自分らしく生きるためのコミュニケーションとは

 

 

京都で面白いイベントがあったそうです。
まさに異文化コミュニケーション。
椿で名のある長福寺で、日中韓の学生が「お茶」で交流するもの。
日中韓の文化イベント「東アジア文化都市2017京都」の一環です。

 

 

 

いまや日本人でもあまり馴染みのない茶せんで抹茶をたて、
お互いの学生生活について談笑する。
抹茶だけでなく韓国の(とうもろこしの)ひげ茶、
中国のジャスミンティーも交えながら。

 

 

 

いいですね。政治の上ではいがみあうところがあっても、
個人同士では全く関係ないです。特に若い人たちは。
素直にコミュニケーションをとって、深めて、
共通点も違う部分も感じて、受け入れてほしいですね。

 

 

 

歴史に学んで教訓を得ることは必要ですが、じじばばのしがらみに
絡み取られて洗脳されるほどバカなことはありません。
周りがなんと言おうと、したいことはしたいし、好きなものは好き。
それでいいじゃないですか。

 

 

 

わたしの周り、主に会社ですが、いまだに外国から来た人を
毛嫌いする人たちがいます。
今の時代、電車に乗ったり街を歩けば、観光客がたくさんいる。
「あのガイジンは」「これだからガイジンは」と口さがないです。

 

 

 

コミュニケーションを取ったこともない、全く知らない人に対して、
よくそこまで非難できるな、と思います。
しかも勝手にカテゴライズまでして。

 

 

 

自分の会社にも、中国人や台湾人がいるのに。
日本語が話せて、日本の文化になじみがあるけども、
彼らだって「ガイジン」と呼ばれる、非日本人です。
ていうか、日本人じゃないから何なん?て感じですよね。

 

 

 

確かに、電車で遠い座席に座っても大声で話をするとか、
座席が空けば、すぐ前に座ろうとしている人がいても横取りするとか、
改札機のすぐ前で大きな輪になって話しているとか。
日本人のマナーに照らせば、眉をひそめることをする人もいます。

 

 

 

といっても、それはあくまで個人の行動であって、
「ガイジン」のひとくくりで非難することではないですよね。
やたらガイジンと非難することは、軽挙妄動です。
そんな人とコミュニケーションを取りたいと思いません。

 

 

 

日本人だって、団体ツアーで押しかけて、道や車中で固まったり
大声で話せば、現地の人には迷惑なはずです。
ヨーロッパやアメリカへ行って、レストランに入って、
居酒屋感覚で酔っぱらって騒げばひんしゅくものでしょう。

 

だからといって、日本人みんながそうかといえば、違いますよね。

 

 

 

行動の仕方は文化の違いとも言えるでしょうが、
結局は一人ひとりがどんな行動をするか、です。
自分がとる、起こす行動が、自分の価値を決めます。
それが周りからどう見えるかは周りの問題です。

 

 

 

お茶でコミュニケーションを深めることもいいし、
旅先で現地の人と仲良くなるのもいい。
極論を言えば、本当に自分がいいと信じているなら、
電車の座席で寝そべったりレストランで暴れるのもいいです。

 

 

 

まあ、暴れたら警察に捕まりますが。

 

 

 

周囲の意見を参考にすることは必要ですが、
色眼鏡をかけられることなく、
周りとコミュニケーションを取って、
自分の感覚と考えで判断していく。

 

 

 

直接痛い目を見ることもあるでしょうし、
周囲からとやかく言われて嫌な気持ちになることもあるかも。
それでも、好きなものは好き、嫌なものは嫌、
と言っていきたいですね。


自分を許すこと。なりたい自分になる第一歩として。

 

わたしたちは、いろいろなルールや価値観の中で生きています。
社会的なものもあれば、個人的なものもあります。
その中で、往年の名歌のように、上を向いて歩んでいくために。
起点となるのが「自分を許す」。許してあげることじゃないでしょうか。

 

 

 

許す、ということ

 

そもそも、許す、って何でしょう。
辞書では、認める、責めないでおく、免除する、任せる、打ち解ける、
とか、そんな意味が載っています。

 

 

 

英語ではいくつか表現がありますが、失敗や罪を許す、という意味では
「forgive」でしょうか。
forgive、語源が面白いですね。
唸ってしまいました。

 

 

 

forgiveを分解すれば「for」+「give」ですね。
並びだけ見れば「与えるために」みたいな意味です。なんじゃそら。
一方で、一説では、「forgive」はラテン語の「Perdonare」から
翻訳借用して作られたとのこと。

 

 

 

ラテン語「per」は「全て」、「donare」は「与える」。
つまり、forgiveは「完全に与える」という意味だそうですよ。
完全に与えることが、許すこと。
深いですね。

 

 

 

わたしたちが誰かを許す時。

 

例えば、歩いている時に誰かが肩をぶつけてきた。
「ごめんなさい」のひとことに「いえ、大丈夫ですよ」と許す、とか。
レストランで、同席者が水の入ったグラスを倒し、自分の服にかかった。
慌てて拭こうとする同席者に「洗えばいいから」と許す、とか。

 

 

 

逆に、許さない時。

 

恋人の浮気が発覚した。謝るどころか開き直っている。
わたしをバカにして!絶対許さない!とか。
肉親が交通事故にあって亡くなった。歩道を歩いていただけ。
飲酒運転の相手に完全に過失がある。許さない、復讐してやる!とか。

 

 

 

実は、許すも許さないも、自分の気持ちひとつです。
その人を許すかどうか、自分だけが決めることができます。
社会的に許されない事でも、個人的には許せる事もありますね。

 

 

 

不思議なのは、許す時って、相手のことを想っているんですよね。
「わたしは気にしないから、そんなに気に病まないで」とか、
「わたしがやるから、その間にあなたはそれをやってね」とか。

 

 

 

そこが、「完全に与える=許す」ということなのかなと思います。

 

 

 

自分を許してあげる。そのためには?

 

逆に、許さない時は、自分のことを守るだけで精一杯。
相手のことなんて考えません。
言ってることはわかるけど、わたしはあなたに傷つけられた。
だから、わたしはあなたを許さない、みたいな。頑なです。

 

 

 

自分の想いとか配慮、相手への気遣いを、相手に与える、ということ。
本当に許す時は、それらを相手に完全に与えた時、じゃないでしょうか。
相手から十分な贖罪があったり、時間とか状況とか愛情友情、
いろいろな理由から、わたしたちは相手を許します。

 

 

 

これが、自分相手だと、厄介です。
自分を許さないのは自分自身。でも、自分を許せるのも自分だけ。
自分は自分から離れられないし、四六時中評価しています。
自分に想い、配慮、気遣いなんかを完全に与えるって何?て感じですよね。

 

 

 

自分は自分に、いくらでも厳しくできます。
甘くできるのと同じように。
自分の失敗や罪悪感を覚えることが、たとえ些細なものであっても、
自分が許さないと思ったら、許せないわけです。

 

 

 

そうすると、だんだんと自分が嫌いになっていきます。
自分が仮に10項目の集合だとして、いいところが8つあっても、
残り2つが許せないと「2つも×がある自分は、全くダメだ」
となっていきます。ダメなところにしか目がいかない。

 

 

 

これは、完璧主義に通じるところもあるでしょうか。

(完璧主義をやめて、完璧を「選ぶ」ということ)
とっても苦しい状況ですよね。

 

 

 

わたしの同僚に、非常に自分に厳しい人がいます。
決まった時間に起きて、朝一番に出社する。
前日にやると決めたタスクは全部こなす。どんなに遅くなっても。
突発で緊急の仕事ももちろんこなす。できないのは甘えだ、という人。

 

 

 

自分に対するのと同じぐらい、人にも厳しいです。
部下が数人いる人ですが、しょっちゅう怒っています。
仕事は確かに正確で丁寧、信頼も厚いのですが、
仕事の外での人間関係は残念ながら、よくありません。

 

 

 

この人は、自分を許すという事をしません。
自分を最大限追い込んで、できない=甘えと考えます。
そういうストイックな生き方もありだと思いますが、しんどそうです。

 

 

 

許すことと甘やかすことは、大きく違います。
何か失敗したとして、贖罪なり挽回なりフォローなりした結果、
許されるわけですよね。
何もしなくて手放しでなかったことにするのが、甘やかしです。

 

 

 

自分で自分を許さない人。
そこにはきっと、「こうありたい」「こうあるべき」自分が
明確にあって、それと今とのギャップが許せない。
今できていない、届かないこと自体が受け入れられないのだと思います。

 

 

 

なんでこんなこともできないのか、なんてダメなんだ、とか。
なんでこんなことをしたのか、なんでバカなんだ、とか。
いったん思い始めると悪いところしか目につかなくなって、
余計に許せなくなる。許そうと思えなくなる。負のスパイラルです。

 

 

 

やめましょうよ。自分を許してあげましょう。
足りないところだらけ、未熟極まりない今の自分を。
「こんなこともできない」「こんなバカなことをした」ということは、
「これをしたい」「これはしたくない」がはっきりしていますよね。

 

 

 

はっきりしていることを実現するために、今の自分を許しましょう。
それは甘えでもなんでもありません。
単に、現状をちゃんと把握して、理想とのギャップを認めて、
理想に辿り着くために足りないものを埋める第一歩です。

 

 

 

自分を許すことが、なりたい自分になるために必要な最初の段階です。
では、どうやれば自分を許すことができるのか。
「自分を許すための、ただ一つの方法」とは。

 

 

 

そうだったのか!目から鱗!という方法は、ありません。
自分を許すのも、許さないのも、自分にしかできません。
どこまで突き詰めても、自分の気持ち次第です。
納得できるかどうか、ですよね。

 

 

 

鏡の向こうのあなたは、どんな顔?

 

そういえば、わたしには持論があります。
いつからかはわかりませんが、確信を持つようになりました。
もちろん今でも。むしろ、確信は深まりつつあります。
別に特別なことではないんですけどね。

 

 

 

「人間関係は鏡合わせ」

 

 

 

わたしが親切にした人には、親切にしてもらえるかも。
わたしが優しくすれば、その人もわたしに優しいかも。
無視したり意地悪をすれば、その人も同じように返してくるかも。
逆もそうですね。誰かに優しくされたら、その人に優しくしたいです。

 

 

 

ただ、これは見返りを求めてしまうと押し付けになります。
優しくしたんだから優しくしてよ、と。
わたしが優しく接するかはわたしにしか決められないように、
相手が優しくするかどうかは相手が決めますよね。

 

 

 

一言でいうと、自分の気持ちの持ちよう、ということです。
優しくしたら、それはいつか返ってくるかもしれないよ、と。
優しくしなかったら、優しくしてもらえることもないです。
それならわたしは優しくあろう、と思います。

 

 

 

同じように、自分を許すことができれば、人を許すこともできます。
自分が嫌いな、気に入らない部分を一番知っている自分を許せるなら、
そこまで細かくわからないし、いいところも持っている人を許すなんて、
楽勝だと思いませんか。

 

 

 

そして、あなたに許してもらった相手は、あなたのことを許してくれる。
かもしれません。あなたの望む許しではないかもしれません。
それでも、許し合える間柄って心地いいものだと思います。
「そういうお前ができてないやろが」と言い合うのはゲンナリですよね。

 

 

 

まずは、自分を許すこと。
それが、人を許すことに繋がります。
それが、あなたにとって心地いい関係を広げる事にも繋がります。
甘やかすのではなく、許すんです。お互い成長するために。

 

 

 

わたしには、将来目指す姿や形がある。
今の自分がそうなれていないのは、いっぱい足りないものがあるから。
それを埋めたり手に入れる行動とか努力をするんだ。
そのために、できない今の自分を許して、認めて、始めるんだ。

 

 

 

そんなあなたのことを、誰も「ダメなやつ」呼ばわりしません。
もしそうする人がいれば、縁を切りましょう。あなたに害なす人です。
あなたを大事に思う人や友人はきっと、応援してくれます。

 

 

 

もし過去に戻れたら、きっと、「よくやってる」と言ってもらえます。
誇りに思ってもらえます。
ちょっとだけ未来の、あなたからも。


「市場価値が高い=すごいことができる」って、本当?

 

 

中学生の頃だったか、わたしの周りではこんなテストがはやりました。
「あなたの価値は何円でしょう!?」
ウェブのサイトですが、性格とか好みをいくつか入力するだけ。
今で言えば、とーっても簡単な「市場価値テスト」です。

 

 

 

そのテストは言わずもがな他愛ないお遊びなので、
何百万円って出たり何億円って出たり、それだけです。
特に理由とかアドバイスがあるわけでもなく。
誰も信じてなんかいませんでしたが、なぜか盛り上がりましたね。

 

 

 

それから十年もたって、社会人になって、いろいろ経験して。
転職なんていう言葉も気になって。
そうすると、真っ先に飛び込んでくる言葉が「市場価値」。
どうにも緊張する言葉ですね。

 

 

 

市場価値って、一体?

 

一言でいってしまえば、世の中であなたの価値はどうなの、
ということですが。
そもそもそれって、どうやって測るんでしょう。
市場での価値。市場ってなに?どの市場?誰にとっての価値?

 

 

 

化学メーカーの製品でよくある話ですが、同じ製品でも、
使われる業界や用途によって、売れる価格が全く違います。
こちらの用途では数百円でも、こっちでは千円超えるなんてザラ。
さすがに一桁違いまではいきませんが、2倍3倍は普通です。

 

 

 

数量の要素も大きく絡みますが、結局は、
お客さんにとってどれだけの価値があるか、ということです。
そのモノ自体の価値プラス、モノについてくる他の価値。
技術サービスとか情報とか融通のききやすさとか。

 

 

 

これらのトータルが、モノの市場価値ですね。
ところ変われば、価値って変わるんです。
そこで元に戻って、わたしたちの市場価値です。
そこには何があるんでしょうか。

 

 

 

真っ先に思いつくのが「スキル」ですね。
会社に勤めるなら、その会社や業界が必要とする専門的スキル。
資格とか、その業界での実務経験とか。。
転職なら即戦力になることが求められるので、確かに重要でしょう。

 

 

 

専門的スキルの他には、例えば語学スキルとか、指導経験とか。
対人スキルとかコミュニケーション能力とも言えますね。
どんな仕事でも結局、人と人とが働くのは変わりありません。
幅広く円滑に人と協力できるスキルは、どこでも必要になります。

 

 

 

では、市場価値が高いって、どういうことなんでしょう。

 

 

 

例えば化学業界。
東大の大学院卒、有名雑誌への掲載論文数も多く、英語も堪能。
現職では若くしてプロジェクトのリーダーを務め、
生み出した新製品は億単位の利益を長年出している、とか。

 

 

 

きっと、同業研究職の引く手は数多でしょう。
研究者として転職したいなら、入り口としてはこれ以上
望むべくもありませんね。
この人も、自分の能力と経歴を存分にアピールすることでしょう。

 

 

 

ただ、例えばこの人が、絶対に研究者以外にはなりたくない、
自分はもっと高い給与を得るべきだと考えていた場合。
今の日本国内で市場価値が高いかといえば、疑問です。
外資系だったら即採用かもしれませんが。

 

 

 

変わりつつありますが、日本の企業の多くが、
異動や転勤を受け入れる条件で正社員として雇用しています。
また、高い能力を持っている人こそ、
将来の経営者候補として採用したいと思っています。

 

 

 

なので、この人の評価は「研究者としては非常に能力があるけども
わが社の求める人材とは違う」ということになる可能性があります。
転職理由に給与面でのステップアップを押し出していれば、
「条件次第でわが社の重要機密を知った上で転職するかも」とも。

 

 

 

ちょっとひねくれた見方かもしれませんが、採用する側も、
長く力いっぱい働いてくれる人を欲しているのは間違いありません。
一時的な技術力補強なら派遣会社の手を借りたり、
それこそ大学や他企業との事業提携という手もあります。

 

 

 

むしろ、わたしとしては、こんな人の方が日本での市場価値は
高いのではないかと思います。
同じ化学業界の研究職の例として、

 

顧客の要望に対し1カ月以内に何らかの提案や改良をしてきた。
密に面談をする中で次のニーズや課題を発掘し、
新テーマの提案数は同年代では一番。残念ながら実績は少ない。
御社ではもう一歩消費者に近いところで、顧客、ひいては
自分の生活を豊かにできる仕事がしたい、とか。

 

 

 

まあ、この人も大概すごい実績ですけどね。
1カ月以内に改良、新テーマ提案数が一番って、
本当にすごいことです。あくまで例ですが。

 

 

 

それよりも、顧客に密接に寄り添う姿勢と
良好な関係を築けるスキルを持っていて、前向きで、
仕事を通じて何をしていきたいかが明確です。
この人を採用して一緒に頑張っていきたい、と思えますよね。
職場にいると、周りが明るく前向きになれそうです。

 

 

 

今できる事より、どうなっていきたいか

 

市場価値、「価値」っていう言葉が入ると、
どうしても「どんな希少なことができるか」と考えてしまいがちです。
それが何より重視される仕事もありますが、
例に挙げた通り、価値というのは、ところ変われば変わるものです。

 

 

 

希少なことができれば転職する時の入り口は大きく広がりますが、
市場というものもたくさんあります。
市場価値は、一つの目線で測れるものではありません。
一緒に働きたいと思わせることも、市場価値になり得ます。

 

 

 

何がしたいか、どうなっていきたいか。
それが軸にあって、前向きに取り組むのであれば、
希少なスキルというものは余り重要ではないと思います。

 

 

 

実現したい姿に到達するために何が必要なのか。
その手段のひとつが資格やスキルであって、
逆ではないです。

 

 

 

今自分がもつもの、考えていることを客観的に評価する手段として、
転職サイトへの登録やエージェントに相談するのもひとつかと。

 

 

 

すごいスキルでもって世界の支配者とかボスを目指すのでなければ、
今の会社で、将来をしっかり考えて働いているあなたを求める会社は、
けっこうたくさんあります。
あなたが、あなた自身の市場価値を低く見ることはありませんよね。

 

 

 

転職といっても、会社に勤める以外に独立という手もあります。
結局は、どうなっていきたいか、それをどう表現するかだと。

 

 

 

考えるのも決めたことを貫くのも簡単じゃないですけど、
「わたしなんて」って言いながら老いて死ぬのは、
つまらないじゃないですか。
何はともあれ、まずは最初の第一歩、です。


会社を辞めることが「正しい」その条件について

 

 

「幸せの100円パン職人」

 

 

 

なんとも幸せそうな社名ですね。
わたしの家の近くにも、全品100円でおいしいパン屋さんがあります。
妻もわたしも重宝してます。

 

 

 

幸せの100円パン職人。京都に2店舗ある、パン製造会社のようです。
はい、この会社、すぐに辞めましょう。いますぐ。
運営している飲食店経営会社「RAIZO」この会社もすぐに辞めましょう。
久しぶりに強い憤りを感じます。

 

 

 

昨年6月5~11日、50代の男性社員に約25時間の違法残業をさせました。
深夜勤務も含みます。
時間外の労使協定を結ばず、深夜勤務にかかる半年ごとの健康診断も
受けさせませんでした。

 

 

 

そして、昨年9月22日、勤務中に倒れている所を発見されました。
それから1年経とうかという現在も、意識不明のままです。
京都労働基準監督署が書類送検したのは先ほどの違法残業に
関してだけですが、見えていない部分もかなりあるのでは。

 

 

 

こんな会社は辞めましょう。
法的には辞める2週間前に退職届を出さないといけないので、
明日出して、来月には辞めましょう。

 

 

 

どこに憤りを感じるって、労使協定や健康診断について知らなかった

と言っているところです。ここの社長。
知らなかった、ですよ。
本当か嘘かはともかく、こんな言葉が出てくるのが信じられません。

 

 

 

全部台無し

 

社長は35歳の女性です。わたしと同世代です。
きっと、女性の目線も活かして、家庭を笑顔にできるパン屋さんを
目指しているのでしょう。

 

 

 

ホームページを見ると、かわいらしいデザインです。
季節限定コンテストで、子どもからパンのデザインを募集して
新商品に採用するなんてこともやっています。

 

 

 

いいですね。
地域の人と一緒になって仕事をする、笑顔にして、自分も笑顔になれる。
すごくいいスタンスだと思います。

 

 

 

100円のパンで得られる利益がどのくらいのものか、
わたしは全く知りませんが、結構業績もいいみたいです。
10あるうちの4つの店を生地工場、本社を統合し、新社屋を建てると。
業者や企業向けケータリングも手掛けています。

 

 

 

募集要項には、本部事務スタッフは週休2日、年末年始夏季休暇あり。
正社員=パン製造職人は休日週1日、昇給・賞与あり、社会保険完備。
アルバイトはシフト制、交通費支給、まかない食べ放題。
そんなことが書いてあります。

 

 

 

求人雑誌に載る最低限の情報、という感じでしょうか。
まあ、応募してからわかる詳細もあるので、そんなもんでしょう。

 

 

 

気になるのは労働時間。
本部事務スタッフは実働8時間、休憩1時間。
それに対して、パン製造職人は、0時~20時の間で実働10時間程度。
これ、ホームページに載っているそのまま書いています。

 

 

 

中学校かどこかで「労働は一日8時間まで」って、習いませんでした?
おかしいですよね。
実働10時間をうたう会社、初めて見ました。
実働8時間、残業5時間みたいな会社はいっぱいありますけど。

 

 

 

書類送検の内容で「7日間で約25時間の違法残業」といいました。
一日3~4時間。
自分の安売りが好きな人の中には「そのくらい」と思う人も
いるかもしれません。

 

 

 

でも、ベースの実働時間が10時間なので、実際は一日14時間とか
働いたわけです。普通の会社なら、1日6時間の残業です。
しかも深夜に食い込むこともあったわけです。
過酷ですね。

 

こんな働かせ方をする会社は辞めましょう。

 

 

 

実際は労使協定とか特別協約があれば、一カ月とか期間限定で
従業員を就労させることは、可能です。
ただし、労使協定がなければ違法ですし、
会社の好き放題に働かせてしまえます。それこそ死ぬまで。

 

 

 

それでまかり通るかというと当然、通りません。
違法は違法です。訴えたら勝ちます。
そうでなくても、経営者には安全配慮義務というものがあります。
心身の安全と健康を維持増進する義務ですので、これも通りません。

 

 

 

本来なら、労働者側もこういう事を知っておいて、
条件や環境を整える要求を出して、労使一緒に実現していくのが
一番いいんだと思います。
こんな会社辞めますよ、というよりは、こんな会社にしましょうよ、と。

 

 

 

それにしても、経営者が労使の関係や法律をある程度知っている前提です。
知らないなら勉強しないといけません。
自分の会社を立ち上げて、人を雇って働いてもらって、
自分の理念やビジョンに賛同する人たちと大きくする、その一番前に。

 

 

 

それを怠って、もしかしたら怠っている自覚すらなくて、
誰かの健康や安全を損なってから「知らなかった」だなんて。
会社が倒れれば従業員やその家族が困りますし、
従業員が倒れれば本人とその家族が泣くことになります。

 

 

 

「幸せの100円パン職人」がどんな理念を掲げているか知りませんが、
きっと、従業員やその家族が泣くことではないでしょう。
それを未然に防ぐ努力と準備を全くしない人の会社なんて、
すぐに辞めましょう。

 

 

 

時間の無駄どころか、悪影響まで与えられます。
自分だけでなく家族まで及びます。

 

 

 

あなたやわたしがいなくても会社はどうにかなりますが、
あなたがいなければ、あなたの家族は幸せになれません。

それを理解しない会社なんて、すぐに辞めましょう。


完璧主義をやめる。そして完璧を選ぶということ

 

この世には、呪いの言葉が確かに存在します。

 

 

 

「どうせやったってダメなんだから」とか
「そんなのどこ(場所、会社など)でも一緒」とか
「これくらい完璧にやらなきゃ」とか
「自分は完璧主義だから」とか

 

 

 

呪いといっても、病気にするとか呪い殺すとかではないです。
不幸にさせる、という意味ではそうなのかもしれませんが、
「未来を縛る言葉」です。「完璧」もそうですね。
特に完璧主義となると、自分を縛ります。

 

 

 

本来はいい意味の言葉です。
完璧な出来、完璧な状態、完璧な結果、完璧なプロポーション。
これ以上なく、100%の、欠点がない状態やものを指します。
大事なことを完全に成し遂げる、という意味もありますよね。

 

 

そもそも「完璧」って?

 

もともとは「完」全な「璧」、つまり傷のない宝石を意味します。
「壁(かべ)」ではないのでご注意を。

 

 

 

中国の戦国時代、有名な璧を他国の国王が欲しくなって、
15個の城との交換を申し出たので使いが璧を持って参じたところ、
反故にされたというか、城と交換する気配がなかったので、
傷をつけないように命がけで持ち帰った、という故事があります。

 

 

 

その故事「完璧而帰」=璧を全うして帰る、から今の意味になりました。
なので「完璧主義」となると、いかなる状況からでも傷一つつけず、
璧を持ち帰ってくることを自分に課す、ということになりますね。

 

 

 

いやいやいや、無理でしょう。
どれだけ柔らかい布に包んでも一回ぶつければ傷はつくし、
そもそもがモノの表面なんで傷だらけです。目に見えないだけで。
とか言ったら、本当に完璧主義の人は気が狂いそうですね。

 

 

 

キーワード「完璧主義をやめる」で検索したり本を読むと、
よく「8割主義」という言葉に行き当ります。
仕事のやり方について語られることが多いようです。

 

 

 

100%なんて永遠に到達しない。90%でもあまりに時間がかかる。
それなら80%の段階で提出や報告をして、顧客とか上司、
世の中の反応を見て、追加とか修正をすればいい。

 

 

 

完璧主義は、100か0かの両極端な思考にも陥る。
結果が100%でなければ全くダメと考えてしまうと報われることがない。
むしろ結果に至る過程が重要で、過程を改善することが
望ましい結果につながる。

 

 

 

人との付き合い方も、相手に完璧を求めてはいけない。
完全に理解し合えることはないので、これも80%でよしとする。
完璧主義に陥るのはそもそも、失敗を恐れるからだ。
成功者ほど失敗経験が多い。行動して失敗から学び、成功する。

 

 

 

などなど。
失敗を恐れず、100%を求めず、周りの見解や意見も求めながら
過程を試行錯誤して、仕事をうまく進めたり生きやすくしましょう。
ということだと思います。

 

 

 

うん、その通りですね。

 

 

 

数えられるもの、何かの量とか個数を揃えたりする以外に、
人が何かをしたり求める時に、100%の結果なんてありません。
考えれば考えるほど、不足とか不確定要素は底なしに出てきます。
結果は未来にしかなくて、未来は決まっていないから。

 

 

 

それなら「うまくいく可能性があるね」ぐらいの段階で、
一度結果を見てみるのが早いです。
現実の判断材料があれば、過程の改良や変更もできますし。
個人的には、調査とか検討なら60%で踏み切るぐらいでもいいと。

 

 

 

他人との相互理解なんて、30%もあればいいのでは?
そもそもが、どれだけ理解すれば100%かなんて、知りようがないです。
自分には思いもつかないものを相手は持っています。お互いそうです。
それが「違う人間だ」ということで、だから面白いんですね。

 

 

 

完璧を目指すのは、無駄…?

 

ですが、どうでしょうね。完璧主義はよくないですが、
なんでもかんでも8割主義、というのもちょっと違いませんか?
もっと低く6割主義でもいいのでは、という部分もありますが、
完璧を目指さないといけない事もあると思います。

 

 

 

完璧主義に何でも完璧を目指すのではなくて、選ぶということです。
譲れないと言い換えることもできますね。
大事な何かのために行動を始める時、やっぱり目指すのは
完璧なんだと思います。理想、ですね。

 

 

 

例えばスポーツ選手がトレーニングする時。
目指すのは完璧なフォームだったりスイングだったりして、
そこにくっついてくるのが最高の結果なわけです。

 

 

 

完璧なフォームやスイングは当然、簡単には会得できません。
個人差もあるでしょう。でも、それができた時、すごい結果が出る。
そのために努力して努力して、完璧なフォームとかができる確率を
ちょっとでも上げるんですね。確立が上がることが成長です。

 

 

 

そして、成長する過程で、目指す「完璧の形」が変わることもあります。
こうやった方がいいんじゃないか、こういうチャレンジもいいかも。
そうやって試すことで、成長していくことができます。
たぶん、永遠に、完璧には辿り着かないからこそ、際限なく進めます。

 

 

 

逆に、結果に完璧を求めてしまうと、おかしくなります。
完璧な結果のその先には何もありません。完璧なんですから。
そして、完璧な結果を出すには過程も完璧じゃないといけないし、
過程も結果も完璧にするには、いつでも必ず完璧にできないといけません。

 

 

 

言い切りますが、そんな日は来ません。
自己満足で済むなら、もしかしたら満足できるのかもしれませんが、
他人からも完璧であることを認めてもらいたいと思うでしょうね。
人が違えば完璧の形も違います。なので、無理です。

 

 

 

完璧主義の人が辛くなってしまうのは、そこなんじゃないでしょうか。
完璧を目指してめちゃめちゃ頑張るけど辿り着けない。
「できた!」と思っても、人からは「完璧じゃない」と言われる。
辛いですね。完璧にできない自分はダメな人間みたいな気がしますね。

 

 

 

諦めましょう。すっぱりと、今すぐに。
完璧にできないことがいけない、と思うことを。
もしかしたら、完璧主義であることを誇りに思う、そのことも。
目指すべき完璧な人間は、古今東西、いません。

 

 

 

完璧のための道は、完璧でなくてもいい

 

とはいえ、もし8割主義っていうことで80%を目指すなら、
「できた!」と思えて他人もそう評することがあるかもしれませんね。
どこが80%なのかはわかりませんが。

 

 

そしてそう思って満足した時点で、そのことに対してはおしまいです。
達成感を得ておしまい。それ以上はありません。

 

 

 

これが業務とかルーチン的なことなら、いいと思うんです。
時間との兼ね合いや効率を考えれば、むしろ80%でやめるべきでしょう。
研究や開発での調査検討もそうです。時間とお金がかかり過ぎます。
支払いとか請求とか、お金が絡む、間違い=トラブルの仕事は別ですが。

 

 

 

でも、例えば会社が将来あるべき姿とか。
新しい製品が持つ、世の中を変えるような特徴とか。
自分がどんな生き方をするのか、とか。どうなりたいか、とか。
大事な人とどうなりたいか、大事な人をどうしたいか、とか。

 

 

 

いわゆる「軸」になる、譲れない大事なこと。
それは、8割の達成で済ましてしまえるわけがないですよね。
完璧を狙いに行くしかありません。譲れないことだと思います。

 

 

 

ただ、目指す「完璧」は、自分の成長や進み具合で
変わっていっていいですよね。
時間の制約だってガッツリあります。自分が生きている間だけです。
わたしの場合、あと40年程でしょうか。たったそれだけです。

 

 

 

完璧に近づく近道になるなら、過程は8割とか6割主義でいいです。
過程一つ一つは中途半端であっても、その先に早く進めるなら
その判断は最適です。完璧ではなくても。
足を引っ張ったら元も子もないですが、時間が惜しいです。

 

 

 

何でも完璧にしたいという気持ちを捨てて、完璧主義をやめて。
報われませんし、大事なものは手に入りません。

 

 

 

もっともっと先を見て、譲れないものをそこにおいて。
それを完璧に手にするために、一番いい方法を考えて。
時間も大事です。一番早い方法を選んで。

 

時には思い切って、重いだけの荷物は置いて。

一歩一歩、いきましょう。


筆者:鳴海 研

化学メーカーにつとめる30代理系サラリーマン。
一人っ子として育てられたと思ったら実は違ったり、
借金で育てられたり家族が蒸発したり会社の先輩が失踪したり、
色々経験する中で辿り着いた、本当に生きたい人生とは。
あなたはどんな未来を実現したい?そんなことを書いています。

⇒鳴海研ってどんなやつ?

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