自分らしく生きるためのコミュニケーションとは

 

 

京都で面白いイベントがあったそうです。
まさに異文化コミュニケーション。
椿で名のある長福寺で、日中韓の学生が「お茶」で交流するもの。
日中韓の文化イベント「東アジア文化都市2017京都」の一環です。

 

 

 

いまや日本人でもあまり馴染みのない茶せんで抹茶をたて、
お互いの学生生活について談笑する。
抹茶だけでなく韓国の(とうもろこしの)ひげ茶、
中国のジャスミンティーも交えながら。

 

 

 

いいですね。政治の上ではいがみあうところがあっても、
個人同士では全く関係ないです。特に若い人たちは。
素直にコミュニケーションをとって、深めて、
共通点も違う部分も感じて、受け入れてほしいですね。

 

 

 

歴史に学んで教訓を得ることは必要ですが、じじばばのしがらみに
絡み取られて洗脳されるほどバカなことはありません。
周りがなんと言おうと、したいことはしたいし、好きなものは好き。
それでいいじゃないですか。

 

 

 

わたしの周り、主に会社ですが、いまだに外国から来た人を
毛嫌いする人たちがいます。
今の時代、電車に乗ったり街を歩けば、観光客がたくさんいる。
「あのガイジンは」「これだからガイジンは」と口さがないです。

 

 

 

コミュニケーションを取ったこともない、全く知らない人に対して、
よくそこまで非難できるな、と思います。
しかも勝手にカテゴライズまでして。

 

 

 

自分の会社にも、中国人や台湾人がいるのに。
日本語が話せて、日本の文化になじみがあるけども、
彼らだって「ガイジン」と呼ばれる、非日本人です。
ていうか、日本人じゃないから何なん?て感じですよね。

 

 

 

確かに、電車で遠い座席に座っても大声で話をするとか、
座席が空けば、すぐ前に座ろうとしている人がいても横取りするとか、
改札機のすぐ前で大きな輪になって話しているとか。
日本人のマナーに照らせば、眉をひそめることをする人もいます。

 

 

 

といっても、それはあくまで個人の行動であって、
「ガイジン」のひとくくりで非難することではないですよね。
やたらガイジンと非難することは、軽挙妄動です。
そんな人とコミュニケーションを取りたいと思いません。

 

 

 

日本人だって、団体ツアーで押しかけて、道や車中で固まったり
大声で話せば、現地の人には迷惑なはずです。
ヨーロッパやアメリカへ行って、レストランに入って、
居酒屋感覚で酔っぱらって騒げばひんしゅくものでしょう。

 

だからといって、日本人みんながそうかといえば、違いますよね。

 

 

 

行動の仕方は文化の違いとも言えるでしょうが、
結局は一人ひとりがどんな行動をするか、です。
自分がとる、起こす行動が、自分の価値を決めます。
それが周りからどう見えるかは周りの問題です。

 

 

 

お茶でコミュニケーションを深めることもいいし、
旅先で現地の人と仲良くなるのもいい。
極論を言えば、本当に自分がいいと信じているなら、
電車の座席で寝そべったりレストランで暴れるのもいいです。

 

 

 

まあ、暴れたら警察に捕まりますが。

 

 

 

周囲の意見を参考にすることは必要ですが、
色眼鏡をかけられることなく、
周りとコミュニケーションを取って、
自分の感覚と考えで判断していく。

 

 

 

直接痛い目を見ることもあるでしょうし、
周囲からとやかく言われて嫌な気持ちになることもあるかも。
それでも、好きなものは好き、嫌なものは嫌、
と言っていきたいですね。


自分を許すこと。なりたい自分になる第一歩として。

 

わたしたちは、いろいろなルールや価値観の中で生きています。
社会的なものもあれば、個人的なものもあります。
その中で、往年の名歌のように、上を向いて歩んでいくために。
起点となるのが「自分を許す」。許してあげることじゃないでしょうか。

 

 

 

許す、ということ

 

そもそも、許す、って何でしょう。
辞書では、認める、責めないでおく、免除する、任せる、打ち解ける、
とか、そんな意味が載っています。

 

 

 

英語ではいくつか表現がありますが、失敗や罪を許す、という意味では
「forgive」でしょうか。
forgive、語源が面白いですね。
唸ってしまいました。

 

 

 

forgiveを分解すれば「for」+「give」ですね。
並びだけ見れば「与えるために」みたいな意味です。なんじゃそら。
一方で、一説では、「forgive」はラテン語の「Perdonare」から
翻訳借用して作られたとのこと。

 

 

 

ラテン語「per」は「全て」、「donare」は「与える」。
つまり、forgiveは「完全に与える」という意味だそうですよ。
完全に与えることが、許すこと。
深いですね。

 

 

 

わたしたちが誰かを許す時。

 

例えば、歩いている時に誰かが肩をぶつけてきた。
「ごめんなさい」のひとことに「いえ、大丈夫ですよ」と許す、とか。
レストランで、同席者が水の入ったグラスを倒し、自分の服にかかった。
慌てて拭こうとする同席者に「洗えばいいから」と許す、とか。

 

 

 

逆に、許さない時。

 

恋人の浮気が発覚した。謝るどころか開き直っている。
わたしをバカにして!絶対許さない!とか。
肉親が交通事故にあって亡くなった。歩道を歩いていただけ。
飲酒運転の相手に完全に過失がある。許さない、復讐してやる!とか。

 

 

 

実は、許すも許さないも、自分の気持ちひとつです。
その人を許すかどうか、自分だけが決めることができます。
社会的に許されない事でも、個人的には許せる事もありますね。

 

 

 

不思議なのは、許す時って、相手のことを想っているんですよね。
「わたしは気にしないから、そんなに気に病まないで」とか、
「わたしがやるから、その間にあなたはそれをやってね」とか。

 

 

 

そこが、「完全に与える=許す」ということなのかなと思います。

 

 

 

自分を許してあげる。そのためには?

 

逆に、許さない時は、自分のことを守るだけで精一杯。
相手のことなんて考えません。
言ってることはわかるけど、わたしはあなたに傷つけられた。
だから、わたしはあなたを許さない、みたいな。頑なです。

 

 

 

自分の想いとか配慮、相手への気遣いを、相手に与える、ということ。
本当に許す時は、それらを相手に完全に与えた時、じゃないでしょうか。
相手から十分な贖罪があったり、時間とか状況とか愛情友情、
いろいろな理由から、わたしたちは相手を許します。

 

 

 

これが、自分相手だと、厄介です。
自分を許さないのは自分自身。でも、自分を許せるのも自分だけ。
自分は自分から離れられないし、四六時中評価しています。
自分に想い、配慮、気遣いなんかを完全に与えるって何?て感じですよね。

 

 

 

自分は自分に、いくらでも厳しくできます。
甘くできるのと同じように。
自分の失敗や罪悪感を覚えることが、たとえ些細なものであっても、
自分が許さないと思ったら、許せないわけです。

 

 

 

そうすると、だんだんと自分が嫌いになっていきます。
自分が仮に10項目の集合だとして、いいところが8つあっても、
残り2つが許せないと「2つも×がある自分は、全くダメだ」
となっていきます。ダメなところにしか目がいかない。

 

 

 

これは、完璧主義に通じるところもあるでしょうか。

(完璧主義をやめて、完璧を「選ぶ」ということ)
とっても苦しい状況ですよね。

 

 

 

わたしの同僚に、非常に自分に厳しい人がいます。
決まった時間に起きて、朝一番に出社する。
前日にやると決めたタスクは全部こなす。どんなに遅くなっても。
突発で緊急の仕事ももちろんこなす。できないのは甘えだ、という人。

 

 

 

自分に対するのと同じぐらい、人にも厳しいです。
部下が数人いる人ですが、しょっちゅう怒っています。
仕事は確かに正確で丁寧、信頼も厚いのですが、
仕事の外での人間関係は残念ながら、よくありません。

 

 

 

この人は、自分を許すという事をしません。
自分を最大限追い込んで、できない=甘えと考えます。
そういうストイックな生き方もありだと思いますが、しんどそうです。

 

 

 

許すことと甘やかすことは、大きく違います。
何か失敗したとして、贖罪なり挽回なりフォローなりした結果、
許されるわけですよね。
何もしなくて手放しでなかったことにするのが、甘やかしです。

 

 

 

自分で自分を許さない人。
そこにはきっと、「こうありたい」「こうあるべき」自分が
明確にあって、それと今とのギャップが許せない。
今できていない、届かないこと自体が受け入れられないのだと思います。

 

 

 

なんでこんなこともできないのか、なんてダメなんだ、とか。
なんでこんなことをしたのか、なんでバカなんだ、とか。
いったん思い始めると悪いところしか目につかなくなって、
余計に許せなくなる。許そうと思えなくなる。負のスパイラルです。

 

 

 

やめましょうよ。自分を許してあげましょう。
足りないところだらけ、未熟極まりない今の自分を。
「こんなこともできない」「こんなバカなことをした」ということは、
「これをしたい」「これはしたくない」がはっきりしていますよね。

 

 

 

はっきりしていることを実現するために、今の自分を許しましょう。
それは甘えでもなんでもありません。
単に、現状をちゃんと把握して、理想とのギャップを認めて、
理想に辿り着くために足りないものを埋める第一歩です。

 

 

 

自分を許すことが、なりたい自分になるために必要な最初の段階です。
では、どうやれば自分を許すことができるのか。
「自分を許すための、ただ一つの方法」とは。

 

 

 

そうだったのか!目から鱗!という方法は、ありません。
自分を許すのも、許さないのも、自分にしかできません。
どこまで突き詰めても、自分の気持ち次第です。
納得できるかどうか、ですよね。

 

 

 

鏡の向こうのあなたは、どんな顔?

 

そういえば、わたしには持論があります。
いつからかはわかりませんが、確信を持つようになりました。
もちろん今でも。むしろ、確信は深まりつつあります。
別に特別なことではないんですけどね。

 

 

 

「人間関係は鏡合わせ」

 

 

 

わたしが親切にした人には、親切にしてもらえるかも。
わたしが優しくすれば、その人もわたしに優しいかも。
無視したり意地悪をすれば、その人も同じように返してくるかも。
逆もそうですね。誰かに優しくされたら、その人に優しくしたいです。

 

 

 

ただ、これは見返りを求めてしまうと押し付けになります。
優しくしたんだから優しくしてよ、と。
わたしが優しく接するかはわたしにしか決められないように、
相手が優しくするかどうかは相手が決めますよね。

 

 

 

一言でいうと、自分の気持ちの持ちよう、ということです。
優しくしたら、それはいつか返ってくるかもしれないよ、と。
優しくしなかったら、優しくしてもらえることもないです。
それならわたしは優しくあろう、と思います。

 

 

 

同じように、自分を許すことができれば、人を許すこともできます。
自分が嫌いな、気に入らない部分を一番知っている自分を許せるなら、
そこまで細かくわからないし、いいところも持っている人を許すなんて、
楽勝だと思いませんか。

 

 

 

そして、あなたに許してもらった相手は、あなたのことを許してくれる。
かもしれません。あなたの望む許しではないかもしれません。
それでも、許し合える間柄って心地いいものだと思います。
「そういうお前ができてないやろが」と言い合うのはゲンナリですよね。

 

 

 

まずは、自分を許すこと。
それが、人を許すことに繋がります。
それが、あなたにとって心地いい関係を広げる事にも繋がります。
甘やかすのではなく、許すんです。お互い成長するために。

 

 

 

わたしには、将来目指す姿や形がある。
今の自分がそうなれていないのは、いっぱい足りないものがあるから。
それを埋めたり手に入れる行動とか努力をするんだ。
そのために、できない今の自分を許して、認めて、始めるんだ。

 

 

 

そんなあなたのことを、誰も「ダメなやつ」呼ばわりしません。
もしそうする人がいれば、縁を切りましょう。あなたに害なす人です。
あなたを大事に思う人や友人はきっと、応援してくれます。

 

 

 

もし過去に戻れたら、きっと、「よくやってる」と言ってもらえます。
誇りに思ってもらえます。
ちょっとだけ未来の、あなたからも。


「市場価値が高い=すごいことができる」って、本当?

 

 

中学生の頃だったか、わたしの周りではこんなテストがはやりました。
「あなたの価値は何円でしょう!?」
ウェブのサイトですが、性格とか好みをいくつか入力するだけ。
今で言えば、とーっても簡単な「市場価値テスト」です。

 

 

 

そのテストは言わずもがな他愛ないお遊びなので、
何百万円って出たり何億円って出たり、それだけです。
特に理由とかアドバイスがあるわけでもなく。
誰も信じてなんかいませんでしたが、なぜか盛り上がりましたね。

 

 

 

それから十年もたって、社会人になって、いろいろ経験して。
転職なんていう言葉も気になって。
そうすると、真っ先に飛び込んでくる言葉が「市場価値」。
どうにも緊張する言葉ですね。

 

 

 

市場価値って、一体?

 

一言でいってしまえば、世の中であなたの価値はどうなの、
ということですが。
そもそもそれって、どうやって測るんでしょう。
市場での価値。市場ってなに?どの市場?誰にとっての価値?

 

 

 

化学メーカーの製品でよくある話ですが、同じ製品でも、
使われる業界や用途によって、売れる価格が全く違います。
こちらの用途では数百円でも、こっちでは千円超えるなんてザラ。
さすがに一桁違いまではいきませんが、2倍3倍は普通です。

 

 

 

数量の要素も大きく絡みますが、結局は、
お客さんにとってどれだけの価値があるか、ということです。
そのモノ自体の価値プラス、モノについてくる他の価値。
技術サービスとか情報とか融通のききやすさとか。

 

 

 

これらのトータルが、モノの市場価値ですね。
ところ変われば、価値って変わるんです。
そこで元に戻って、わたしたちの市場価値です。
そこには何があるんでしょうか。

 

 

 

真っ先に思いつくのが「スキル」ですね。
会社に勤めるなら、その会社や業界が必要とする専門的スキル。
資格とか、その業界での実務経験とか。。
転職なら即戦力になることが求められるので、確かに重要でしょう。

 

 

 

専門的スキルの他には、例えば語学スキルとか、指導経験とか。
対人スキルとかコミュニケーション能力とも言えますね。
どんな仕事でも結局、人と人とが働くのは変わりありません。
幅広く円滑に人と協力できるスキルは、どこでも必要になります。

 

 

 

では、市場価値が高いって、どういうことなんでしょう。

 

 

 

例えば化学業界。
東大の大学院卒、有名雑誌への掲載論文数も多く、英語も堪能。
現職では若くしてプロジェクトのリーダーを務め、
生み出した新製品は億単位の利益を長年出している、とか。

 

 

 

きっと、同業研究職の引く手は数多でしょう。
研究者として転職したいなら、入り口としてはこれ以上
望むべくもありませんね。
この人も、自分の能力と経歴を存分にアピールすることでしょう。

 

 

 

ただ、例えばこの人が、絶対に研究者以外にはなりたくない、
自分はもっと高い給与を得るべきだと考えていた場合。
今の日本国内で市場価値が高いかといえば、疑問です。
外資系だったら即採用かもしれませんが。

 

 

 

変わりつつありますが、日本の企業の多くが、
異動や転勤を受け入れる条件で正社員として雇用しています。
また、高い能力を持っている人こそ、
将来の経営者候補として採用したいと思っています。

 

 

 

なので、この人の評価は「研究者としては非常に能力があるけども
わが社の求める人材とは違う」ということになる可能性があります。
転職理由に給与面でのステップアップを押し出していれば、
「条件次第でわが社の重要機密を知った上で転職するかも」とも。

 

 

 

ちょっとひねくれた見方かもしれませんが、採用する側も、
長く力いっぱい働いてくれる人を欲しているのは間違いありません。
一時的な技術力補強なら派遣会社の手を借りたり、
それこそ大学や他企業との事業提携という手もあります。

 

 

 

むしろ、わたしとしては、こんな人の方が日本での市場価値は
高いのではないかと思います。
同じ化学業界の研究職の例として、

 

顧客の要望に対し1カ月以内に何らかの提案や改良をしてきた。
密に面談をする中で次のニーズや課題を発掘し、
新テーマの提案数は同年代では一番。残念ながら実績は少ない。
御社ではもう一歩消費者に近いところで、顧客、ひいては
自分の生活を豊かにできる仕事がしたい、とか。

 

 

 

まあ、この人も大概すごい実績ですけどね。
1カ月以内に改良、新テーマ提案数が一番って、
本当にすごいことです。あくまで例ですが。

 

 

 

それよりも、顧客に密接に寄り添う姿勢と
良好な関係を築けるスキルを持っていて、前向きで、
仕事を通じて何をしていきたいかが明確です。
この人を採用して一緒に頑張っていきたい、と思えますよね。
職場にいると、周りが明るく前向きになれそうです。

 

 

 

今できる事より、どうなっていきたいか

 

市場価値、「価値」っていう言葉が入ると、
どうしても「どんな希少なことができるか」と考えてしまいがちです。
それが何より重視される仕事もありますが、
例に挙げた通り、価値というのは、ところ変われば変わるものです。

 

 

 

希少なことができれば転職する時の入り口は大きく広がりますが、
市場というものもたくさんあります。
市場価値は、一つの目線で測れるものではありません。
一緒に働きたいと思わせることも、市場価値になり得ます。

 

 

 

何がしたいか、どうなっていきたいか。
それが軸にあって、前向きに取り組むのであれば、
希少なスキルというものは余り重要ではないと思います。

 

 

 

実現したい姿に到達するために何が必要なのか。
その手段のひとつが資格やスキルであって、
逆ではないです。

 

 

 

今自分がもつもの、考えていることを客観的に評価する手段として、
転職サイトへの登録やエージェントに相談するのもひとつかと。

 

 

 

すごいスキルでもって世界の支配者とかボスを目指すのでなければ、
今の会社で、将来をしっかり考えて働いているあなたを求める会社は、
けっこうたくさんあります。
あなたが、あなた自身の市場価値を低く見ることはありませんよね。

 

 

 

転職といっても、会社に勤める以外に独立という手もあります。
結局は、どうなっていきたいか、それをどう表現するかだと。

 

 

 

考えるのも決めたことを貫くのも簡単じゃないですけど、
「わたしなんて」って言いながら老いて死ぬのは、
つまらないじゃないですか。
何はともあれ、まずは最初の第一歩、です。


完璧主義をやめる。そして完璧を選ぶということ

 

この世には、呪いの言葉が確かに存在します。

 

 

 

「どうせやったってダメなんだから」とか
「そんなのどこ(場所、会社など)でも一緒」とか
「これくらい完璧にやらなきゃ」とか
「自分は完璧主義だから」とか

 

 

 

呪いといっても、病気にするとか呪い殺すとかではないです。
不幸にさせる、という意味ではそうなのかもしれませんが、
「未来を縛る言葉」です。「完璧」もそうですね。
特に完璧主義となると、自分を縛ります。

 

 

 

本来はいい意味の言葉です。
完璧な出来、完璧な状態、完璧な結果、完璧なプロポーション。
これ以上なく、100%の、欠点がない状態やものを指します。
大事なことを完全に成し遂げる、という意味もありますよね。

 

 

そもそも「完璧」って?

 

もともとは「完」全な「璧」、つまり傷のない宝石を意味します。
「壁(かべ)」ではないのでご注意を。

 

 

 

中国の戦国時代、有名な璧を他国の国王が欲しくなって、
15個の城との交換を申し出たので使いが璧を持って参じたところ、
反故にされたというか、城と交換する気配がなかったので、
傷をつけないように命がけで持ち帰った、という故事があります。

 

 

 

その故事「完璧而帰」=璧を全うして帰る、から今の意味になりました。
なので「完璧主義」となると、いかなる状況からでも傷一つつけず、
璧を持ち帰ってくることを自分に課す、ということになりますね。

 

 

 

いやいやいや、無理でしょう。
どれだけ柔らかい布に包んでも一回ぶつければ傷はつくし、
そもそもがモノの表面なんで傷だらけです。目に見えないだけで。
とか言ったら、本当に完璧主義の人は気が狂いそうですね。

 

 

 

キーワード「完璧主義をやめる」で検索したり本を読むと、
よく「8割主義」という言葉に行き当ります。
仕事のやり方について語られることが多いようです。

 

 

 

100%なんて永遠に到達しない。90%でもあまりに時間がかかる。
それなら80%の段階で提出や報告をして、顧客とか上司、
世の中の反応を見て、追加とか修正をすればいい。

 

 

 

完璧主義は、100か0かの両極端な思考にも陥る。
結果が100%でなければ全くダメと考えてしまうと報われることがない。
むしろ結果に至る過程が重要で、過程を改善することが
望ましい結果につながる。

 

 

 

人との付き合い方も、相手に完璧を求めてはいけない。
完全に理解し合えることはないので、これも80%でよしとする。
完璧主義に陥るのはそもそも、失敗を恐れるからだ。
成功者ほど失敗経験が多い。行動して失敗から学び、成功する。

 

 

 

などなど。
失敗を恐れず、100%を求めず、周りの見解や意見も求めながら
過程を試行錯誤して、仕事をうまく進めたり生きやすくしましょう。
ということだと思います。

 

 

 

うん、その通りですね。

 

 

 

数えられるもの、何かの量とか個数を揃えたりする以外に、
人が何かをしたり求める時に、100%の結果なんてありません。
考えれば考えるほど、不足とか不確定要素は底なしに出てきます。
結果は未来にしかなくて、未来は決まっていないから。

 

 

 

それなら「うまくいく可能性があるね」ぐらいの段階で、
一度結果を見てみるのが早いです。
現実の判断材料があれば、過程の改良や変更もできますし。
個人的には、調査とか検討なら60%で踏み切るぐらいでもいいと。

 

 

 

他人との相互理解なんて、30%もあればいいのでは?
そもそもが、どれだけ理解すれば100%かなんて、知りようがないです。
自分には思いもつかないものを相手は持っています。お互いそうです。
それが「違う人間だ」ということで、だから面白いんですね。

 

 

 

完璧を目指すのは、無駄…?

 

ですが、どうでしょうね。完璧主義はよくないですが、
なんでもかんでも8割主義、というのもちょっと違いませんか?
もっと低く6割主義でもいいのでは、という部分もありますが、
完璧を目指さないといけない事もあると思います。

 

 

 

完璧主義に何でも完璧を目指すのではなくて、選ぶということです。
譲れないと言い換えることもできますね。
大事な何かのために行動を始める時、やっぱり目指すのは
完璧なんだと思います。理想、ですね。

 

 

 

例えばスポーツ選手がトレーニングする時。
目指すのは完璧なフォームだったりスイングだったりして、
そこにくっついてくるのが最高の結果なわけです。

 

 

 

完璧なフォームやスイングは当然、簡単には会得できません。
個人差もあるでしょう。でも、それができた時、すごい結果が出る。
そのために努力して努力して、完璧なフォームとかができる確率を
ちょっとでも上げるんですね。確立が上がることが成長です。

 

 

 

そして、成長する過程で、目指す「完璧の形」が変わることもあります。
こうやった方がいいんじゃないか、こういうチャレンジもいいかも。
そうやって試すことで、成長していくことができます。
たぶん、永遠に、完璧には辿り着かないからこそ、際限なく進めます。

 

 

 

逆に、結果に完璧を求めてしまうと、おかしくなります。
完璧な結果のその先には何もありません。完璧なんですから。
そして、完璧な結果を出すには過程も完璧じゃないといけないし、
過程も結果も完璧にするには、いつでも必ず完璧にできないといけません。

 

 

 

言い切りますが、そんな日は来ません。
自己満足で済むなら、もしかしたら満足できるのかもしれませんが、
他人からも完璧であることを認めてもらいたいと思うでしょうね。
人が違えば完璧の形も違います。なので、無理です。

 

 

 

完璧主義の人が辛くなってしまうのは、そこなんじゃないでしょうか。
完璧を目指してめちゃめちゃ頑張るけど辿り着けない。
「できた!」と思っても、人からは「完璧じゃない」と言われる。
辛いですね。完璧にできない自分はダメな人間みたいな気がしますね。

 

 

 

諦めましょう。すっぱりと、今すぐに。
完璧にできないことがいけない、と思うことを。
もしかしたら、完璧主義であることを誇りに思う、そのことも。
目指すべき完璧な人間は、古今東西、いません。

 

 

 

完璧のための道は、完璧でなくてもいい

 

とはいえ、もし8割主義っていうことで80%を目指すなら、
「できた!」と思えて他人もそう評することがあるかもしれませんね。
どこが80%なのかはわかりませんが。

 

 

そしてそう思って満足した時点で、そのことに対してはおしまいです。
達成感を得ておしまい。それ以上はありません。

 

 

 

これが業務とかルーチン的なことなら、いいと思うんです。
時間との兼ね合いや効率を考えれば、むしろ80%でやめるべきでしょう。
研究や開発での調査検討もそうです。時間とお金がかかり過ぎます。
支払いとか請求とか、お金が絡む、間違い=トラブルの仕事は別ですが。

 

 

 

でも、例えば会社が将来あるべき姿とか。
新しい製品が持つ、世の中を変えるような特徴とか。
自分がどんな生き方をするのか、とか。どうなりたいか、とか。
大事な人とどうなりたいか、大事な人をどうしたいか、とか。

 

 

 

いわゆる「軸」になる、譲れない大事なこと。
それは、8割の達成で済ましてしまえるわけがないですよね。
完璧を狙いに行くしかありません。譲れないことだと思います。

 

 

 

ただ、目指す「完璧」は、自分の成長や進み具合で
変わっていっていいですよね。
時間の制約だってガッツリあります。自分が生きている間だけです。
わたしの場合、あと40年程でしょうか。たったそれだけです。

 

 

 

完璧に近づく近道になるなら、過程は8割とか6割主義でいいです。
過程一つ一つは中途半端であっても、その先に早く進めるなら
その判断は最適です。完璧ではなくても。
足を引っ張ったら元も子もないですが、時間が惜しいです。

 

 

 

何でも完璧にしたいという気持ちを捨てて、完璧主義をやめて。
報われませんし、大事なものは手に入りません。

 

 

 

もっともっと先を見て、譲れないものをそこにおいて。
それを完璧に手にするために、一番いい方法を考えて。
時間も大事です。一番早い方法を選んで。

 

時には思い切って、重いだけの荷物は置いて。

一歩一歩、いきましょう。


この世に「わたし」を打ち立てる、ただ一つのプロセス

 

まずは型を守って、先人の技量、知恵、考え方を身に着ける。

 

 

 

身に着けた型を自らと照らし合わせて研鑽し、
自分らしい型を作り上げ、既存の型を破る。

 

 

 

身に着けた型、自ら作り上げた型、そして自らを深く理解し、
最終的には型から離れて自在になる。

 

 

 

茶道とか武道でよく言われる「守破離」ですね。
個人のスキルの上達レベルを表すので、仕事やスポーツでも使われます。
守で一人前、破で1.5人前、離で初めて第一人者、とも言われます。
新入社員、ベテラン、経営者(あるいは企業家)とも。

 

 

 

日本の将棋界に新たなスターが誕生しました。
齢14にして、不動の王者である羽生善治三冠に勝利した、藤井聡太四段。
非公式戦ですが、まぎれもない日本棋界の巨人を制した姿は、
中学生らしい照れを含みながらも堂々としていました。

 

 

 

わたしは将棋に明るくないため、対戦内容や一手一手のよしあしは
語れませんが、羽生さんの名前は子供のころから幾度となく耳に目に
してきました。

 

 

 

30年以上第一線で活躍し、七冠独占までしましたし、
漫画やドラマにもなっています。
近年ではレベルアップ著しいAI将棋のご意見番にもなっていますね。
現役の中では間違いなく最強の一人でしょう。

 

 

 

将棋も勝敗のあるゲーム、誰しも勝ったり負けたりします。
仮に藤井さんと羽生さんが10戦やれば、結果は違うのかもしれません。
羽生さんのライバルと言われた村山聖さんがもしまだ生きていたとして、
きっと二人の勝敗も、誰も予想ができないものなのでしょう。

 

 

 

同じ条件、同じルールのもと、若手が巨人に勝つということ。
違う時代、違う「守破離」を歩んできた二人が勝敗を決するということ。
どちらも意味深いと思います。

 

 

 

きっと藤井さんは、この勝利を糧に、既に「離」を迎えた自分を
更に磨き、成長していくのでしょう。
きっと羽生さんは、この敗北を糧に、積み上げ練り上げた自分を
更に変化させ、磨いていくのでしょう。

 

 

 

今の結果、今の状況だけを見てしまえば、すごいとか、将来有望とか、
落ち目だとか、世代交代だとか、そんな言葉になるのでしょうが。
勝ちも負けも、変化の起点になるんだと思います。
自分や環境を今より良いものにしていくための。

 

 

 

例えば今、負けていたりしんどかったりするとして、
それを「仕方ない」と言ってしまうと、何も変わりませんね。
守のままです。万年負けです。万年しんどいままです。
時たま勝ったりよくなっても、また戻ります。

 

 

 

今の状態から、頭と気持ちと身体を総動員して破って前に進んで、
二度と戻らないぐらい離れてやっと「糧にした」と言えるのでしょう。

 

 

 

やり方も考え方も、誰かから教わったものをベースに改良して変えて、
実践に足ることを証明して、誰かに教えられるレベルになる。
そしてそれを足掛かりにまた、違うことに取り組んでいく。
その繰り返しで、わたしたちは前に進み、新しくなっていきます。

 

 

 

その方法が正しいか間違っているか。
それは、やってみないとわかりませんよね。
正しいだろうと思っても結果、最善じゃないこともあるし、逆もしかり。
最善じゃなくても、勝ちに貢献することもある。将棋の一手一手と同じです。

 

 

 

どうせ蓋を開けてみないとわからないなら、
できるだけ早く、一手一手を試し始めた方がいいですよね。

目標は高く、遠くおいて。たどり着くための最適手を考えながら。
わたしたちなりの「守破離」実現しましょう。


人生の最適化はまず、三大欲求のひとつを満たすことから

 

 

人間の三大欲求。言わずと知れた、睡眠欲、食欲、性欲ですね。

 

 

欲求というとなにやら抑えなければいけないような気にもなりますが、
睡眠、食事は身体のコンディションにも影響する、大事な要素です。
本来、必要なものです。過度になってしまうのは考え物ですが。

 

 

 

忙しかったりやりたいことがあると、睡眠が削られてしまいがち。
ちゃんと寝た方がいいし、自分でも睡眠時間は確保したいと思いながら、
ついついおろそかになってしまいます。わたしもそうです。
平日は5時間前後、短い時は3時間台とか…正直に言って、つらいです。

 

 

 

学生時代は若さに任せて乗り切れました。
睡眠時間の短さを自慢し合うような、よくわからないこともしました。
でもやっぱり、睡眠不足が続くと、いろいろな悪影響が出てきます。

 

 

 

まずは頭が働かなくなりますね。
日中、どこか霞がかっているような、ぼんやりした感じが続きます。
考え事もはかどらないし、ケアレスミスも起こりやすくなります。
人との話も、とんちんかんな答えをしたり、言葉が出なかったり。

 

 

 

身体もだるくなります。
シャキシャキ動けないし、動く気も起きない。
運動すると一時的に覚醒しますが、その後の眠気たるや…すごいですよね。
足をくじいたり筋を違えたり、変な故障も増えます。いいことなし。

 

 

 

では、何時間睡眠を取れば十分なのか、ということですが、
感覚にもある通り、年齢によって違います。
歳をとるほど短くなるのが事実です。
人によっても違いますが、平均的な成人で、だいたい8時間だそうです。

 

 

 

おもしろい研究があります。
健康な人10人に、1日14時間、毎日ベッドに入ってもらうというもの。
実験前の平均睡眠時間は7.5時間でした。

 

 

 

初日は全員13時間、2日目も13時間近く睡眠を取りました。
そこから日を追うごとに短くなり、平均8.2時間で一定になったそうです。
3週間後に。

 

 

 

約8時間か、ふむふむ、まあそんなもんだろう。
と、わたしも思いました。毎日8時間寝れたら楽だろうな、と。
それはそうなんですが、もっと重要な事実がもう一つ。

 

 

 

「睡眠不足を完全に解消するのに、3週間かかった」

 

 

 

8.2時間を仮に理想の睡眠時間とすると、7.5時間睡眠だった
被験者10人は、毎日40分の睡眠不足でした。
それを完全解消するためには、3週間、毎日14時間ベッド
入らないといけない。

 

 

 

驚きですね。土日に半日ずつ寝ても、全然足りないわけです。
完全回復する間もなく睡眠不足の一週間を過ごし、
週末にほんのちょっと戻して、睡眠不足を重ねる。
そりゃあ疲労も抜けないわけです。納得。

 

 

 

そこでふと思いました。
毎日40分の睡眠不足でこれなら、2時間とか3時間足りない人は…?
9週間とか12週間とかかかるのか…?
いや、無理ですね。寝だめで解消プランは機能しません。

 

 

 

ちなみに、5時間睡眠を1週間続けた脳の働きは、
なんとなんと、2日徹夜した時と同じぐらいだそうです。
脳の働きはだんだんと落ちていくので、そこまで鈍っているという
自覚はほとんどの場合、ないという。びっくりしますよね。

 

 

 

世の中のいわゆる「成功者」といわれる人たちは、
多くの場合、睡眠時間を重視しているといいます。
中には1日3時間睡眠とかで全力を出せる稀有な人もいますが、
8時間は必ず睡眠時間を確保する、という人が多いです。

 

 

 

日々、難題に全力で取り組むため、思考力も判断力もベストに保つ。
ベストの状態だからこそ仕事も早く進むし、睡眠時間も確保できる。
というロジックです。

 

 

 

過重労働からの精神疾患になる場合、睡眠不足から始まり、
仕事の能率が下がって仕事が終わらなくて更に寝れなくなり、
不眠が慢性化し、思考力や判断力が鈍る、という負のスパイラルが
よく言われます。

 

 

 

逆のロジックとして、睡眠がいかに重要か、よくわかりますよね。
人間は、補給と休息がないと続かないようにできているということです。

 

 

 

今日から毎日8時間睡眠をする、というのは難しいかもしれません。
わたしもチャレンジしましたが、毎日21時就寝というのはなかなか…。
ですが、何事も、意識して目指さなければ始まらないし至りません。
どこかでいい循環の入口に入らないといけませんよね。

 

 

 

やる必要のない残業とか、行きたくもない飲み会とか、極力やめて。
早く家に帰ってのんびり、家族のある方は一緒に食事をして。
身体と頭をオフモードにして、ちゃんと寝ましょう。

 

 

 

それが、仕事をしていく上でも、
わたしたちが健康で幸せにあるためにも、
とっても大事な習慣だと思います。


今すぐにできる、欲しいものを手に入れるための第一歩

 

 

 

世の中を進めていく原動力。よくも、悪くも。

 

 

人はこの力で火をおこし、未開の地を開拓し、金属を味方につけ、
電気や機械を発明し、銃や爆弾や毒物で殺し合う。

 

 

人間を人間たらしめるのが、好奇心、探求心だと思います。

 

 

 

太古の昔では価値ある石や貴金属を対価としていたのが、
利便性から紙幣が登場し、今や電気信号が通貨となっています。
人は自分の暮らしを良くするため、より快適にするため、
今も昔も飽きもせず取り組んでいます。

 

 

 

もし重要な何かがなくなってしまったり手に入らなくなれば、
代わりの物を探すか、可能なら自ら作ってしまったり。

自作物に産業としての価値がなくても、自分やごく少数の人が
満足するレベルでよければ、それも価値があります。
アレンジすることで自分好みにできるのも魅力ですね。

 

 

 

例えば、身の回りの小物。革細工とかちょっとしたアクセサリー。
例えば、家具。棚とか椅子とかテーブルとか。
例えば、お菓子。ケーキとかクッキーとかプリン。

 

 

そう、ポテチも。

 

 

 

あまりの衝撃で途方に暮れた人も全国に大勢いたと思います。
ジャガイモの不作による、ポテチの販売休止や終了。
ごくごくスタンダードな味は残るものの、ビッグバックが休止とは。
そして、そう、ピザポテトが手に入らなくなるとは…。

 

 

 

わたしもいちファンとして、心に大打撃を受けました。
たまに無性に食べたくなる、ジャンキーで中毒性に溢れたあの味。
ザクザクと止まらない食感。そこに乗るチーズのとろりとした感触。
書いてたら食べたくなってきました。が、しばらくは手に入らない。

 

 

 

なんという悲劇。なんという仕打ち。
アメリカでもどこからでも輸入して続けろ!供給責任を果たせ!
という叫びをあげていたら、世の中にはすごい人がいるものですね。
なんと、ピザポテトを再現してしまったそうです。

 

 

 

その神かがりな人は、女性ユーチューバー「かっちゃん」さん。
これまで色々な再現料理にチャレンジしてきたそうです。
動画はYoutubeで探してもらうとして、作り方を簡単に紹介します。

 

 

 

①しっかりと洗い皮をむく。
②波形スライサーでギザギザスライス。
③5分ほど水にさらして、表面のぬめりをしっかり洗い流す。
④170度の油で、泡が出なくなるまで揚げる。

 

 

 

⑤クノールカップスープ「トマトのポタージュ」を粉末のままかける。
⑥「ポップコーンシーズニングチーズ」をかける。
⑦細かく刻んだ「ミモレットチーズ」をまぶす。
⑧ミモレットチーズが溶ける程度に電子レンジで温める。

 

 

 

かっちゃんさんいわく、「うん!ピザポテトやー!!!」

 

 

 

いいですね、そのチャレンジ精神。
なければないで、自分で作ってしまう。
わたしもやってみようと思います。

 

 

 

よく言われることですが、数年前、数十年前には「ただの想像」。
今ではまぎれもない現実で、むしろ当たり前になっている。
それも、こんなのあったらいいな、とか、できないかな、という、
当時は絵空事だったコト、モノに挑戦した結果です。

 

 

 

かっちゃんさんの自作ピザポテトも、結果だけなら簡単かもしれません。
が、完成に至るまでに、試行錯誤がたんまりあったでしょう。
望めば全て手に入るなんて甘いことはそうそう起きない厳しい現実ですが。
そもそもが、望みもしないものが手に入ることがないのも事実です。

 

 

 

理想は高く、そこに届くように努力してなんぼです。
まずは、どんなに身近なものでも、目指す姿があればこそ。

 

忘れたくないですね。

 


「もったいない」を生んだ世界で唯一の国として

 

年間約630万トン。そのうち家庭から約300万トン、事業から約330万トン。

 

 

おそろしい桁の量ですが、何を表すかご存知でしょうか。

 

 

これは、日本での「食品ロス」、つまり食べ残されたり、食べられるのに
捨てられてしまっている食べ物の数量です(2013年度推計)。

 

 

 

大きすぎてピンと来ないぐらいの数字ですが、世界全体の食糧援助量が
約320万トンだそうなので、その約2倍です。
WHOとか国境なき医師団とか青年海外協力隊とかが、世界の子供を
飢餓から救おうと必死で集める食糧の2倍、わたしたちは捨てている。

 

 

 

おそろしいですね。桁も、事実も。

 

飢餓をなくすためにどれだけの食糧が必要かはわかりませんが、
誇張も何もなく、わたしたち日本に住む人たちが、要る分だけ食べて、
要らない分を他に回せれば、飢えずに済む人が相当増えるわけです。

 

 

 

国連総会で採択された通称SDGs「持続可能な開発目標」の目標2は、
「飢餓に終止符を打ち、食糧の安定確保と栄養状態の改善を達成する
とともに、持続可能な農業を推進する」です。
この開発目標は全部で17目標あります。

 

 

 

この目標2のうち、前半部分については、わたしたちが捨てている
約630万トンの食べ物があればかなり進むのではないでしょうか。
それだけのものをゴミ箱に叩き込んでいるのが、
もったいない文化を誇る我らが日本です。いやはや。

 

 

 

ということで、2016年から食べ残しを減らす取り組みが広がっています。
代表例が、いわゆる「30.10運動」。宴会の開始後30分、終了前10分は
食べる時間に充てましょうというものです。
熊本県あさぎり市では条例に盛り込まれています。

 

 

 

取り組みやすいので、着実に広がっているようです。

長野県松本市、埼玉県狭山市、鹿児島県指宿市、栃木県さくら市など。
京都市では、30.10運動によって食べ残しが4分の1にまで減ったという
結果が出たそうです。効果ありますね!
ゼロにはなかなかならないのでしょうが、根付いていってほしいです。

 

 

 

食べ残しの是非については、国や文化によって全く異なるのは
広く知られています。

 

 

 

中国や韓国、スペインでは、特にもてなしの席では残すのがマナー。
「十分な量の食事でもてなす」ことが良しとされているからです。
一方で、フランスやインドではタブーです。
フランスでは「美味しくなかった」という意思表示になるとのこと。

 

 

 

日本はどうかというと、「もったいない」という意識から
食べ残しは好まれないですよね。作り手に対して失礼にもなるし。
それでもなお、約630万トンもの食べものが捨てられているんです。
未調理の素材もありますが、料理の食べ残しだってかなりの割合です。

 

 

 

それも、幹事の声掛けとか、30.10運動という「意識づけ」で
75%も改善する。ということは、やればできるわけですよね。
アレルギーは当然、好き嫌いがあれば、それを避けて料理するとか、
同席者と協力して食べるとか、方法はいろいろあるはずです。

 

 

 

学生時代の友人の格言があります。
「やればできる、は、できないのと同じ。できるならやってみせろ」

 

 

 

例えば経費の中に75%も無駄があったら放っておけないでしょう。
それと同じですよね。

 

 

 

訳されず海外でも通じる「もったいない」は、間違いなく誇れる文化。
日本が率先せずどうします。

食べる分だけ手に入れる。手に入れたものはちゃんと食べる。
ひとりひとり、できることからやっていきましょう。

 


世界最年少のライフワークに思う

 

現役早大生の女性が、若干20歳で世界最年少の快挙を成し遂げたそう。
「エクスプローラーズ・グランドスラム」という、
世界7大陸の最高峰と南極点、北極点の9つ全てに到達する偉業。
なにやら必殺技のような、ゲームの称号のような。すごい!

 

 

 

1つめの達成は18歳だったというから、9つをたった2年間で制覇したんですね。
南谷真鈴さん、ニュースでは「冒険家」と紹介されていました。
冒険家。イメージはあるけど一体何をする人?

 

 

 

冒険家を職業と見ると、スポンサー収入で冒険をし、
調査や経験を講演なり書籍にするなりで収入を得るみたいですね。
自分の興味とか専門分野から「何を追うのか」を決め、道筋を立て、
スポンサーを探して、旅に出る。これが一連の流れです。

 

 

 

スポンサーだって慈善事業ではないですよね。

誰でも行ける、できることをしても「冒険」とは言わないし、
「すごい」とか「危ない」とか、驚きや憧れがないと
スポンサーのビジネスが成り立ちませんし、
講演や書籍に誰もお金を出しません。

 

 

 

冒険家というのは、自分の生き方を世に問う仕事、と思います。
いや、そもそも仕事なのかはわかりませんが。趣味の延長?

 

 

 

ともあれ、強烈な原動力が自分の中にないと、しんどかったり
危なかったり壁に当たった時に進めなくなります。
そこであっさり引き下がってしまうと、
世に問うレベルの冒険にはなりません。すごい!がないです。

 

 

 

冒険ほど危険なにおいがなくても、やっぱり、
「誰も見たことがない光景」を見る、作る仕事はワクワクします。
そんな仕事は、もしかしたら仕事の枠を超えるのかも。
それが「ライフワーク」と呼ばれるものかもしれませんね。

 

 

 

きっと、冒険家にとって、冒険はライフワークなのでしょう。

 

 

 

南谷さん、次はセーリングでの世界一周に挑むそうです。
どんどん世界を切り拓いていきますね。
誰もやったことがないこと、ではないのでしょうが、冒険です。
絶対しんどいし、死にそうになるけど、やりきったら絶対楽しい。

 

 

 

あー、おもしろそう!
「おもんないわー」とか思いながら我慢してる場合じゃないですね。
こういうニュースは、何というか、エネルギーを貰えます。
わたしも、わたしの幸せの実現に向かって粛々と進みます。

 

 

 

あなたも、あなたのやりたいこと、
夢に向かって進んでいますか?


過労死大国ニッポンに必要なただ1つのこと

2016年、とある広告大手の話題が大きく取り上げられましたね。
リアルでも、ウェブでも。
若い女性の過酷な労働実態と、追い詰められていく過程が
垣間見えるLINEなどの履歴。

 

 

 

ぞっとしたサラリーマンは、私だけではないと思います。

 

 

 

この事件は、特に大きく取り上げられています。
そんなに特別なのかというと、ある意味ではそうですよね。
この会社は過去に一人、社員を過労死させています。
にもかかわらず、二人目です。

 

 

 

工事現場で何回も死亡事故を起こしている会社が関西にもありますが、
シリアルキラーならぬ、シリアルキリングカンパニーとか。
そんな言葉が、そのうちできそうです。

 

 

 

Karoshi

 

言葉つながりですが、「過労死」という言葉。
残念なことにすっかり耳なじみですが、日本生まれということ、
ご存知でしたか?

 

 

 

世界で初めて提起されたのは1982年。

「過労死 脳・心臓系疾患の業務上認定と予防」

3人の研究者と医師により出版された、専門書です。
英語では「Death from Overwork」

 

 

 

とも書くそうですが、「KAROSHI」で通じます。フランス語でも。
すごいぞ日本。
逆の意味で。

 

 

 

2016年、またしても日本から世界初の文書が出ましたね。
通称「過労死白書」。
名実ともに、日本は過労死大国なわけです。

 

 

 

過労死大国。

 

字面がものすごいです。
ちなみに、過労死の中には「過労自死」も含まれることが多いそう。
白書によると、先進国の中でも平均労働時間は日本人が非常に長く、
色々な問題が仕事によって引き起こされています。

 

 

 

・身体の疾患
・精神の疾患
・突然死、自死

 

 

 

ここ数年で減ってきてはいますが、まだまだ多いです。
今でも、毎年2万5千人以上の人たちが自死しています。
そのうち、原因が認定されているのは30%とも50%とも言われます。
理由が不明、という事件も多いのです。

 

 

 

「過労死白書」は、日本国内の実態と対策状況を著したものです。
世界にさきがけて発表できる、ということは、
そもそも、過労死が世界でもトップクラスに多い、ということ。
経験豊富な専門家だからこそ、世界初の専門書が書けるわけです。

 

 

 

なぜ、日本では過労死が多いのか?

 

よく言われる原因は
・非常な長時間労働
・職場の人間関係(ハラスメントなど)
です。

 

 

 

たとえば、

 

日々の無理がたたって精神的、身体的な疲労が蓄積する。
仕事の効率が落ちて長時間労働に拍車がかかり、
仕事が終わらず上司や同僚に叱られたり見放されたりする。

たまの休みはぐったりしているので家族や友人との関係も冷え、
疲れが取れず効率が更に落ちる。

 

 

 

とか

 

 

 

毎日毎日、上司に何時間も衆人環視で叱責を受ける。
気持ちが沈みっぱなしで家族や友人に八つ当たりをし、
ギスギスした職場で連携も何もあったもんじゃなく、
気が休まらない事で疲れがどんどんたまっていく。

仕事が遅れミスも増え、上司からの叱責が更に激しくなる。

 

 

 

というような負のスパイラルに陥ってしまうと、どこかで限界がきます。
身体に限界がくれば、不整脈や脳溢血などで亡くなったりもします。
精神に限界がきてうつ病などになれば、
判断能力がなくなり、自死してしまうことも。

 

 

 

どうしてそこまでして働くのか?

 

 

 

心を病んでしまうと自分の状態が判断できなくなり、
壊れるまで頑張り続けてしまったり、
逃げ出す、やめるということが選択肢からなくなったりしますが、
なぜ、そこまで突き詰めてしまうのでしょうか。

 

 

 

日本人は特に真面目だから?
常に控えめで気配りをする国民性だから?
残業するのが日本企業の文化だから?
「品質」「良質なサービス」の維持には長時間労働が必要だから?

 

 

 

どう思われますか?

 

 

 

 

人なのか、文化なのか

 

確かに日本人は真面目で几帳面、気配りできる国民と言われます。
ただし、それはあくまで他国の傾向との相対的な比較であって、
一人ひとりによって非常に大きな違いがありますよね。

 

 

 

残業は、もともと、契約した以上の労働を、会社の指示で行うもの。
日本以外の国でも当然、必要に応じて行われます。
労働時間管理や権利主張がしっかりしている欧米でも、
大企業の管理職では日本企業のそれと同じぐらいの残業があるそうです。

 

 

 

一方で、サービス残業はまた異なります。

 

 

世界の標準認識は、「労働とは、賃金や他条件を雇い主と契約し行う」もの。
賃金が出ない労働をする、という考えそのものが存在しない国が多いです。

 

 

契約書も何もなく子供を長時間使って使って捨てるブラックな世界なので、
サービス残業そのものは日本特有ではありません。
が、これを「仕方がない」、時に「やって当たり前」と受け入れる日本社会は
世界的に見ても異常であることは、疑いようもありません。

 

 

 

品質や良質なサービスの維持には長時間の労働が必要。
つまりは、それだけの手間をかけて提供するものに価値がある。

これは、その通りなのかもしれません。

 

 

実際、世界のどの国と比べても日本の製品、サービスの質は
高水準と言われるし、世界中の人がお金を払っているのですから。

 

 

 

遠い昔、貴族が支配していた室町時代から。
あるいは、武家が頂点に立った鎌倉時代から。
一握りの権力者から庇護を受ける代わりに、町民や農民は
衣食住の世話を主として労働力を提供してきました。

 

 

 

それが、長年にわたる、わたしたち日本の一般人の自然な働き方でした。
閉鎖された国土で、労働力と引き換えに、生きていくための保障を得るかたち。

お殿様に満足してもらい、たくさんのご褒美をもらえるよう、
米の品種改良や効率的な作付け、より頑丈な建築や土地整備の技術改良に励み、
お殿様の機嫌を良くするため観察力、洞察力を磨くことに専念できましたよね。

 

 

 

閉ざされた世界で磨いてきた、ある意味日本人にとって当然の技、感性が
近代に入って、海の向こうの世界に評価された。
世界の水準から見て、それだけ手間をかけたものは珍しいし、
お金を払っても惜しくない価値があるわけです。

 

 

 

当たり前だけど見過ごされやすいこと

ただし。
そこに、つくり手に対して、手間に見合うだけの対価が支払われていれば、です。

 

 

対価があればこそ、高い水準の製品やサービスが維持されていくし、
対価を元手に、更に高い水準を目指した活動ができる。
ほとんどのビジネスはこうやって回っています。

 

 

 

「何を当たり前の話を」と思われることでしょう。
そう、当たり前のことなんですよね。

 

 

 

お客さんが対価を払うのは、製品やサービスに対してですよね。
その製品やサービスを生み出すのは、会社や個人事業主など、組織です。
その組織は何で成り立っているか。

 

 

 

当たり前ですが、わたし達、人です。
人がいないと、何も、決して生まれません。

 

 

今後AIがどれだけ発達しようと、そこは変わらないと思います。

つまり、誰かが評価しお金を払う「モノ」「コト」は、
「人」によって生み出されています。
人が活動する、働く、ということが不可欠です。

 

 

生み出された「モノ」「コト」、そして「活動、労働」
それらが、相当の対価を支払われるべき価値のあるものです。

活動や労働は、人の時間と身体と頭を使う行為ですよね。

 

 

サービス残業は、人が活動する、働くという価値を下げることに他なりません。
いわば人を「安売り」することです。

 

 

 

過重労働やハラスメントなどで、人の活動の効率を下げる。
活動できなくする。
これも、当然、人の価値を低くすることです。
死なせてしまったら、価値も何もなく、ゼロになってしまいます。

 

 

 

組織が人で成り立っているのだから、
人の価値が下がれば、組織の価値も下がります。
すると、生み出される「モノ」「コト」の価値も下がります。
ゆくゆくは、誰からも見向きもされなくなる。

 

 

当たり前のことですよね。

当たり前なんですが、当たり前だからこそ、見過ごされている気がします。

 

 

組織にとっての3大資源は「ヒト」「モノ」「カネ」と言われます。
物、金はおおむね大事にされます。
特に金は、どんな時にも重要視されます。大きな金を生むために、金をかける。

しかし、人は?

 

 

 

教育や指導に金をかけるのは、将来のリターンを期待すればこそ。

 

 

それなら、なぜ、人の価値を下げる行為をするのか。放置するのか。

直接的にしろ遠回しにしろ、なぜサービス残業を命令するのか。

パワハラやモラハラが起こっているのを知っている、感じているのに、
なぜ放置するのか。

それらで苦しんでいる人を、なぜ見捨てるのか。切り捨てるのか。

 

 

 

山あり谷ありも、目指す先に輝きあればこそ

厳しい時も辛い時も人生の中にはあります。
それを乗り越えてこそ成長する、それは間違いなく正しいです。

 

 

乗り越えた先に、新たな世界や価値観があれば。

 

 

 

ただただ命令されて、自分を毎日安売りさせられたり。

いわれも意味もない嫌がらせにひたすら耐えたり。

助けを求めても「お前にも原因がある」と突っぱねられたり。

「会社を変わっても一緒だ」なんて呪いの言葉に絶望したり。

 

 

 

それらを耐えた先に、一体何を得られるんでしょうか。
そんな組織に、一体どんな価値があるんでしょうか。

 

 

 

きっと世界の中には、本当に人を大事にしている組織もあると思います。
でも、大事にしている、って、どういうことを指すんでしょうね。

 

 

 

周りから見て、待遇や制度が整っている事なのか。
決して解雇せず、働いている人の声に耳を傾ける事なのか。
納得できる評価と登用をもって、チャンスを与える事なのか。

 

 

 

それもひとつの見方です。

 

 

ですが、わたしは、「本人が実感できるか」だと思います。
大事にするかたち、というのは、人の数だけありますよね。
自分の周りの人たちの、逆に自分も周りの人から、価値を認め合う。
これしかないです。

 

 

 

「たくさんの人が集う組織では無理」とか聞こえてきそうですが、
ひとつの仕組みや制度で済まそうとするからじゃないでしょうか。

 

 

本当に、真実、十人十色です。
本当に必要なのは、制度でもなく、人の改革です。

価値を認め合える人たちが集まった組織なら、
そもそもこんな当たり前のことで悩む必要もないですよね。

 

 

 

自分の所属している組織がそうでないのなら。
そう変わっていける気がしないのなら。
自分で作ったり探したり、飛び出していくのも選択肢です。

 

 

 

あなたの価値、私の価値

ひとつの組織に勤め続けたとして、およそ45年。
20歳から65歳ぐらいでしょうか。
最近の日本人の平均寿命の半分いかないぐらいですが、
身体的、精神的に最も充実している時期です。

 

 

 

その間、安売りさせられ続けたり、嫌がらせに耐え続けたり。
最終的には捨てられたり、もしかしたら、殺されたり。

それで一生終わって良いほど、あなたは価値が低い存在でしょうか。

 

 

 

サービス残業を強制したり、ハラスメントを実際にやっていたり、
それを顧みるつもりもなかったり。
そんなクズな人でない限り、わたしはそうは思いません。決して。

わたし自身、ぜったい、嫌です。

 

 

今いる組織も、建前はともかくサービス残業歓迎な風潮がありますし、
一部ではハラスメントもあります。
それで去った同僚もいます。

それに憤る社員がいて声も上がっているのに、変わりません。

 

 

会社方針でサービス残業なし、と再度通達があっても、
部長や課長は、残業をつけるのは19時以降と命令します。
定時が17時30分なので、完全にサービスですね。
そして、労務管理をする人事もそれを黙認しています。

 

 

 

ハラスメントには懲罰的な人事があり、それでおしまいです。
何人も、主に新入社員をつぶしているのに、
その人は今も部長の立場でいます。

 

 

今は管理職だけの部にいますが、数年経てば新人が来るでしょう。
もしかしたら、そのうち、部長以上の職位に戻るかもしれません。

 

 

 

嫌で嫌で仕方がありません。
もう、社長も含め、個人がどうこうして変わるものじゃないです。

 

 

組織は人で成り立つもの。
人が変わらなければ、組織も変わらない。
でも、変わるべき立場の人が、最も変わらない。
それを待っていられるほど、自分の人生は長くも安くもない。

 

 

 

なので、わたしは、飛び出そうと思います。
その準備をしています。
価値を認め合える人たちと繋がりを持ちながら、
価値を高め合っていける、そんな生き方を目指して。

 

 

 

組織の「檻」の隙間から、外の世界をうらやむ。
それをやめて、檻の外へ。


筆者:鳴海 研

化学メーカーにつとめる30代理系サラリーマン。
一人っ子として育てられたと思ったら実は違ったり、
借金で育てられたり家族が蒸発したり会社の先輩が失踪したり、
色々経験する中で辿り着いた、本当に生きたい人生とは。
あなたはどんな未来を実現したい?そんなことを書いています。

⇒鳴海研ってどんなやつ?

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