海外メーカーに見る日本人のうまい釣り方と、兵隊アリとして過労死しないために

 

 

究極の青田買いを仕掛ける海外メーカー

 

先日ちょっとした話題になりました。初任給の話。
2018年新卒も引き続き絶賛売り手市場の中、
日本での大型工場新設を発表した中国の有名スマホメーカー、
ファーウェイ=華為技術。

 

 

 

ファーウェイジャパンがリクナビ2018に掲載した初任給ですが、
学士卒で40万1,000円、修士卒で43万円とのこと。
エンジニアとか研究職枠ですね。賞与は年一回以上。
有休50%以上消化、完全土日祝休み、だそうです。

 

 

 

数多くある日本企業では、こんな条件ってまずありませんよね。
あっても「基本給20万円+歩合制」とか。
従来日本人が好まなかった転職が受け入れられ始めてるタイミングで、
こんな驚きをぶちこんでくるとは。

 

 

 

これはファーウェイ、うまいですね。
さすが億単位で人間がいる国で、
優秀な人材を囲ってきただけあります。

 

 

 

海外でもあまりないんじゃないかと思います。
学校出たての、何ができるか自分でもわかっていないような
ぺーぺーに大枚はたく必要ないですから。

 

 

 

日本人のお好みで

 

実績もある優秀な人材は、好条件なら自分から売り込んでくるし。
転職してステップアップが普通の文化なら、
ビジネスマナーから教える必要のない、
費用対効果が計算できる優秀な人材の方がいいでしょう。

 

 

 

国際的にも有名な工科大学の首席とか次席を、
すごい年棒で囲い込む企業はあります。
家や車の世話付きで年棒1,000万円超えなんてのもあるそうですよ。
ただ、これはごく一部、まさに選ばれし人間だけです。

 

 

 

今の日本でもまだ、高い年棒で他の会社から引っ張ってきたり、
好条件を掲げて応募を待ったり、というのは、馴染まないです。
なんだかんだで所属する組織に愛着とか責任を感じる人がほとんどだし、
お金や地位で転職する考え自体が、どっちかというと敬遠されます。

 

 

 

さらにいい条件があれば転職するんじゃないか、と、
受け入れ側が思うし、転職する側もそう思われることを懸念します。
別に普通のことだと思うんですけどね。
ここは我慢とか忍耐をし、苦難を乗り越えることが美徳とされる国です。

 

 

 

ここで、ファーウェイのような、白紙の人たちを高給でもって
迎えるやりかたは、とても受け入れられやすいです。
無事に就職できたら、周りからはさぞ羨ましがられることでしょう。
胸を張って自慢しましょうよ。自分で勝ち取った条件なんですから。

 

 

 

ファーウェイ側としては、リスクもあります。
上で触れたとおり、ビジネスパーソンとして教育されていて、
実績もある技術者の方が絶対いいんです。
新卒だと教育もしなければいけないし、本当に優秀かわからない。

 

 

 

スマホの世界なんて、技術の移り変わりが本当に速いですから、
一瞬たりと足踏みしている時間はないと思います。
わたしの会社も、その分野への材料の原料屋として付き合いが
ありますが、納期も品質も技術的要求も、ダントツ厳しいです。

 

 

 

きらびやかな面だけじゃなく、ちょっと裏側も

 

お金に関わる部分は華やかに目を引きますが、
技術の継承とか教育、労働時間や残業の状態、仕事の持ち帰りとか。
そんなところも吟味して、職を選んでいきたいですよね。

 

 

 

テレビ業界では、職種にもよりますが、20代で年収1,500万円とか。
ただし、一日2時間睡眠もザラ、帰宅できないこともしばしば、
休日出勤は当然のようにある。そんな仕事だそうです。
それでも、高給でもって辞めずに頑張る人が多いとか。

 

 

 

若い時にガーっと稼いで、5年ぐらいしたら転職するとか、
そういうライフプランだってありです。
まあ、テレビ業界の例みたいな働き方だと、循環器疾患とかで
1~2年で過労死するかもしれませんけど。

 

 

 

高給の裏側には、何か理由があります。当たり前ですけど。
入社しないと実態なんてわかりようがないですが、
できるだけ調べて納得して、選びたいものです。

 

 

 

入ってから「こんなはずじゃなかった」となって、
辞めたり転職できればいいですけど、
頑張ったり頑張らされたりで精神疾患になるとか、
最悪死んでしまうとか、そんなアホらしいことはないので。


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将来の不安を減らす、一番大事なコト

 

 

 

日々の生活の中、仕事の中、将来を考えた時。
「不安」という感情は、常に心のどこかにあります。
安らぎを得られても、ちょっとしたことで顔を出してくるコイツ。
厄介ですね。未来や将来が不安だと萎縮してしまうこともあります。

 

 

 

不安とは何でしょう。

 

 

 

恐ろしいもに脅かされてるという感情。
現実に恐れる対象がはっきりせず、原因は本人にも明瞭でない。
(ブリタニカ国際大百科事典より)

 

 

 

気がかりで落ち着かないこと。
心配なこと。また、そのさま。
(デジタル大辞泉)

 

 

 

何かよくわからないけど、怖い気がするとか。
こうなるかも知れないことが、悪い意味で気になるとか。
そういった、起こっていないこと、時には目にも見えないものが
何となく怖い、嫌だ、という気持ちですね。

 

 

 

デジタル大辞泉では「心配なこと」とありますが、
心配と不安は似ているようで違う気がします。
心配って、誰かとか、何がとか、はっきりしていませんか。
不安は、ブリタニカにあるように、そこがもやっとしていますよね。

 

 

 

それこそ、漠然と「将来が不安」みたいな。

 

 

 

想像に現実が追いつくには?

 

新聞におもしろい記事がありました。
記事の趣旨は、短期主義の経営と長期経営のどちらが
企業価値を上げるのか、というものです。
長期と言っても、日本企業の中期計画レベルじゃなく、100年とかです。

 

 

 

結論としては、研究の結果、長期経営に軍配が上がりました。
アメリカ上場のグローバル企業615社を短期、長期に分けて比べると、
長期経営の方が、1社平均で売上高100億ドル以上、
利益も36%大きかったそうです。

 

 

 

一番の差は「数十年、100年先を見据えたビジョン」が土台にあること。

 

 

100年委員会(米デュポン)とかメガトレンド(独シーメンス)、
ニューリアリティ(瑞ネスレ)と呼ばれる会議体があって、
そこで示された予測とかビジョンを経営上層部が共有する習慣とか
風土が定着しているそうです。

 

 

 

タイフーンとかリーマンショックとか大事故とかテロとか戦争とか、
大きなことが起こっても長期ビジョンに従った判断をする。
数年おきに外部の専門家を入れて修正する。
トップが交代してもビジョンは継承する。

 

 

 

「将来こうなる、ここを目指す」というのをドドンと据えて、
じっくり腰を据えて取り組むわけです。
社長が変わっても、社の方針は曲げない。
すごいですよね。これぞ舵取り、という感じです。

 

 

日本だと、わたしの会社もそうですが、経営ビジョンなんて
長くて5年ですよ。しかも目標レベルです。
一貫したビジョンなんてありゃしません。下から要望しても。
社長の年頭挨拶では、言うことが毎年変わります。

 

 

 

これだと、社員には、自分たちが向かっている先が見えません。
不安ですよ。いろいろ考えながら、指示もこなしながら
毎日頑張っているのに、一向に業績は上向かない。
こんな状態が続けば、会社だけでなく自分の将来も不安になります。

 

 

 

20代の若い社員が、「将来が不安」「希望が持てない」
という理由で退社したことがあります。
「将来のビジョンを示してほしい。不安で仕方がない」と
社長に訴えましたが「重く捉えている。手は打つ」だけ。

 

 

 

2年ほど経ちましたが、ビジョンが示されることもなく、
将来を不安がる声は増えるばかりです。

 

 

 

着地点を見定める重要さ

 

不安不安といっても、起こってない、明瞭でないものを
怖がっているだけです。
それは、誰も明確に否定しようがない、と同じ意味です。
その時になれば実は何でもないかも。でも、誰にもわからない。

 

 

 

人は基本的に、不快なことを避けようとします。
不安な状態を変える選択肢もありますが、そこから出て、
安心できる場所を探そうとします。楽だから。
特に将来にわたって不安を感じるなら、出ようとしますよね。

 

 

 

わたしは、安心できる場所へ移ることは正しいと思います。
変えることはきっとやりがいある仕事でしょうが、
変えることに時間を使うよりも、安心できる場所で
自分のやりたいこと、なりたいことへ使いたいです。

 

 

 

一方で、みんながそうすると、元の場所はいずれなくなります。
当たり前ですね。
そこでどれだけの人が踏ん張って変えていけるか。
それは、どれだけ将来に希望が持てるか、につきます。

 

 

 

10年後、20年後、50年後、100年後にこうなっていたいから、
こういうことを、こんな順番でやっていくんだ。
そのビジョンが明確で、魅力的であれば、
その場を変えることに力をつくす人も多くいるでしょう。

 

 

 

これは、自分の生き方にも通じますよね。
会社経営=会社の人生ですし。

 

 

 

人生のビジョンが明確で、自分にとって魅力的なら、
あとはとにかく進んで実現するだけです。
周りにも魅力的なら、協力や仲間を得られます。

 

 

 

近い将来だけでなく、進んで進んで行きつく先に
どんな形や姿をおくのか。
どう進んで行くのか。

 

 

 

人生にしても会社にしても、何をおいても大事だと思います。
それがしっかりしていれば、将来への不安は少なくなります。
不安の種は尽きないにしても。

 

 

 

将来の不安を少なくするために。
自分の将来を、考えてみませんか。


自分の人生をよく生きた「証」。あなたはどんな言葉を残しますか

 

 

 

 

自分の人生を生きた証。よく生きた証。
それは、愛する人の心に残った記憶であったり、
惜しんでくれる人であったり、健やかに育った子どもであったり。
最期の言葉が、「愛してる」というのも、そうではないでしょうか。

 

 

 

小林麻央さんが2017年6月22日、闘病生活の末に亡くなりました。
まさに、自分の人生をよく生きた方だったと思います。

 

 

 

わたしは、アナウンサー時代もフリーに転じてからも、
特にファンというわけではありませんでした。
それでも、2016年6月に乳がんを患っていることがわかり、
それからの言動をみるにつれ、素敵な人だなと思っていました。

 

 

 

あれだけ浮名を流し、尖った言動で注目された市川海老蔵氏と
2010年に結婚されました。
だんだんと問題視される言動が減り、顔つきも穏やかになっていく
海老蔵さんから、麻央さんの影響を感じたものです。

 

 

 

歌舞伎の名家へ嫁いでからは、しきたりとか人間関係で苦労も
されたのではないでしょうか。
わたしには計り知れない世界ですが、自身の仕事との両立も
大変だったのではないかと思います。

 

 

 

テレビでしか知りませんが、いつも明るく振舞っていましたね。
病気を公表されてからもそのスタンスは変わらずでした。

 

 

 

ただ、印象的だったのは、明るく元気なイメージの麻央さんが、
ブログで闘病中の心境を公表されていたこと。
抗がん剤治療のつらさ、気持ちの乱れ、死への恐怖とか。
2人の子どもたちへの心配と、夫への気持ちも。

 

 

 

感謝と愛情に溢れながら、時に「ごめんね」という表現もありました。
病気になったことには麻央さんの落ち度はまったくないのですが、
子どもの成長を見続けられない、母親が必要な時にそばにいられない、
家族と一緒に歳を重ねられない可能性がそう思わせたのでしょうか。

 

 

 

赤裸々ではなくても、つらさや恐怖といった自分の負の感情を、
公の場に文章として表すのは、勇気のいることだと思います。
でも、文章は残ります。これも、自分の人生の証ですよね。

 

 

 

文字にすることで整理できる部分もありますが、
自分の感情や将来の恐ろしい可能性を再認識してしまいます。
後で読み返して、つらい思いを繰り返し感じることもあるでしょう。
それでも、同じ病気の人に何か役立てば、と。

 

 

 

素敵な人だと思います。

 

 

 

海老蔵さんの会見では、最期の言葉は「愛してる」だったそうですね。
その言葉を残された海老蔵さん、とても苦しいと思います。
たくさんの想いがつまっていて、嬉しくて、寂しくて。
とても忘れられない言葉です。

 

 

 

一緒にいれて、一緒に生きられて幸せだった、とか。
もっと一緒に生きたかった、とか。
ありがとうもごめんねも、めいっぱい詰まっているように思います。
そして、そう生きられた自分を誇っているようにも思います。

 

 

 

そんな風に、自分の人生をよく生きられるように。誇れるように。
愛する人に愛してるってたくさん言って、最期にも言えるように。

 

 

 

自分の短い人生、大事に生きていきましょう。


定時に帰れる人は良いな…なんて言ってると人生しょぼくれますよ

 

 

 

「定時退社」「定時に帰る」
あなたはこの言葉を見て、どのように感じますか?

 

 

 

憧れとか。罪悪感とか。そんなん無理、とか。
できたらいいね、でも、とか。仕事ができる人だね、とか。
でも自分は、とか。仕事を後回しにしてけしからん、とか。
一つではなくいろんな感想が浮かぶことだと思います。

 

 

 

定時に帰れない=能力がない

 

わたしが新入社員として研究に配属されたころ、
初めての上司に、代表的な一日のスケジュールを見せられました。
詳細省きますが「8:00出社、19:00退社、23:00就寝」。
ちなみに定時は8:30~17:00です。

 

 

 

「あ、19:00に帰ってるんや。早めやな」
当時のわたしの感想です。慣れと無知。怖いですね。
大学院卒で研究生活に馴染んでいて、学校を21:00頃出るとか
かなりの頻度であったので、19:00は早めだったんですね。

 

 

 

今思えば、新入社員に「1日2時間の残業は普通ですよ」と
言っているわけです。
定時に帰ることは、ないとは言わないけど、普通じゃないですよ、と。
フレックス職場で管理職の日常とはいえ、どうなんでしょうね。

 

 

 

日本の特に正社員は、いまだに残業折り込み済みの部分がありますよね。

わたしも研究の頃は、初上司の日常をなぞるように、
普通は19:00退社、遅ければ上限の22:00退社でした。

それが普通だと思っていました。
わたしの周りの大多数の人も、そうでした。

 

 

 

でも、ごく一部の先輩に、すさまじく短期間で成果を上げる人が
いました。すごいですよ。

 

 

 

3カ月の検討期間を与えられても、かかって2カ月。
早ければ1カ月で仕上げる。しかも望まれた成果+αで。
もちろん研究なので、全てうまくいくわけではありません。
1カ月で「ダメ」と判断していました。「こうすればいい」付きで。

 

 

 

その人たちはなぜそんなに仕事が早いのか。
ルーチンだから?いやいや、いつも新しいものばかり作っている。
飛び抜けて優秀だから?それはあるかもしれません。
ただ、明確に違うのは、「残業しているから?」

 

 

 

その人たちは基本的に、定時に帰っていました。
作業の都合で残業になることはありました(反応が8時間とか)が、
定時に来て定時に帰る、それが普通でした。

 

 

 

最低限のコストで最大の成果を得る。理想の体現ですね。
当然、上司からの評価は非常に高いものでした。
うちの会社では、給与とか昇進にはほとんど関係ないですけどね。
だから若い人が減っていくんですが。

 

 

 

当時のわたしは「すごいなあ」ぐらいにしか思っていませんでした。

 

 

 

数年後、営業に移ると、圧倒的多数の人が、普通に残業していました。
電話を取って、パソコンにかじりついて。
研究の頃みたいに21:00まで、というのは少ないですが、
やっぱり20:00頃までは人がいました。

 

 

 

そこそこの歳=ベテラン という大嘘

 

その中でも、トップセールスマンというのはいます。
成績の公表やノルマはないので、どのぐらいかはわかりませんが、
社長からの表彰を取るほどの数字をたたき出していました。
わたしより若い、当時20後半の人でした。

 

 

 

営業は外回りに出ることが多く、残業とか仕事ぶりがどう、とか、
定時に帰れているかどうかがとてもわかりにくいですが、
その人はとにかく、事務所にいませんでした。
直行直帰が非常に多く、お客さんのところに行きまくっていました。

 

 

 

とはいえ、月末月初やどうしてもやらないといけない事務作業は
あるので、1週間に1日ぐらいは事務所にいました。
たまりにたまった作業をその日にやってしまうので、
どうしても残業にはなっていました。

 

 

 

飲みに行ったときに、何時ぐらいに帰れているか聞いたことがあります。

 

 

 

遠方出張もあるので帰宅時間はまちまちだけど、
事務作業を除き、仕事はほとんど定時に終えるようにしている、と。
事務所の外ではできないことがあるというのもあるけど、
メールを打ったり電話をしたりも、基本的に定時まで。

 

 

 

そのためにはどうするか。

 

 

 

仕事は次から次へとやってくるし、放っておけばたまる一方。
たまれば処理がしきれなくなって、残業して追いつく。
時には頭と時間を使わないといけない仕事もあって、
一向に追いつかない。

 

 

 

何となく来た仕事に対処していたら、すぐその事態に陥るので。
「やる仕事を選ぶんです」トップセールスマンは言っていました。
先輩や他部署に振れる仕事は振ってしまう。
考えないといけない仕事、時間が必要な仕事を選んで、それからやる。

 

 

 

メールを見たら、1分だけ考えて、返せる返事は返してしまう。
許可が必要な案件は、少し先の回答日だけ返して、まとめて得る。
時間がかかる案件は、とりあえずすぐに関係者に情報共有だけして、
落ち着いて考えられる時に優先して取り組む、という感じで。

 

 

 

そういえば、研究ですごい速さで成果を出していた人たちも、
取り組む仕事を選んでいました。
時には、優先順位付けどころか、可能性を捨てるぐらいの勢いで。
そして、定時に帰る。時間内に仕事を終わらせていました。

 

 

 

上司に「これは検討しても結果が見えているから、やりません」と
よく言っていました。
もしかしたら、やらないと決めた検討の中に正解があるかもしれない。
けど、今はやらない、と。それよりもこっちが正解に近いと思う、と。

 

 

 

わたしたちサラリーマンは、ともすれば「上に言われたから」
「お客様の要望だから」と、何でも引き受けてしまいがちです。
でも、それって実は、思考停止しているんですよね。

 

 

 

クレームやトラブルみたいに、考えるよりまずはスピードが求められる
突発的な仕事は実際にあります。

 

 

 

でも、例えば定期的に指示される会議資料みたいに、
実は同じような内容を何回も作る、ってありませんか?
それなら、共通部分は上司がコピペ駆使して作り変えてもらって、
担当者からは変更、追加の情報を入れてあげれば済みますよね。

 

 

 

部下が作成した文章を上司がチェックして、訂正を指示して…
って繰り返すより、必要部分を集約して、
上司が話しやすいように自分で書き換えた方が、
上司も部下も時間を使わずに済みます。

 

 

 

それにはまず、上司に納得してもらわなければ実現できません。
会社というところは、横方向に協力や情報共有できても、
やるやらない、これでいいかいけないか、は縦で決まるので。
社長を除き、上司は、さらに上の上司を説得しなければいけませんね。

 

 

 

なので、仕事を選ぶにしても、「これはやりません」と言うときに、
わかりやすく納得してもらえる理由を添えなければ進みません。

 

 

 

共通言語を探して説得する

どうやればわかりやすいか。
それは、相手にどんなメリットがあるか、だと思います。

 

 

 

時間や作業が減る可能性があるとか。
何にせよヒト、モノ、カネが動くものは全てコストです。
早く成果に結びつく可能性があるとか。
投資コストに対してリターンが早いに越したことないですよね。

 

 

 

こういう提案をすると、「それは確かなのか」と言われます。
しんどいところですよね。弊害ですらあります。

 

 

 

起こってもないことが確かかどうかなんて、誰にもわかりません。
なので、可能性が高いと思えば、やってみるしかないです。
90%いけると思っていても、やってみたらダメなことだってあります。
でも、やらなければ100%ダメなんです。それよかマシです。

 

 

 

望む人生のために

 

仕事を効率的に進める。スピードアップする。
そのために「本当に時間と手間をかける必要がある」仕事に集中する。

他は短時間で判断するか、思い切って省く手を考える。
そうできそうな方法があれば、周りを説得して、思い切って変える。

 

 

 

日々の仕事を細かく仕分けて、所要時間を見える化して、
優先順位と方法を見直して、PDCAをまわす。
よく言われる手法ですが、わたしもやってみて思ったのが、
やることが決まっている仕事でなければ、すぐに効果は出ません。

 

 

 

やることは日々変わるし、質も優先度もその時々。
そんな仕事だと、仕分けて優先順位を付けた時には、
もう成り立たない、ということもよくあります。

 

 

 

どの仕事が優先順位が高いか、時間と手間をかける必要があるか。
その判断は、期待できる成果や及ぼす悪影響のバランスです。
そこは、自分の仕事の流れや関係する部署、かかる時間の
見極めができないと困りますが、それは経験と洞察です。

 

 

 

日々の仕事の中で、それを意識して取り組んでいると、
だんだん見えてきます。
優先順位は、それをベースに常に考えていくしかないと思います。
そして、仕事の選び方も含め、時には考えを上司に確認してもらう。

 

 

 

そうすると、上司も安心できます。「こんなこと考えてるのか」と。
「任せるから」と言われることが増えて、
自分の判断に自信が持てればこちらのものですよね。
それからはもう、自分の判断で仕事を選んでいく。上司にも報告する。

 

 

 

それが、仕事の成果を上げながら定時に帰る方法なのだと思います。

 

 

 

定時に帰って、家族や仲間と触れ合ってリラックスする。
趣味や運動でリフレッシュして自分の生活を整える。
ゆっくり休んで、心と身体の調子を整える。
やりたいことや、将来のために今すべきことをする。

 

 

 

その全てが、次の日の仕事の効率を上げるものですし、
次の日にも定時に帰れる条件のひとつですし、
その積み重ねが自分が望む人生をつくっていきます。

 

 

 

定時に帰るために、やる仕事を選びましょう。


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「自分を知る」AI時代に埋もれない、たった一つの方法

 

ついに来ましたね。

何もスキルがなくても、経験がなくても、
健康ならなんとか食べていける。
そんな時代が終わろうとしています。

 

 

 

そんな時、まずしなければいけないのは。
自分とじっくり向き合って、自分を知ることじゃないでしょうか。

 

 

 

人間であること、って?

 

世の中にAIとか自動運転技術が登場して、随分経ちました。
今や床の掃除機がけとか自動車の非常ブレーキ、
簡単な受付や案内業務、洗濯物を畳んだりは、
人間の代わりにロボットができる時代です。

 

 

 

声で個人の識別ができ、ひと声かけるだけで家電の操作もできます。
高速道路で前の車についていくのも、渋滞時のペダル操作も肩代わり。
スマホに話しかければ、リアルタイム翻訳だってできます。

 

 

 

わたしたちの日常に深く溶け込みつつあるこれらの技術が、
ついに、建築現場の資材搬送や鉄骨の溶接まで行おうとしています。

 

 

 

建築は芸術の一種です。
わたしは全くの素人なので技術的なことはわかりませんが、
周囲の景色や環境と調和し、来た人に驚きや安らぎを与え、
自然現象への耐性を兼ね備え、機能を持っています。

 

 

 

そもそも「調和」とか「驚き」「安らぎ」といった感覚は、
人間特有のものです。好き嫌いだってあります。
なので、それらを設計し生み出すのも評価するのも、
人間にしかできません。

 

 

 

ですが、設計された建築を、図面や工程通りに作ること。
これは、ロボットにもできる分野です。

 

 

 

一方で、建築現場では、狭い中たくさんのロボットが一斉に動くし、
GPSの電波も届きにくい。
立体的な構造の中、たくさんのロボットを制御しなければいけない。
そんなことから、これまで自律型ロボットの導入は難しいものでした。

 

 

 

なので、機械を使いながら、人が現場に入って建築をしてきました。
厚い中寒い中、時に足場の不確かな中で重い資材を持ち運ぶ。
当然、体力のいる仕事です。
管理者には建築と安全衛生の専門知識もいります。

 

 

 

ですが、清水建設は建築現場に自律型ロボットを投入するそうです。
なんと自社開発。2018年から一斉投入するそうですね。
しかも、100カ所の工事現場で8,000台のロボットを管理できる
システムも開発したとあっては、すごい!の一言です。

 

 

 

3次元の設計図面とかセンサーで自分の位置を把握できるそうです。
資材を運ぶ搬送ロボ、資材の積替えロボ、天井への内装材据え付けロボが
あって、搬送ロボがエレベーター経由で据え付けロボに資材を渡せる。
連係プレーもできるとは!ロボコンどころじゃないですほんと。

 

 

 

これ、人間がする場合より7割少ない人数で運用できるんですって。
検証予定の地上30階建てビルの場合、のべ6,000人減らせるそう。
のべ人数とはいえ、恐ろしいですね。
小さいビルとかなら、十数人ぐらいで建てられるのでは…。

 

 

 

このロボたち、2~3カ所で転用すれば投資回収できるらしいので、
検証が終わり次第、大手ゼネコンがこぞって大量導入すると思います。
となれば、一体何人の作業員の削減になるのか。
日雇いや有期限の人が多いと思うので、えらいことになります。

 

 

 

これからの時代の「価値」

 

AIやロボットの発展によってたくさんの仕事が人の手を離れる、
と盛んに言われていても、ピンと来ていなかった人も多いのでは?
最悪、健康な身体があれば、コンビニとか本屋のバイト、
交通整理とか建築現場で働けば食べてはいける、とか。

 

 

 

そんな時代は終わろうとしていますね。明らかに。どうしようもなく。
この流れは逆行しないです。だって企業にとって良いことだし。
労働力としての人間は、使い回しはきくけど休みがいるし、
怪我するし死ぬしそうなったら周りがうるさいし。

 

 

 

でも、ロボットは燃料補給とメンテさえすれば、
壊れるまで働きます。文句も言わず。工期もすごく短くなります。
人間の出る幕は究極、ロボたちが間違いなく動いているか
監視するぐらいしかなくなります。

 

 

 

そんな時代、肉体労働しかできない人たちの行き場は、
たぶんありません。
そんな旧式でコスト高の労働力は、記録とか資料の中行きです。

 

 

 

人間だからこそできること。人間にしかできないこと。
SFでは、機械が人間を飼う世界も描かれます。
それは行き過ぎとしても、お金とか「対価」を払うという行為は、
対価に見合う価値を見出した時、心を動かされた時です。

 

 

 

そして、心は人間にしかありません。
もし機械が心を持ったなら、それは機械ではありません。
人の心を動かすこと、それに価値を見出せるのも、人間だけです。
そんな時代に必要なのは、「自分は何をしたいか」だと思います。

 

 

 

誰のために何がしたいのか。
それを知るためには、常識とかしがらみを一旦置いて、
自分にじっくり問いかけるしかないと思います。
自分を知る、ということしかないと思います。

 

 

 

今すぐではないかもしれませんが。
自分を知り、したいことをすることに価値がある時代は、
その足音は、そこまで来ています。


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筆者:鳴海 研

化学メーカーにつとめる30代理系サラリーマン。
一人っ子として育てられたと思ったら実は違ったり、
借金で育てられたり家族が蒸発したり会社の先輩が失踪したり、
色々経験する中で辿り着いた、本当に生きたい人生とは。
あなたはどんな未来を実現したい?そんなことを書いています。

⇒鳴海研ってどんなやつ?

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