボ、資材の積替えロボ、天井への内装材据え付けロボが
あって、搬送ロボがエレベーター経由で据え付けロボに資材を渡せる。
連係プレーもできるとは!ロボコンどころじゃないですほんと。

 

 

 

これ、人間がする場合より7割少ない人数で運用できるんですって。
検証予定の地上30階建てビルの場合、のべ6,000人減らせるそう。
のべ人数とはいえ、恐ろしいですね。
小さいビルとかなら、十数人ぐらいで建てられるのでは…。

 

 

 

このロボたち、2~3カ所で転用すれば投資回収できるらしいので、
検証が終わり次第、大手ゼネコンがこぞって大量導入すると思います。
となれば、一体何人の作業員の削減になるのか。
日雇いや有期限の人が多いと思うので、えらいことになります。

 

 

 

これからの時代の「価値」

 

AIやロボットの発展によってたくさんの仕事が人の手を離れる、
と盛んに言われていても、ピンと来ていなかった人も多いのでは?
最悪、健康な身体があれば、コンビニとか本屋のバイト、
交通整理とか建築現場で働けば食べてはいける、とか。

 

 

 

そんな時代は終わろうとしていますね。明らかに。どうしようもなく。
この流れは逆行しないです。だって企業にとって良いことだし。
労働力としての人間は、使い回しはきくけど休みがいるし、
怪我するし死ぬしそうなったら周りがうるさいし。

 

 

 

でも、ロボットは燃料補給とメンテさえすれば、
壊れるまで働きます。文句も言わず。工期もすごく短くなります。
人間の出る幕は究極、ロボたちが間違いなく動いているか
監視するぐらいしかなくなります。

 

 

 

そんな時代、肉体労働しかできない人たちの行き場は、
たぶんありません。
そんな旧式でコスト高の労働力は、記録とか資料の中行きです。

 

 

 

人間だからこそできること。人間にしかできないこと。
SFでは、機械が人間を飼う世界も描かれます。
それは行き過ぎとしても、お金とか「対価」を払うという行為は、
対価に見合う価値を見出した時、心を動かされた時です。

 

 

 

そして、心は人間にしかありません。
もし機械が心を持ったなら、それは機械ではありません。
人の心を動かすこと、それに価値を見出せるのも、人間だけです。
そんな時代に必要なのは、「自分は何をしたいか」だと思います。

 

 

 

誰のために何がしたいのか。
それを知るためには、常識とかしがらみを一旦置いて、
自分にじっくり問いかけるしかないと思います。
自分を知る、ということしかないと思います。

 

 

 

今すぐではないかもしれませんが。
自分を知り、したいことをすることに価値がある時代は、
その足音は、そこまで来ています。


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会社を辞めることが「正しい」その条件について

 

 

「幸せの100円パン職人」

 

 

 

なんとも幸せそうな社名ですね。
わたしの家の近くにも、全品100円でおいしいパン屋さんがあります。
妻もわたしも重宝してます。

 

 

 

幸せの100円パン職人。京都に2店舗ある、パン製造会社のようです。
はい、この会社、すぐに辞めましょう。いますぐ。
運営している飲食店経営会社「RAIZO」この会社もすぐに辞めましょう。
久しぶりに強い憤りを感じます。

 

 

 

昨年6月5~11日、50代の男性社員に約25時間の違法残業をさせました。
深夜勤務も含みます。
時間外の労使協定を結ばず、深夜勤務にかかる半年ごとの健康診断も
受けさせませんでした。

 

 

 

そして、昨年9月22日、勤務中に倒れている所を発見されました。
それから1年経とうかという現在も、意識不明のままです。
京都労働基準監督署が書類送検したのは先ほどの違法残業に
関してだけですが、見えていない部分もかなりあるのでは。

 

 

 

こんな会社は辞めましょう。
法的には辞める2週間前に退職届を出さないといけないので、
明日出して、来月には辞めましょう。

 

 

 

どこに憤りを感じるって、労使協定や健康診断について知らなかった

と言っているところです。ここの社長。
知らなかった、ですよ。
本当か嘘かはともかく、こんな言葉が出てくるのが信じられません。

 

 

 

全部台無し

 

社長は35歳の女性です。わたしと同世代です。
きっと、女性の目線も活かして、家庭を笑顔にできるパン屋さんを
目指しているのでしょう。

 

 

 

ホームページを見ると、かわいらしいデザインです。
季節限定コンテストで、子どもからパンのデザインを募集して
新商品に採用するなんてこともやっています。

 

 

 

いいですね。
地域の人と一緒になって仕事をする、笑顔にして、自分も笑顔になれる。
すごくいいスタンスだと思います。

 

 

 

100円のパンで得られる利益がどのくらいのものか、
わたしは全く知りませんが、結構業績もいいみたいです。
10あるうちの4つの店を生地工場、本社を統合し、新社屋を建てると。
業者や企業向けケータリングも手掛けています。

 

 

 

募集要項には、本部事務スタッフは週休2日、年末年始夏季休暇あり。
正社員=パン製造職人は休日週1日、昇給・賞与あり、社会保険完備。
アルバイトはシフト制、交通費支給、まかない食べ放題。
そんなことが書いてあります。

 

 

 

求人雑誌に載る最低限の情報、という感じでしょうか。
まあ、応募してからわかる詳細もあるので、そんなもんでしょう。

 

 

 

気になるのは労働時間。
本部事務スタッフは実働8時間、休憩1時間。
それに対して、パン製造職人は、0時~20時の間で実働10時間程度。
これ、ホームページに載っているそのまま書いています。

 

 

 

中学校かどこかで「労働は一日8時間まで」って、習いませんでした?
おかしいですよね。
実働10時間をうたう会社、初めて見ました。
実働8時間、残業5時間みたいな会社はいっぱいありますけど。

 

 

 

書類送検の内容で「7日間で約25時間の違法残業」といいました。
一日3~4時間。
自分の安売りが好きな人の中には「そのくらい」と思う人も
いるかもしれません。

 

 

 

でも、ベースの実働時間が10時間なので、実際は一日14時間とか
働いたわけです。普通の会社なら、1日6時間の残業です。
しかも深夜に食い込むこともあったわけです。
過酷ですね。

 

こんな働かせ方をする会社は辞めましょう。

 

 

 

実際は労使協定とか特別協約があれば、一カ月とか期間限定で
従業員を就労させることは、可能です。
ただし、労使協定がなければ違法ですし、
会社の好き放題に働かせてしまえます。それこそ死ぬまで。

 

 

 

それでまかり通るかというと当然、通りません。
違法は違法です。訴えたら勝ちます。
そうでなくても、経営者には安全配慮義務というものがあります。
心身の安全と健康を維持増進する義務ですので、これも通りません。

 

 

 

本来なら、労働者側もこういう事を知っておいて、
条件や環境を整える要求を出して、労使一緒に実現していくのが
一番いいんだと思います。
こんな会社辞めますよ、というよりは、こんな会社にしましょうよ、と。

 

 

 

それにしても、経営者が労使の関係や法律をある程度知っている前提です。
知らないなら勉強しないといけません。
自分の会社を立ち上げて、人を雇って働いてもらって、
自分の理念やビジョンに賛同する人たちと大きくする、その一番前に。

 

 

 

それを怠って、もしかしたら怠っている自覚すらなくて、
誰かの健康や安全を損なってから「知らなかった」だなんて。
会社が倒れれば従業員やその家族が困りますし、
従業員が倒れれば本人とその家族が泣くことになります。

 

 

 

「幸せの100円パン職人」がどんな理念を掲げているか知りませんが、
きっと、従業員やその家族が泣くことではないでしょう。
それを未然に防ぐ努力と準備を全くしない人の会社なんて、
すぐに辞めましょう。

 

 

 

時間の無駄どころか、悪影響まで与えられます。
自分だけでなく家族まで及びます。

 

 

 

あなたやわたしがいなくても会社はどうにかなりますが、
あなたがいなければ、あなたの家族は幸せになれません。

それを理解しない会社なんて、すぐに辞めましょう。


完璧主義をやめる。そして完璧を選ぶということ

 

この世には、呪いの言葉が確かに存在します。

 

 

 

「どうせやったってダメなんだから」とか
「そんなのどこ(場所、会社など)でも一緒」とか
「これくらい完璧にやらなきゃ」とか
「自分は完璧主義だから」とか

 

 

 

呪いといっても、病気にするとか呪い殺すとかではないです。
不幸にさせる、という意味ではそうなのかもしれませんが、
「未来を縛る言葉」です。「完璧」もそうですね。
特に完璧主義となると、自分を縛ります。

 

 

 

本来はいい意味の言葉です。
完璧な出来、完璧な状態、完璧な結果、完璧なプロポーション。
これ以上なく、100%の、欠点がない状態やものを指します。
大事なことを完全に成し遂げる、という意味もありますよね。

 

 

そもそも「完璧」って?

 

もともとは「完」全な「璧」、つまり傷のない宝石を意味します。
「壁(かべ)」ではないのでご注意を。

 

 

 

中国の戦国時代、有名な璧を他国の国王が欲しくなって、
15個の城との交換を申し出たので使いが璧を持って参じたところ、
反故にされたというか、城と交換する気配がなかったので、
傷をつけないように命がけで持ち帰った、という故事があります。

 

 

 

その故事「完璧而帰」=璧を全うして帰る、から今の意味になりました。
なので「完璧主義」となると、いかなる状況からでも傷一つつけず、
璧を持ち帰ってくることを自分に課す、ということになりますね。

 

 

 

いやいやいや、無理でしょう。
どれだけ柔らかい布に包んでも一回ぶつければ傷はつくし、
そもそもがモノの表面なんで傷だらけです。目に見えないだけで。
とか言ったら、本当に完璧主義の人は気が狂いそうですね。

 

 

 

キーワード「完璧主義をやめる」で検索したり本を読むと、
よく「8割主義」という言葉に行き当ります。
仕事のやり方について語られることが多いようです。

 

 

 

100%なんて永遠に到達しない。90%でもあまりに時間がかかる。
それなら80%の段階で提出や報告をして、顧客とか上司、
世の中の反応を見て、追加とか修正をすればいい。

 

 

 

完璧主義は、100か0かの両極端な思考にも陥る。
結果が100%でなければ全くダメと考えてしまうと報われることがない。
むしろ結果に至る過程が重要で、過程を改善することが
望ましい結果につながる。

 

 

 

人との付き合い方も、相手に完璧を求めてはいけない。
完全に理解し合えることはないので、これも80%でよしとする。
完璧主義に陥るのはそもそも、失敗を恐れるからだ。
成功者ほど失敗経験が多い。行動して失敗から学び、成功する。

 

 

 

などなど。
失敗を恐れず、100%を求めず、周りの見解や意見も求めながら
過程を試行錯誤して、仕事をうまく進めたり生きやすくしましょう。
ということだと思います。

 

 

 

うん、その通りですね。

 

 

 

数えられるもの、何かの量とか個数を揃えたりする以外に、
人が何かをしたり求める時に、100%の結果なんてありません。
考えれば考えるほど、不足とか不確定要素は底なしに出てきます。
結果は未来にしかなくて、未来は決まっていないから。

 

 

 

それなら「うまくいく可能性があるね」ぐらいの段階で、
一度結果を見てみるのが早いです。
現実の判断材料があれば、過程の改良や変更もできますし。
個人的には、調査とか検討なら60%で踏み切るぐらいでもいいと。

 

 

 

他人との相互理解なんて、30%もあればいいのでは?
そもそもが、どれだけ理解すれば100%かなんて、知りようがないです。
自分には思いもつかないものを相手は持っています。お互いそうです。
それが「違う人間だ」ということで、だから面白いんですね。

 

 

 

完璧を目指すのは、無駄…?

 

ですが、どうでしょうね。完璧主義はよくないですが、
なんでもかんでも8割主義、というのもちょっと違いませんか?
もっと低く6割主義でもいいのでは、という部分もありますが、
完璧を目指さないといけない事もあると思います。

 

 

 

完璧主義に何でも完璧を目指すのではなくて、選ぶということです。
譲れないと言い換えることもできますね。
大事な何かのために行動を始める時、やっぱり目指すのは
完璧なんだと思います。理想、ですね。

 

 

 

例えばスポーツ選手がトレーニングする時。
目指すのは完璧なフォームだったりスイングだったりして、
そこにくっついてくるのが最高の結果なわけです。

 

 

 

完璧なフォームやスイングは当然、簡単には会得できません。
個人差もあるでしょう。でも、それができた時、すごい結果が出る。
そのために努力して努力して、完璧なフォームとかができる確率を
ちょっとでも上げるんですね。確立が上がることが成長です。

 

 

 

そして、成長する過程で、目指す「完璧の形」が変わることもあります。
こうやった方がいいんじゃないか、こういうチャレンジもいいかも。
そうやって試すことで、成長していくことができます。
たぶん、永遠に、完璧には辿り着かないからこそ、際限なく進めます。

 

 

 

逆に、結果に完璧を求めてしまうと、おかしくなります。
完璧な結果のその先には何もありません。完璧なんですから。
そして、完璧な結果を出すには過程も完璧じゃないといけないし、
過程も結果も完璧にするには、いつでも必ず完璧にできないといけません。

 

 

 

言い切りますが、そんな日は来ません。
自己満足で済むなら、もしかしたら満足できるのかもしれませんが、
他人からも完璧であることを認めてもらいたいと思うでしょうね。
人が違えば完璧の形も違います。なので、無理です。

 

 

 

完璧主義の人が辛くなってしまうのは、そこなんじゃないでしょうか。
完璧を目指してめちゃめちゃ頑張るけど辿り着けない。
「できた!」と思っても、人からは「完璧じゃない」と言われる。
辛いですね。完璧にできない自分はダメな人間みたいな気がしますね。

 

 

 

諦めましょう。すっぱりと、今すぐに。
完璧にできないことがいけない、と思うことを。
もしかしたら、完璧主義であることを誇りに思う、そのことも。
目指すべき完璧な人間は、古今東西、いません。

 

 

 

完璧のための道は、完璧でなくてもいい

 

とはいえ、もし8割主義っていうことで80%を目指すなら、
「できた!」と思えて他人もそう評することがあるかもしれませんね。
どこが80%なのかはわかりませんが。

 

 

そしてそう思って満足した時点で、そのことに対してはおしまいです。
達成感を得ておしまい。それ以上はありません。

 

 

 

これが業務とかルーチン的なことなら、いいと思うんです。
時間との兼ね合いや効率を考えれば、むしろ80%でやめるべきでしょう。
研究や開発での調査検討もそうです。時間とお金がかかり過ぎます。
支払いとか請求とか、お金が絡む、間違い=トラブルの仕事は別ですが。

 

 

 

でも、例えば会社が将来あるべき姿とか。
新しい製品が持つ、世の中を変えるような特徴とか。
自分がどんな生き方をするのか、とか。どうなりたいか、とか。
大事な人とどうなりたいか、大事な人をどうしたいか、とか。

 

 

 

いわゆる「軸」になる、譲れない大事なこと。
それは、8割の達成で済ましてしまえるわけがないですよね。
完璧を狙いに行くしかありません。譲れないことだと思います。

 

 

 

ただ、目指す「完璧」は、自分の成長や進み具合で
変わっていっていいですよね。
時間の制約だってガッツリあります。自分が生きている間だけです。
わたしの場合、あと40年程でしょうか。たったそれだけです。

 

 

 

完璧に近づく近道になるなら、過程は8割とか6割主義でいいです。
過程一つ一つは中途半端であっても、その先に早く進めるなら
その判断は最適です。完璧ではなくても。
足を引っ張ったら元も子もないですが、時間が惜しいです。

 

 

 

何でも完璧にしたいという気持ちを捨てて、完璧主義をやめて。
報われませんし、大事なものは手に入りません。

 

 

 

もっともっと先を見て、譲れないものをそこにおいて。
それを完璧に手にするために、一番いい方法を考えて。
時間も大事です。一番早い方法を選んで。

 

時には思い切って、重いだけの荷物は置いて。

一歩一歩、いきましょう。


「自分と家族のための時間を買う」という考え方

 

 

わたしたちが日常的に行う、色々な家事。
料理、食器洗い、掃除、洗濯…エトセトラ。
年に数回の大掛かりなものを除くと、
手のかかり具合ってどんなものでしょうか。

 

 

 

家庭の構成や生活リズムによって全く異なるとは思いますが、
わたしの家庭(夫婦二人、子供なし、共働き)の場合、
ざっくりこんな感じかと思います。

 

 

 

一週間でかかる時間
●料理:350分(朝食10分+昼食(弁当含む)70分+夕食270分)
●食器洗い:70分(1日10分)
●掃除:40分(平日に1回10分、週末に1回30分)
●洗濯:300分(拘束時間として洗濯機の時間も含む。1回60分×5回)

 

 

 

トップは予想通り、料理ですね。
我が家はあまり凝った料理はしませんのでこんなものですが、
ちゃんと料理をする家庭ではもっとかかるかもしれませんね。

 

 

 

第二位は、意外に洗濯。
手を離せない時間は1回20分ぐらい(干すのに10分、たたむのに10分)
ですが、洗っている時間は出かけたりできないので、含んでいます。
かなりかかっているんですね。

 

 

 

第三位の食器洗いは、細かくやるので負担にこそ感じませんが、
意外に掃除よりも手がかかっていることがわかりました。
まあ、掃除にあまり力を入れていない=手を抜いている、とも
言えると思います。あくまでわたしの場合です。参考まで。

 

 

 

自前主義が本当に一番…?

 

よく言われますが、時は金なり、です。
というか、時間はいくらお金を積んでも買うことができません。
時間を確保したければ、実際は、自分がやる代わりにお金を払って
人にやってもらうことになります。

 

 

 

最も時間がかかる料理は、例えば外食にするとか、買ってくるとか。
問題はお金がかかることと、うまくやらないと栄養が偏ること。
家の近くのお店だけだと、レパートリーに限りがあって飽きるというのも。
食べるものは自分の身体を作る素なので、あまりおろそかにできません。

その意味でも、もしかしたら自分で作る方がいいのかもしれませんね。

 

 

 

ですが、他の洗濯、掃除、洗い物は、もし可能なら、
自分でやらなくてもOKですよね。
近年、家事代行サービスも充実し、普及してきました。
生活に余裕があるなら利用するのも一つの選択肢ですね。

 

 

 

例えば「CaSy」なら、普段レベルの掃除や料理の代行が可能です。
掃除なら週に1回、1回あたり2時間で17,520円/月。
料理なら週に1回、1回あたり3時間で26,280円/月。
他に交通費等かかりますが、現実的な範囲ですね。
特に掃除なら、代行してしまって、自分では全くしないのも可能かも。

 

 

 

「ベアーズ」なら、掃除、洗濯、料理、他もろもろ含め代行可能です。
値段は張りますが、週に1回、1回あたり3時間で49,845円/月。
郵便の受取や片付け、布団干し、庭掃除、引っ越し手伝いまでOK。
専任制なので、お手伝いさん、という感じですね。

 

 

 

最近は洗濯の外部委託会社も出てきました。「WASH&FOLD」です。
1バッグごとに出せて、洗濯、乾燥、たたみまでしてくれます。
なんと、洗濯物のやり取りが宅配便でできます。便利!

最も安いエリアだと、6~8kg入るバッグ一つで3,000円(往復送料込)。
初回はもうちょいかかります。店舗持ち込みだと20~30%安くなります。

 

 

 

最後の洗濯代行は、今すぐの利用もありですね。週2回利用したとして、
わたしの場合、週6,000円で5時間浮くわけです。
その時間で勉強したり自立の種を探したり、家族と経験を共にできるなら、
決して高くないと思います。

 

 

 

掃除の代行は、今のわたしの生活だと、普段しない換気扇とか
水回りの徹底掃除でお願いするぐらいですかね。
料理の代行は微妙です。子供や同居の親がいて、二日分ぐらいの
料理を世話してもらって、その間出かける、という感じでしょうか。

 

 

 

ともあれ、20年前には一部富裕層の特権だった「家事からの解放」が
わたしたちにも手が届く時代になってきました。
共働きで、お金には少し余裕があるけど時間がない。
そんな家庭にピッタリなのではないかと思います。

 

 

 

やりたいこと、将来のために今やるべきと感じることをするために。
家の中のことをちょっとアウトソーシングして時間を確保する。
これも、自分や自分の家族のための投資ですよね。
そんな選択をすることも、いいのではないでしょうか。


「10年後になりたい自分」の探し方

 

自分のキャリアを考える場でよく問われる質問。

 

 

 

「3年後、5年後、10年後、どんな自分になりたいですか?」

 

 

 

これって結構難しい質問ですよね。
「どうなっていると思いますか?」とは、本質が違うんですから。

 

 

「なれるか」との大きな違い

順当に行けば、例えば高校生なら。
3年後は大学生、5年後は大学院か社会人、10年後は社会人に
なっているだろうと思うわけです。
社会人なら、3年後は一人前、5年後は係長、10年後は課長とか。

 

 

 

プライベートならいろいろですが、ほんの一例として、
20代の人は3年後は自立、5年後は結婚、10年後は子どもとか。
30代の人は3年後は子ども、5年後は車、10年後は家を買うとか。
ちょっと昭和なモデルケースですが。

 

 

 

こんな感じで、「10年後になっているであろう自分」は
予想が難しくありません。
わたしの場合、今の会社にいれば、3年後には係長、
5年後はそろそろ課長、10年後はたぶんそのまま。そんな感じです。

 

 

 

一方、「10年後になりたい自分」となれば、
自分の希望や意志がないと答えようがありません。
「なっているであろう自分」とは、全く違う次元の話です。
あなたなら、どう答えますか?

 

 

 

 

 

 

 

 

パッと出てきたなら、あとはどうやって実現するか、だけです。
10年後になりたい自分と、今の自分と、
その間に何がどれだけ足りていないか、足りているか。
それを明確にして、じりじり進む。シンプルですね。

 

 

 

出てこない場合。それか、考え込んでしまう場合。

 

 

 

煩わしければ、ひとつは、考えるのをやめてしまうのも手です。
10年後になりたい自分の姿。それがなくても別に死ぬわけでもなし、
仕事ができないわけでもありません。
10年後になっているであろう自分を目指す、というのもいいですよね。

 

 

 

何事もなければたぶん、実現できると思います。
もしかしたら、このままいけば、に影響する転機が訪れるかもしれません。
会社がつぶれるとか、親族が亡くなるとか、病気やケガをするとか。
それはその時、もう一回考えればいいと思います。

 

 

 

考え方や道の選び方がどうあれ、今の日本で、何かの労働をするなら、
生きていけなくなることはあまりないと思います。

暴力団と関わりを持ったり、ギャンブルにのめりこんだりしなければ。

 

将来の備えができないとか、会社に使いつぶされるリスクはありますが。
とはいえこれは、例え大企業に勤めていたって一緒です。

 

 

 

一方で、どんなことであれ、もし失敗に終わったとしても。
何事も早く始める方がいい、という鉄則があります。
勉強も仕事も趣味も、早く始めればそれだけ経験値が積みあがって、
改良を繰り返して上手くなるし、続ければ自分の力になっていきます。

 

 

 

ゴールがまだまだ先で、道のりが険しく遠い場合はなおさらですよね。
そちらの方向に進み始めるのが早ければ早いほど、いいです。
しかも、経験値を得て、覚悟もできて、進むほどに歩みが早くなる。
仮にスタートまで2年の差なら、すぐに3年4年の差になるでしょう。

 

 

 

「10年後になりたい自分」は、まさにこれですよね。
目指す姿は人それぞれの極みなので、誰かと比べたりはできませんが、
そちらに歩み始めるのが早ければ早いほど、
たどり着ける可能性も高くなります。

 

 

 

その先には、20年後、30年後になりたい自分とか。
自分はどんな人生を生きたいか、というのもあるわけです。
これは、10年後になりたい自分から延ばしてもいいでしょうし、
生きたいと思う人生から遡ってもいいと思います。

 

 

 

ともかくは「将来なりたい自分」というものを決めないと始まりません。
「将来なるであろう自分」ではなく「なりたい自分」です。

 

 

 

答えはどこに?

 

ここが難しいわけですが、正解なんてどこを探してもありません。
親も親族も上司も社長も首相も大統領も、どこの誰だって知りません。
まあ「こうなるべきだ」とかは言うんでしょうが、歩むのはあなた。
10年後、もっと先の将来なりたい自分は、あなたの中にしかないです。

 

 

 

しかも、今決めたものを生涯貫く必要は、どこにもありません。
途中で変わったっていいじゃないですか。何歳になってたって。
自分がいる環境だって考え方だって、変わっていくんですから。
でもたぶん、「これだけは変わらない」という軸みたいなものが
どこかでできるんだと思います。

 

 

 

お金とか人間関係とか会社とか学校とか、
今の自分の状況は全部置いておいて。
10年後、20年後、もっと先になりたい自分の姿を
今、考えてみませんか。それがゴールですね。

 

 

 

それで、なりたい自分と今の自分の間に、何が足りないか。
足りないものはどうやれば埋まるのか。
埋めるためには何が必要なのか。行動とか資格とかスキルとか。
必要なそれらを得るために、今、自分はなにをするのか。

 

 

 

それが、ゴールに至る道です。
はるか遠い道のりでしょう。とっても険しいかもしれません。
ただ、あなたがそれを進むと決めたなら、行くしかないですよね。
自信を持って進むなら、周りの人はきっと応援してくれます。

 

 

 

わたしの場合、将来なりたい自分は、家族を大事にできること。
家族と、国を問わず好きな場所に住めて、
狭い日本を飛び出て世界を体験できる生活ができる自分です。

 

 

 

そのためには、時間と場所に縛られない仕事と、お金が必要です。
祖母や親もいい年なので、「大事」の中にはケアも含みます。
なので、年間手取り1000万円はまず必要です。
ここ数年で実現しないといけないので、今の会社では無理です。

 

 

 

じゃあ何をするのか。それで取り組み始めたのが、このブログです。
他にも模索しています。別に仕事を一つに絞ることもないので。
わたしはいま、30代です。
たぶん仕事とか、生活の仕方はこれからも変わっていくと思います。

 

 

 

ですが、家族を大事にしたい、世界を体験したいというところは、
変わらないわたしの「軸」なんじゃないかと思っています。
これも、本当のところは死ぬ時まで決まらないですけどね。
例の一つとして捉えてもらえれば。

 

 

 

まずは、10年後でも20年後でも50年後でも、

自分はどうなりたいか。
どう生きていきたいか。
真っ白な状態で考えてみること。

 

それが全てのスタートです。


筆者:鳴海 研

化学メーカーにつとめる30代理系サラリーマン。
一人っ子として育てられたと思ったら実は違ったり、
借金で育てられたり家族が蒸発したり会社の先輩が失踪したり、
色々経験する中で辿り着いた、本当に生きたい人生とは。
あなたはどんな未来を実現したい?そんなことを書いています。

⇒鳴海研ってどんなやつ?

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