本気で糸振り回す、そんな人生を

「小粒・極小粒」「大粒・中粒」「ひきわり」「アメリカ」
これなんだ?

 

 

 

「ひきわり」で何となく想像できたかも。
はい、納豆です。お好きですか、納豆?

 

 

 

 

わたしは好きです。
ちなみに醤油派です。ネギと辛子を入れて。

 

 

 

世の中、何にでも品評会や競技会ってあるんですね。
全国納豆鑑評会。
第22回は京都で行われたそうです。
主催は「全国納豆協同組合連合会」。毎年開催。まじか。

 

 

 

結構ね、本気でやってますね。
評価項目は「外観」「香り」「味・食感」。
香りと味・食感はそのまま美味しさにつながるのでわかりますが、
外観って…?

 

 

 

と思っていたら、連合会の公式HPにちゃんと説明がありました。

 

「外観の項目で、大豆表面の納豆菌の増殖状況や
糸引きの状態などが評価されます」とのこと。
鑑評会の目的は、納豆の製造技術改善と品質の向上。
なるほど、納豆菌の働きで納豆になるんですものね、うん。

 

 

 

毎年色々なところでやっていますね。
新しい順に、京都(今年)、宮城、茨城、三重、栃木、青森、
北海道、京都、鹿児島、石川などなど。
いやー知らんかった。京都好きですな。

 

 

 

結果の講評もかなりちゃんとしてて、大学教授とか工業技術センターの
首席研究員とか、アカデミックなコメントもあります。
この人たち、本気で納豆に取り組んでます。

22回の優勝は、三重県の㈱小杉食品「日本の黒豆」。
今度食べてみようと思います。スーパーで買えるんだろうか。

 

 

 

また、鑑評の集計と並行してオモシロイベントもやっています。
「世界納豆まぜまぜ選手権」「世界納豆のびのび選手権」
公認、非公認のゆるキャラはくるわ、ミス納豆はいるわ。
なにこれ今まで知らなくて損した。

 

 

 

「まぜまぜ選手権は、納豆を混ぜる動作の美しさと混ぜる回数を競う」
時間は1分間。美しく混ぜるってなんだ(笑)
2名1組で競い、今回の優勝まぜまぜ回数は67回。
1秒に1回ちょい。意外とゆっくりなんですね。

 

 

 

「のびのび選手権は、混ぜた納豆から伸ばした糸の長さを競う」
そのままですね。引いた糸はどうするんだろ。床に落とす…?
今回の優勝記録は12.1m。すごいな。そんな伸びるのか。
コメントに、優勝者が「納豆の糸を引く姿がとても麗しく」。

 

麗しく、だと…?いやー、是非動画が見たい。

 

 

 

なんというか、こういう事を大真面目にやれる人って、
懐深いと思います。
納豆産業の技術向上と普及促進という視点では、
鑑評会は確かに役割があるのでしょう。

 

 

 

でも、まぜまぜ選手権とのびのび選手権は…
完全に楽しんでやってますよね(笑)
納豆の普及というより、納豆の楽しい扱い方というか。
絶対、子供が喜んで真似します。

 

 

 

大人になると「現実的」という名の枠というか、縛りがつきまといます。
それは、世間や周囲が「大人とはこうあるべき」と望む、一般像です。
多くの場合、自分でもその枠に当てはまるよう行動して、
望まれる理想的な大人像に近づこうとします。

 

 

 

が、実は、実体のないものですよね。
文化や社会、評価する人によって変わるものです。
何かを楽しむ時や、自分が本当にやりたいことをやる時、
一番重要になるものではない。いいとこ四番目ぐらい。

 

わたしはそう思います。

 

 

 

大人が、お金とエネルギーを存分に傾けて楽しんでいる姿って、
人の心を惹きつけると思います。輝いて見えますし、羨ましい。
「しょうもないことをして」と冷静な顔で、大人ぶってしまうより、
ずっと魅力的だと感じます。

 

 

 

プライベートでも、仕事でも。
追うべき責任は果たさなければいけませんが、
いいじゃないですか子供っぽくたって。楽しんだもの勝ちですよ。
わたしもそうありたい。心の底からそう思います。

 

 

 

大人がねばねばねばねばと真剣に遊んでいる(?)姿を見て、
そんなことを考えました。
納豆も食べたくなりました。

世の中にはヒントがいっぱい溢れていますね。


大いなる組織、辛子明太子

 

一口ほおばると、強い磯の香りが鼻に駆け抜ける。
強めの塩味と唐辛子の刺激が舌を刺す。
噛むと、それを形作る無数の粒子が小気味よい感触とともに弾け、
いのちの素であることを思わせる濃厚な味を残す。

 

 

 

みなさんお好きですか。
スケトウダラのたらこの辛子漬け。もとい、辛子明太子。
語源は、朝鮮語でスケトウダラを明太(ミョンテ)と言うかららしいです。
知りませんでした。wikipediaからの引用です。

 

 

 

 

子供の頃は独特の磯の香りがどうにも生臭く感じられ、苦手でした。
唐辛子を使わない、普通のたらこは焼いたら好きだったんですけどね。
酒を飲むようになってからは、生の辛子明太子、大好きです。
もちろん炙りも。辛口の日本酒のお供にたまらんです。

 

 

 

この間、外回りの時に久々に入りました。
元々はもつ鍋がウリの博多の居酒屋さんなんですけどね。
高菜と辛子明太子、ご飯の食べ放題ランチが大人気です。
全国チェーンですが、なかなかどうして、旨いです。

 

 

 

食べ放題は、明太から揚げや豚の生姜焼きのセットに付くので、
セットを食べきるおなかの容量をお持ちの方にオススメです。

4種類のセット全て1,000円ですので、ランチとしては安くはない。
なのに、いつも開店30分後には満席です。11:00開店なのに。
コスパにうるさい大阪でも。

 

 

 

  定食(とりの唐揚げ明太子風味)

 

 

 食べ放題(左:高菜、右:辛子明太子)

 

 

 

辛子明太子を文字通り「ほおばり」ながら、ふと思いました。
卵巣なので当たり前ですが、一房ずつに膨大な数の卵が詰まっていて、
房の集まりとして調理、味がつけられている。
明太子を使った料理は、それをほぐして作られる。

 

 

 

何か、会社組織に似てる感じがしませんか?
人は、卵ではなく産まれ成長した状態で組織に入りますが、
個人個人がいて、そのまとまりとして班やチームや課や部があって、
一番大きなまとまりとして会社があり、そこに味がある。
顧客や仕入れ先と接する個人個人が、組織の味をまた背負っている。

 

 

 

となれば、味をつけるのは誰かなぁ、と。

味というのは、風土とか方針とか歴史などですね。
わたしは、トップなんだと思います。
取締役会とかもありますが、最終的に責任を負うのはトップですね。

 

 

 

唐辛子で漬けられる前は、一粒ひとつぶの元々の味が房としての味です。
漬けられたら、元々の味をベースに漬け液の味が合わさって、
更に美味しくなったのが、美味しい辛子明太子ですね。

 

 

 

会社でも、背景や思考の違うたくさんの人が組織で業務、仕事をします。
その個人個人を活かすような方針を考えて施し、風土にしていく。
もちろん、時代や人が変われば、方針や風土も変わるべきです。
それが積み重なって、歴史になり、組織の味を醸し出していく。

 

 

 

それが美味しければ、人も集まり、世の中から評価もされて、
発展や成長をしていくのでしょう。

逆に不味ければ、人が去り評価も低く、衰退するのみです。

 

 

 

辛子明太子の美味しいか不味いかを決めるのは、食べる人です。

組織のそれを決めるのは、顧客や仕入れ先ですね。
勤め先という視点では、労働者も決めます。

 

 

とにもかくにも、組織の外側から決まることです。
どの目線から見ても美味しく映らなければ、
本当に魅力ある組織とは評価されないでしょう。

 

 

 

売上や利益確保はもちろん重要だけど、それを使って
どんな組織になっていくか、が美味しく見えるかどうかの決め手では。

 

 

 

そんな事を考えたランチタイムでした。

 

 

 

ちなみに、この日は壺の半分ほど食べました。
たぶん、3~4房ぐらい。食べすぎですね。

美味しいものを食べ続けて幸せ感じ続けられるように、
塩分の取りすぎにはご注意を。


ラーメンと嘘と本物と

 

立てた襟の隙間に風に散らされた細かい雪が入る、そんな寒い日でした。

 

 

 

客先から出たばかりのわたしの気持ちは、外にも負けないほど寒く。
一ヶ月分はたっぷり下げた頭には、先ほどの顧客とのやり取りが
まるでどこかの「ドッキリ」のように繰り返し流れ。
思わず吐き出したため息が白い霞となって逃げていき、寒さが募る。
そんな日でした。

 

 

 

最寄駅までの徒歩15分ほどの道のりですが、
気分転換をしたくていつもと違う道を選びました。

 

「これからの対応、何からやるべきか。猶予はどのくらいか」
「工場や管理部にどう報告するか」
「何で俺が謝らんなあかんねん…」

 

など、取り止めのない考えを頭の中で弄んでいると、
雪降る中に一軒のラーメン屋が。
何度も来ている客先からほんの数分の距離なのに、
初めて気が付きました。

 

 

 

いつもは通らない道、いつもの道からは目につかない場所。

時計を見ると、昼食にはちょうどいい時間。

今日だからこそ訪れられる店。

 

 

 

無性に気になりました。

 

 

 

引き込まれるラーメンに出会いました

のれんをくぐると、既に8割方埋まっていました。

 

 

 

威勢のいいおねえさんの「いらっしゃいませ!」
やや間延びした厨房のおにいさんの「らっしゃっせ~~~」

よく拭き清められた木製のカウンター席を勧められ、
近隣の塗工会社勤務と思しきおじさん2人の間に滑り込みました。

 

 

品数はそれほど多くないけど、オススメが一目瞭然。
からあげと、ギョウザと、黒丸ラーメンと赤丸ラーメン。
ラーメンは豚骨ベース、九州系のよう。

辛目が好きなわたしとしては、やはり赤丸粉落とし。

 

 

ギョウザも気になるが昼からも客先へ行くし、
からあげは少し重たい…よし、半チャーハンセットで!

 

 

 

待つこと5分少々。
ででん、と出てきました。

 

 

チャーハンは撮り忘れました。ごめんなさい。

 

 

 

たいへん、幸せでした。
またね。

 

 

 

というレベルではありませんでした。

わたしはそれほど味にうるさくない部類ですが、
これは美味しかったです。まさに美味。

 

 

 

ラーメンの好みって、もう、千差万別ですよね。
日本酒や焼酎の好み、ソースの好み、出汁の好み。
それらに匹敵するほど、微妙な、繊細な違いが効いてきます。

 

 

 

ここの赤丸ラーメンは、わたしにはとても好みでした。
くさみの少ない豚骨ベースに独自ブレンドされたスパイスの香り。
味噌も入っているのかな?コクと旨みが深く。

少し垂らされたゴマ油も香ばしさを盛り立て、
中太の直麺の触感が味全体を引き締める。
辛すぎず、チャーハンともよく合う、食べ飽きない美味しさ。

 

 

 

みたいな感じです。ラーメン評論家っぽく言うと。

 

 

 

とにかく、気分が落ち込んでいたのに、

 

レンゲでスープ一口で「お?」
麺をすすって「おおおお!?」
丼を持ち上げてスープすすって「おおおおおお!」

 

という具合に、引き込まれる一杯でした。久々に。

 

 

 

ラーメンの話だけじゃないよ

ちょっと気持ちとお腹が落ち着いたところで店内を見回すと、
なかなか面白い張り紙が多数ありました。

 

 

 

例えばからあげ。

『外は「カリッ」中は「ジュワーッ」
 長年たってもこれだけは変えません』

ビシビシこだわりを感じますね。

 

 

 

例えばギョーザ。

『「約束」毎日カリッと焼きあげます
 「目標」ラーメンよりも売れること』

メインを喰うつもりですね。店内で激しく競争してます。

 

 

 

他にも、ラーメンとセットにできるチャーハンや天津飯などすべて、
半、並、大盛と選べます。
あるところにはある、でもないところも多い制度ですね。
うれしい限りです。

 

 

 

今回はカウンター席に座りましたが、細長い店なので、
カウンターの目の前は壁。
少し圧迫感があります。
多くの店と同様に、壁にはメニューが貼ってありましたが、
ここにも工夫が。

 

 

 

ポップ、と言うんでしょうか。
まずは先ほどのからあげ、ギョーザなどの紹介があります。
スタッフの手書きと思しき、味のある字で。

 

 

他にも、これもありがちですが、「今日も明日もありがとう」みたいな
いわゆるいい言葉が書かれた、小さいポップ。
これらが、無秩序なようでバランスが取れた配置で貼られている。

 

 

 

圧迫してくる壁に目をやると、ちょっと楽しくなるような、
そんな店づくりを目指しているんだろうな、と思える雰囲気でした。

 

 

 

ラーメンの大きな要素であるスープしかり、
メインを喰う勢いのサイドメニューしかり、
店の雰囲気しかり。

 

 

 

個人的に、ラーメン屋で威勢のよさは大前提と思っていますが、
お客さんから話を聞いたりスタッフで議論したり、
店を良くする、気に入ってもらえる工夫をしていることが
節々から感じられる、そんなお店だと思いました。

 

 

 

これってどこの店でも当然のようにやっていますよね。
ただ、たまにあるじゃないですか、「おいしいけど何か残念」な店。
味も含めて気に入るかどうかは、それぞれのお客さん次第。
でも、そこを目指す気持ちや過程って、雰囲気に出るんですよね。

 

 

 

せっかくおいしいラーメンを作れるのに、
やる気がないような雰囲気では、何となく気まずくなります。
味も落ちる気がする。

 

 

 

逆に、味はまあまあ合格レベルでも、訪れて楽しくなるような、
そんな店だと気に入ってリピーターになることもあります。
この日に初めて入った店の雰囲気には、それを感じました。

 

 

 

人間が持つ、嘘発見能力

五感だけで言ってしまうと動物には絶対勝てませんが、
人間の感覚は実に敏感です。
特に、他人の感情を読み取る能力。

 

 

 

個人差が非常に大きいですが、面と向かって話していると、
この人が怒っているのか落ち込んでいるのか、
嬉しいことがあったのか悲しんでいるのか、
何となくわかりますよね。

 

 

 

「雰囲気で感じ取る」ということになるんですが、
実際は、声色とか、ほんの小さな仕草で判断しているそうです。

海外ドラマの「ライ・トゥー・ミー」の世界ですね。
フィクションではなく、本当に「嘘を見抜く技術」として
確立されています。

 

 

 

一方で、わたしたちは、今本当に抱いている感情とは違うことを
外に発信することがあります。
口論寸前に「怒ってるの?」と聞かれ「いや」と答えたり。
もやもやが貯まっている時に「大丈夫?」と聞かれ「うん」とか。

 

 

 

本当にうまく取り繕える人も稀にいますが、
面と向かって話していれば、本当かどうかってわかりますよね。
なので、怒ってないと答えても「怒ってるやん!」となるし、
大丈夫と答えても「ほんまに?ちょっと話聞こか」となる。

 

 

 

これは、わたしは素晴らしい能力だと思います。

だからこそ、時に、誰かの感情が自分にうつる、ということが
起こります。

 

 

 

イライラしている人の近くにいると自分もイライラするとか。
いつも楽しそうにしている人と一緒にいて楽しくなるとか。

 

 

 

それと同じで、本気で言っているかどうかも伝わります。
「これ大好き!」「めっちゃ面白い!」「大嫌い!」はもちろん。
「絶対やります!」とか「がっかりしたよ」なども。

 

 

 

強い言葉であればあるほど、言葉に伴う雰囲気があるかないか、
伝わってしまいます。
言葉や態度に見合った雰囲気がないと、違和感を感じてしまう。

 

 

 

完全に受け取る側の主観や印象ですが。
実は、当たっていることが多い。

 

 

 

みなさん、経験あると思います。

 

 

 

ラーメンと嘘と本物と

わたしがこの日入ったラーメン屋からは、大袈裟に言うと、
なにか伝わってくるものがありました。
店の内装とか掲示物とかスタッフの雰囲気から。

 

 

 

美味しい食事を提供したい、とか。
気に入ってもらえる雰囲気にしたい、とか。
自分たちがこの店を好きだ、もっと良くしたい、とか。

 

 

 

そんな中で食べたラーメンだったから、たぶん、
本来よりも更に美味しく感じたんだと思います。
落ち込んだ気分を盛り返すまでに。

 

 

 

もし、スタッフの雰囲気がよくても、店が荒れ放題だったら。
元気や威勢のよさで少し気分があがるかもしれませんが、
もう一度行きたいとは思わないでしょう。

 

 

 

もし、内装や掲示物がよくても、スタッフが仏頂面だったら。
バーではそれもいいかもしれませんが、飲食店ではNGですよね。
ラーメンの味も落ちて感じたでしょうし、
やはりもう一度行きたいとは思わないでしょう。

 

 

 

楽しそうな、溌剌としたスタッフの気持ちがうつり、
もっと居心地よくしたい、いい場所にしたいという本気を感じ、
わたしの気分や気持ちがよくなって、ラーメンも美味しく感じて。
そこに嘘や見栄の気配が全くなく。

すべてに大きなプラスの影響が出たのだと思います。

 

 

 

自分がやりたい、こうしたい、こうなりたいということを、
本当に自分から望んで一生懸命に取り組んでいる。
こういう人は周りにプラスの影響を与えるし、輝いて見えます。
一緒にいて楽しいし、刺激されて、自分もこうありたいと憧れますよね。

 

 

 

そんな人の中で生きていけたら、どんなに楽しいでしょう。
どんなに自分が高まるでしょう。
想像するだけでも、ワクワクしませんか?

 

 

 

まずは本当に自分がやりたいこと、なりたい姿は何か。
それが見つかってからが、きっと、人生は楽しくなるのだと思います。
やりたいことは、年齢や環境や状況で変わっていっていいと思います。

たぶん、そのうち、変わらないものに行き当って、
それが本物なのでしょう。

 

 

 

ですが、それは、向こうからやって来たりはしない。
探さないと見つからない、手を伸ばさないと掴めない。
そんな風に思います。

 

 

 

美味しいものはわたしたちを幸せにしてくれます

ラーメンからずいぶん話が膨らみました。

 

 

 

落ち込んだ気分の反動があった感は否めませんが、
ワクワクする生き方や人生の軸にまで思い至るような、
わたしにとっては良いラーメン屋に巡り合いました。

 

 

 

今思い返しても、不思議な感じがしますね。

 

 

 

ラーメン屋を出た時、外はまだ雪がちらついていました。
吐く息はもくもくと立ち上り、コートの襟も立てたまま。
それでも、美味しい食事でお腹はいっぱい、
適度なスパイスで身体は暖まり、気持ちも満たされて。

 

 

 

寒々しい気分は消え、最寄り駅までの15分の距離は、
ここでお話ししたことをつらつら考えるうちに踏破しました。

 

 

 

ああ、また行きたいなあ。まるちゅうさん。


ベジタリアンは「菜食主義」ではない。自分らしくある唯一の方法とは

「ベジタリアン」って、なに?

 

 

職場でこんな会話が繰り広げられました。

 

 

 

A「インドってベジタリアン多いんでしょ?」
B「そうらしいですね」
A「キミ、インド出張行った時、何食べてたの?」
B「ノンベジ料理もありましたよ。チキンとかエビとかとか」

 

 

A「へぇ。でもベジタリアンの人は食べないよね?」
B「一つの店にベジ、ノンベジどっちもありましたし」

A「でもインドの人って太ってる人もいるよね」
B「そりゃあまあ。特に地位が上の人とか。でもベジの人もいますね」

 

 

A「肉も魚も食べないのに何で太るんだろうね」
B「…はぁ。食べる量じゃないですかね。あと運動と」

A「てかさ、実は食べてるんじゃない、肉。宗教上の事でしょ結局」

 

 

A「殺生はダメって言っても肉食べなきゃ身体がもたないし」
A「野菜しか食べないって、食べるものそんなにないし」
A「植物だって生きてるのに、殺生はダメとかよく言うよね実際」
A「押し付けられたって、こっちはホント迷惑だよ」

 

 

B「(誰が押し付けたっちゅうねんな)……そっすかね」
A「そうだよ!考えてもみなよ!………」

 

うんぬんかんぬん数十分。

 

 

 

ベジタリアンという言葉、みなさんご存知かと思います。
「菜食主義者」………では、ないってご存知でしたか。
ベジタブルとは全く関係なく、

「動物を傷つけない人」という意味だそうです。

 

 

 

ともかく、いろいろ定義されています。

 

「フルータリアン」:木の実しか食べない
「ヴィーガン」:肉、魚介、卵だけでなく油や出汁も食べない
「ラクト・オボ・ベジタリアン」:乳製品や卵は食べる
「ペスコ・ベジタリアン」:肉、卵、乳製品は食べないが魚はOK
「ノン・ミート・イーター」:肉は食べないが魚介はOK
「ポゥヨゥ・ベジタリアン」:肉の中でも鳥は食べる
「セミ・ベジタリアン」:肉をなるべく食べない
など(saisyoku.comから引用)。

 

 

 

一言にベジタリアンといっても、実にさまざま。。
中には、においの強い野菜や、根菜がNGという人もいるので、
野菜なら何でもOKというわけでもない。
ベジタリアンの数だけ違いもある、ということでしょうね。

 

 

 

ベジタリアンである理由

ベジタリアンの立場を取る理由も、人それぞれです。
宗教上、健康上、動物愛護などの思想上、ただ単に嫌い、など。
ちょっと違いますが、子供の頃に実家で飼っていた鶏を絞めて以来、
鶏が食べれなくなったなんて人も、私の周りにいます。

                         

 

     
実は、わたしの妻も肉、魚介は基本的に食べません。

 

 

乳製品、卵はOK。野菜も全般OK。
さっきの分類で言ったら、ラクト・オボと言えそうです。

 

でも、チーカマとかプリプリしないエビフライは食べます。
鰹だしもOK。逆に、においの強い新鮮なモッツァレラは食べれない。
となると、セミともペスコとも言えそう…。

 

 

 

食べない理由は、宗教でも思想でも健康でもないです。
彼女いわく「においが気持ち悪い」だそう。
昔はウィンナーやイカの刺身も食べれたそうです。
だんだんと食べれないものが増えてきて、最近は卵もイマイチとか。

 

 

 

あなたはどう思いますか?
彼女はベジタリアンか?ただの好き嫌い酷い人か?

 

 

 

 

 

 

 

 

正解は…

 

 

 

 

 

 

ありませんごめんなさい。
ご想像にお任せします。
妻本人は「どっちでもいいよ」と言っていますので。

 

 

 

ベジタリアンである理由で多いのは宗教と思想でしょう。
健康上の理由、というのも増えて来ています。
そのどれでもない妻のケースは珍しいのかな。すごいぞ我が妻。

 

 

 

正しいとか間違ってるとか

少し逸れました。

 

 

 

宗教、思想は「方向」を持っています。
正しいか、間違っているか、それが明確です。

 

 

健康もそうですね。
「こうすると良い」「こうしないと悪い」
ノウハウはあれど、どっち向きが正解かがはっきりしていますよね。

 

 

 

そして、自分のイメージや先入観も。思い込み、とも言えます。
「こうだろう」「こうに違いない」という方向があります。

 

方向がはっきりしていて、自信があると、人に伝えたくなります。
こうすればいいよ。こうなんじゃないの、と。
「いい」とする理由は、いくらでもあります。

 

 

 

イギリスでは約16%、アメリカでは約20%の人がお肉食べないよ、とか。
癌になる確率が上がるよ、とか。将来の飢餓が救えるよ、とか。
だからみんなベジタリアンになるべきだ、とか。

 

 

 

肉や魚が食べられないなんて、かわいそうだ、とか。
非ベジの人たちを良く思っていないだろう、とか。
だからベジタリアンは嫌いなんだ、とか。

 

 

 

少しグーグル先生に聞くだけで、その手のサイトはたくさん出てきます。
どちらの立場の主張もザックザクです。

 

 

 

 

そこで「どちらが正しいか」と考えた場合。あなたはどう思いますか?

 

 

 

わたしは、正解はない、と思います。
「ない」ということが、正しいと思います。

 

 

どの主張も、正しいケースと正しくないケース、両方ありますよね。

20%の人がベジタリアンということは、80%は肉や魚を食べるわけだし。
確かに癌になるかもしれないけど、日本での最大の原因は、
タバコ、感染性因子、飲酒らしいし。

 

 

ベジタリアン本人から見たら、肉や魚を食べない事が幸せなわけだし。
非ベジの人をとかく非難するベジタリアンもいるけど、
全く気にしない人もいるわけだし。うちの妻みたいに。

 

 

 

物事にはいろいろな面があります。

冒頭のA氏のように「ベジタリアン」という言葉に周りがもつ、思い込み。
そして、ベジと非ベジに分けた時、それぞれが持つ考え方や主張。
これをゴリゴリぶつけ合って押し付け合うから、お互い、極端になりますよね。

 

どちらの言い分も、正しくもあり間違ってもいる。ケースバイケースでしょう。
単にその人のひとつの意見なだけで、その人そのものを表したりはしない。

 

 

 

わたしは、肉も魚も好きです。

妻は、わたしが目の前で肉を食べても許してくれます。
見た目やにおいに思うところはあるでしょうが、
少なくとも食べてる本人を非難しません。

肉を買って調理するのは、全てわたしがやります。
そういうルールにしています。

 

 

 

インド出張した時もそう。
ベジタリアンが40%ぐらいいる社会なので、社会の仕組みは整っています。
肉や魚を出す店に、普通にベジタリアンの人も行きます。
チキンを食べている人の隣の席で、豆カレーとか食べています。

 

 

もちろん、絶対行かない人も、います。

同席したインド人はいわゆる「ヴィーガン」だったそうですが、
本人は「ぼくは肉や魚は食べないんだ」。
それでおしまい。

わたしたちには「ここのエビは旨いらしいよ」と勧めてくれました。

 

 

 

 

肉や魚を食べる事についてどう思うか、彼に聞いたことがあります。

 

 

いわく

 

 

「ぼくが食べない事について、君は何か思うのかい?」
「お互い、食べたいものをおいしく食べる。それだけだろう」

 

 

うん、それだけですね。

 

 

 

「違う」ことは自然なこと

隣の人が自分と違うことをしている。
それをそのまま受け入れるのか、はたまた「こうしろ」というのか。

 

 

 

自分の道を突き進むことは、わたしは、すごいことだと思います。
それを究められる人は尊敬します。

 

一方で、自分の道が正しい、と誰かに言ってもらいたい場合は、
気の合う同志を募って、邁進するのがいいのではないでしょうか。
違う方向を向いている人を振り向かせるよりも、ずっと前向きですよね。

 

 

 

自分と人は、当たり前に違うんです。
だから、自分とは違う、目の前にいるその人をそのまま受け入れる。
お互いに、自分とは違う視点の考えを交換する。
自分とは違うことをしている人に、知らない世界を教えてもらう。

 

 

 

それこそが自分の世界を深く、広くしていく方法だと。
そういう人たちと交わることこそが大事なのだと。
わたしは思います。


人生は短い。あなたの夢は何ですか?

                              
小さい頃や学生の頃の夢、覚えていますか?

例えば小学生の頃。
看護師、スポーツ選手、シェフ、ヒーロー、花屋、消防士など。

 

 

 

ちなみにわたしは仮面ライダーブラックでした。
年がばれそうですが。
妻はペンギンだったそうです。
もはや人間ですらない。自由ですね。

 

 

 

例えば大学生(大学院生)の頃。
企業家、大金持ち、NPO、建築家、芸術家、科学者、鍼灸師など。

 

 

 

わたしは化学者でした。
白衣姿に憧れて化学を学び、既に研究に携わっていました。
妻は臨床心理士でした。
それに憧れて専攻できる大学を選びました。

 

 

 

何の制約もなく、心躍るものに単純に憧れられた頃。
やりたいこと、自分ができることがわかってきた頃。
「夢」と言っても、自分の心の持ちようで全く方向が違いますね。

 

 

 

言い換えれば、だんだん「今から自分が実現可能そうなもの」
つまりは「選択肢から選ぶもの」に変わるように思います。

 

 

 

そこで、今、問いたいと思います。
今、あなたが想い描く夢は、何ですか。

 

 

 

とある研究員の場合

 

大学院を卒業し、化学メーカーの研究職へ就き、営業へ異動し。
先ほどの問いを突き付けられた時、わたしは答えられませんでした
愕然としました。

 

 

 

夢見た化学者になれた、さぁあとは邁進するのみ!
就職した初めの頃は、そんな意気込みで仕事に打ち込みました。
それこそ、プライベートや寝食を忘れた時期もありました。
仕事が面白かったんですね。

 

 

 

一方で、時間が経つにつれ、違和感が大きくなってきました。
4年目ぐらいでしょうか。
本当にやりたかったこと、憧れたのは、これなのか、と。
この窮屈さは一体何だろう、と。

 

 

 

そうして数年経ち、営業へ異動しました。
営業部長がずっとわたしを欲しがってくれていましたし、
ちょうど、長く携わっていた仕事に一区切りついた時期でした。
この異動は予想していたので、特に抵抗はありませんでした。

 

 

 

違う仕事もしてみようかな、もしかしたら面白いかも。
数年後、研究に戻ってもらう、とも言っていたし。
面白かったら戻らない選択肢もあるのかな。
という、割と軽い感じで受けました。

 

 

 

ここで、あれ、と思いました。
夢と掲げるほど憧れていたはずなのに、外れるのに抵抗もない。
数年後に戻れるのに、特に心躍ることもない。
そんな時に、先ほどの問いを投げかけられました。

 

 

 

今のあなたの夢は、なんですか、と。

 

 

 

研究に限って言うと、大学と企業では目指すものが大きく異なります。

 

産官学共同テーマなど、その限りではない場合もありますが、
基本的に大学では論理的、技術的な完成を目指します。
世の中に将来の価値を認めてもらえスポンサーがつけば、
突き詰めた研究が可能です。

 

 

 

一方、企業では利益を得られる製品の開発を目指します。
投資に見合うリターンが見込めるか、がまず問われます。
企業にどっしり腰を据えて取り組む体力がなければ、
見込みが薄くなった時点でおしまい、時間の制限もあります。

 

 

 

それは企業で働く中で痛いほどわかっていました。
それで化学の研究者が嫌になった、なんてこともないんです。
確かに窮屈さはありますが、それを一番感じたのは1年目の頃で、
その時は仕事が楽しかったのですから。

 

 

 

では一体、なぜ。
夢は何、将来やりたいことは何、と問われて、
なぜ何も出てこないのか。
自分でもさっぱりわかりませんでした。

 

 

 

とある営業員の話

 

営業になって、たくさんの人と出会い、話をしました。
営業ですから、既にお客さんである人や、
将来のお客さん候補の人と話をするのも重要です。

 

 

 

その中で感じた事は、仕方なしで仕事をしている人が多いこと。

 

 

 

営業の立場で会うのは、購買と商社の人が一番多く、
次に研究、工場の人です。
ごく一部、特に商社に「最高の仕事だ」という人はいますが、
ほとんどが、一家言は持っているけれど、輝いては見えません。

 

 

 

それぞれが、それぞれの立場と場所で仕事をしています。
その前提で「この人は優秀なんだろうな」と感じることは
よくあります。
また「仕事にやりがいを感じている」と明言する人も、多いです。

 

 

 

一方で、酒の席で「目指す姿は何ですか」と投げかけると、
「社長」とか「取締役」とか「定年して居酒屋経営」とか。
突飛なもので「コネを活かして商社を立ち上げる」とか。
「田舎に隠居して猫を飼って読書にいそしむ」とか。

 

 

 

田舎に隠居なんて、いいですよね。
わたしは動物の毛にアレルギーがあるので猫は飼えないですが、
将来ありたい姿、という意味では憧れがあります。

 

 

 

ですが、なんというか、できそうなこと、なんですよね。
そこまで努力しなくても叶えられそうじゃないですか。
社長はちょっと別格で、運も重要な要素でしょうが、
平の取締役なら年功序列企業に長くいればそのうちなれるでしょう。
起業すれば来週にでもなれます。たぶん。

 

 

 

定年して居酒屋とか商社起業なんて、単に、やればできる。
うまく運営していけるかどうかは別として。

 

 

 

そんなものが夢ですか?
今後の人生で目指すものは、無難に過ごせば勝手になれそうな
組織の中での役職に就くとか、やればできることをやる、
でいいんですか?

 

 

 

そのために今働いていて、嫌なことや辛いことも我慢して、
毎日を過ごしているんですか?
長い間の努力や我慢に報いられるだけの、重みのある夢ですか?

 

 

 

イエス、と自信をもって答えられる人もいるかと思います。
それも、ひとつの幸せです。いいと思います。
何も考えずそれなりに過ごしていれば叶います。たぶん。
叶わなくてもきっと、次が控えています。

 

いいじゃないですか。楽です。

 

 

 

一方で、違う、そうじゃない、という人もいるかと思います。
それは夢ではなく、単にやりたいことです。
そんなレベルのやりたい、なりたいであれば、
ぱっと思いつくだけでいくつもあります。

 

 

 

オーロラを見てみたいとか。
映画館や本屋で働いてみたいとか。
南極と北極に立ってみたいとか。
中東に行ってみたいとか。

 

 

 

もし1年後に死ぬ、となれば、すぐに実行できます。
今しないのは、お金や時間に余裕がないだけで、
踏み超えるきっかけがあればできてしまうんです。

 

 

 

では、一体、夢って何なんでしょう。

 

 

 

 

どう生きて「いきたい」か。「いけるか」ではなく。

 

 

今のあなたの夢は何ですか、と。

 

 

 

わたしに問うたのは、転職した後輩でした。
彼は、わたしと同時期に研究から営業へ異動しましたが、
人間関係と仕事内容が合わず、他社の研究へ転じました。
全く分野の違う会社ですが、やはり研究がやりたかったそうです。

 

 

 

彼の生き方として、やりたいことが常に明確です。
そしてそれを実現する最短の方法を取り、突進します。
「やりたいことが多すぎて手が回らない」
研究にしろ趣味にしろ遊びにしろ、彼は常々口にしています。

 

 

 

実は、わたしと彼では相容れない部分も多いのですが、
落ち着きのない彼を、眩しく思っていました。
時に周囲へ迷惑をかけることもあるけど、何ができるか、
ではなくて、何がしたいか、を一番大事にする人です。

 

 

 

そんな彼に、夢は何か、何がやりたいのかと聞かれ、
言葉を濁すしかなかった自分が、とても小さく感じました。
また、真剣に考えたことがない自分を恥じました。
そんな人もいるということが、彼にはピンとこないようでしたが。

 

 

 

その出来事のあと、思い出した古い友人がひとりいます。
既定路線に乗って大手化学メーカーに就職したものの、
どうしても鍼灸師になりたくて、2年程で退職しました。

 

 

 

その後、バイトをしながら専門学校に通い、
進路はその中で柔道整復師に変わっていきましたが、
無事にその資格を得て、今、個人院で修行中です。

 

 

 

学生時代は熱い想いや根気を感じるタイプではなかったのですが、
サラリーマンにとっては勇気のある行動を迷いなく選んだ彼を、
大いに見直しました。いばらの道に進んだことを。
本当にやりたいことを見つけた彼を、羨ましく思いました。

 

 

 

今も年に何回か会いますが、今の彼の夢は
「独立して年収1,000万円」だそうです。
柔道整復師になるまでは努力と継続で何とかなったけど、
これからが本当の勝負と息巻いています。

 

 

 

既に、独立した医院を登録するところまでは進んでいます。
業界として、独立がまず目指すべき道ということもあり、
お世話になっている先生も同僚も応援してくれているそうです。
まっすぐ前だけ見て、ちょっとずつちょっとずつ進んでいます。

 

 

 

2人は性格や行動力からして全くタイプが違うのですが、
共通するのは、一歩踏み出したことです。
そしてそれを追いかけ続けていることです。

 

 

 

やりたいことをやるために転職をする。
なりたいものになるために退職して、いちから学ぶ。
今までの延長ではなく、その先や、
もしかしたら違う道にあるものに手を伸ばして掴む。

 

 

 

なれたらいいな、できたらいいなと憧れながら、
安全に今の組織に居続けることだってできたわけです。
でも、自分なりの生き方をするべく、行動しました。
「このまま」では届かないものを得るため、リスクを取りました。

 

 

 

わたしは思います。
手に入れるためには、まさに人生をまるまる賭けるほどの
膨大なエネルギーが必要で、その人の「生き方」そのもの。
それが夢、なのではないだろうかと。

 

 

 

なので、モノとか地位とか行く場所とかではないでしょう。
大統領になることが夢というなら、それは、
大統領になってこうしたいとかこれを変えること、が夢ですよね。
なっておしまい、という目標は、ないと思います。

 

 

 

とはいえ、夢を追うことに大きなリスクを背負う必要はない
とも思います。
今の延長に追いかける夢があれば、それがベストですよね。
今、自分は行くべき道を進んでいる、ということなんですから。

 

 

 

仕事と同じように、夢にも貴賤なんてありません。
あなたとわたしの夢が違って当たり前ですし、
わたしの夢が誰かにとっては全く魅力がないこともあります。
その価値は、本人にしかわかりません。

 

 

 

ですが、夢というのは、追いかけて欲しがり続けて努力して、
考えて行動して、やっとこさ手に入るものだと思います。
だからこそ価値があり、夢を追う人生は輝くんです。
青臭い理想論ですが、まず理想がなくては何も変わりませんよね。

 

 

 

そんな夢もなく、生活のために、仕方なしに嫌なこともやって、
食べて住んでたまに遊ぶだけのお金で雇われ続ける。
それでも最低限生きていけます。
が、どうでしょう。ワクワクして生きていけるでしょうか。

 

 

 

ありたい未来にたどり着くために、足りていないものは?

 

 

世の中では「大人である」ことを求められます。
実現可能な選択をする、現実主義ということろでしょうか。
いつまでも夢ばっかり見てないで、大人になりなさい。
どこかのドラマでよく聞くセリフです。

 

 

 

でも、人生はたった一回だけです。悔しいぐらいに平等です。
あなたにとっても、あなたの大事な人にとっても。
あなたとあなたの大事な人みんなが幸せに生きければ、
これほどいいことはない。そう思いませんか。

 

 

 

これは簡単じゃないですよね。
だから、ほとんどの人が、どこかで諦めます。妥協します。
そんな理想をいつまでも追いかけていないで、
大人であることを選びます。現実的に。やりもしないで。

 

 

 

ご多分に漏れず、わたしもそうでした。
でも、それって誰もがイエスというほど、明確な理想なんです。
掴むには遠い遠い理想です。
であればこそ、追うべき夢なんじゃないでしょうか。

 

 

 

何があれば、どうなれば幸せかは人それぞれです。
自分ひとりが幸せになれればいい、そんな人もいるでしょう。
それはそれで、いいじゃないですか。

大事なのは、そのためにはどうすればいいか考えて、
実際に実行して、手に入れる事です。

 

 

 

人生はたった一回しかありません。
リセット効けばいいけど、ない。ワンチャンスしかないんです。
なら、世の中の「大人」の枠にはまって、
やりもせず色々諦めてる場合じゃないですよね。

 

 

 

今のわたしの夢は、わたしと家族が幸せになることです。
言葉にするとあまりに青臭いので照れが入りますが、
こうしか言いようがないで、仕方がないです。
照れますが、胸を張って宣言できます。

 

 

 

わたしの考える幸せとは、お互いのための時間がしっかり取れて、
旅行とか食事とかスポーツとかレジャーとか、
お互いの経験を共有して歳を取っていくことです。
海外も含め、年に1、2回の旅行はしたいです。

 

 

 

また、自分磨きにも時間を取りたいです。
運動とか語学とか芸術鑑賞とか。
語学は特に、海外旅行を楽しくしてくれますので重要です。
英語とイタリア語は習得したいと思っています。
海外に住んでみたいという希望もあります。

 

 

 

祖父はもう亡くなり、祖母もかなりの高齢です。
わがままが目立ってきましたが、数少ない家族です。
できる限り不便なく、楽しい時をたくさん過ごしてほしい。

 

 

 

親もいい年になってきました。
わたしの両親は離婚したので母だけしかいませんが、
リタイアしたらあちこち旅行したいと言っています。

 

 

 

妻の両親も本当によくしてくれています。
義父は再びハワイに、義母はヨーロッパに行きたいそうです。

 

これまで頑張ってきた分、やりたいことをやってほしいし、
お金とかの理由で諦めてほしくないです。
彼らが自分でできないのなら、できるようにしてあげたい。
それを叶えることも、わたしにとっての幸せです。

 

 

 

遠くない将来を考えれば、介護費用も用意する必要があります。
平行して自分たちの老後の貯蓄も、いつかの子供の学資も。
もし病気やケガで入院などした時のためのお金も。
家は…特にいいか。車は…これからシェアの時代になるか。
とはいえ、生活するためのお金は当然必要です。

 

 

 

ぱっと思いつくだけ、しかも特別な贅沢をしなくても、
わたしにとって「幸せな将来」の条件はこれだけあります。
どれも必要ですし、全て最優先事項です。
わたしが幸せに生きるためには、譲れないことです。

 

 

 

なので、全て手に入れる方法を考えなければいけません。

 

 

 

 

足りないものを手に入れるには?

 

サラリーマンの一般論では、仕事をしながら、
週末や休みに家族のケアをし、朝や夜に趣味や自己研鑽をし、
長期の休みでたまに旅行へ行くのでしょう。

 

 

それは可能です。今のわたしもそのパターンです。
このパターンの人が一番多いのではないでしょうか。

 

 

 

ただし、わたしの考える幸せの条件に対して、
ここには決定的に欠けているものがあります。

 

 

 

家族との時間と、将来への備えです。

 

 

 

家族との時間の捉え方については、本当に人それぞれです。
上のパターンで十分足りている人もいれば、
むしろ多すぎるという人もいるでしょう。
家にいてもやることがない、という意見も聞きます。
男性、特に子供がいる方がほとんどですが。

 

 

 

わたしの場合、今の生活は、朝6時半に家を出て帰宅は20時過ぎ。
直行直帰の場合もありますが、だいたいはこうです。
接待があれば帰宅が24時過ぎになることもあります。

 

 

 

ゆっくり家族と話す時間は、朝は早いのでとれないです。
夜は、とれて2時間ぐらい。
家族それぞれにやることがあれば、とれない日も多いです。

 

 

 

わたしにとっては、全く足りません。
何を話すわけではないですが、何気ない会話が足りません。
気持ちを落ち着けて、オンからオフに切り替えるために、
わたしには必要なんですが、足りていません。

 

 

 

家族との気持ちのすれ違いも増えます。
家族との時間が減って、いいことは一つもありません。

 

 

 

特に高齢の祖母との時間も増やしたいです。
一緒に過ごせる時間自体が残り少ないですから。
取り返しがつかない後悔はしたくありません。
そんなものは一つで十分です。

 

 

 

今の会社では、職場が多少変わっても状況は変わりません。
平日はやはり仕事を優先せざるを得ないですし、
海外案件もあるので、夜や土曜日もメールが来ます。

サラリーマンでいる限り、完全に仕事から開放はされません。
政府が色々頑張っていますが、確信があります。

 

 

 

将来のための準備不足は、既に深刻です。

 

 

 

わたしや妻が50歳、60歳になり給料が上がれば
それなりの貯蓄もコンスタントにできるでしょうが、
親の介護費用となれば、その年齢の時には既に必要なお金です。
既に貯め終わっていなければいけません。

 

 

 

祖父母に孝行もしていきたい。自分たちの老後の積み立ても。
子供がいれば、残してあげるお金も必要です。

 

 

 

その時々に必要な金額を、時間軸に沿って考えたことがあります。
40歳の時、50歳の時、60歳の時…という感じで。
あなたも一度考えてみることをお勧めします。
現実とのギャップに愕然としますよ。きっと。

 

 

 

わたしの場合、今のままではどんなに頑張っても、
絶対達成できないという結論になりました。
数年内に給料が倍になるぐらいでないと届きません。
そんなこと、ひとつの会社では起こりえないですよね。

 

 

 

ということで。
わたしの場合、今のままサラリーマンをしていたら、
わたしの考える幸せは手に入らない、という結論になりました。
なんてこったい。

 

 

 

自分の人生は、何のためにあるのか?

 

 

 

わたしは決して、今の仕事が嫌いではないです。
理不尽や納得できないことも少なからずありますが、
面白味もやりがいもありますし、同僚にも恵まれています。

 

 

 

ですが、わたしの人生は、会社や上司同僚に尽くすためでも、
サラリーマンをするためのものでもありません。
わたし自身と、家族をはじめ大事な人たちと、
幸せに生きていくための人生です。

 

 

 

そのために譲れないものを諦めず、全て手に入れる。
そして家族と幸せに生きていく。

 

 

 

繰り返しになりますが、それが今の、わたしの夢です。
絶対、簡単じゃないです。苦労も波風もあるでしょう。
心折れることも、人にバカにされることだってあるでしょう。
たぶん、並大抵の努力では叶いません。

 

 

 

それでも、やります。
わたしの中でぶれようのない軸が何か、幸せな人生の条件は何か。
それに気付いてしまったから。

 

 

 

もっと早く気付けばよかったとすら思いますが、
きっと、今の自分だから気付けたのだろうとも思います。
ちょっと前のわたしは、自分の夢が何かすら、
答えを持っていなかったんですから。

 

 

 

一部を実現して、一部を諦める。
それでは意味がない、とまでは言いませんが、
全て実現することがもちろん一番いいですよね。
目指しもしないものが手に入る奇跡は起こりません。

 

 

 

そのために、やるべきことはたくさんあります。

 

 

 

 

まずは、働かなくても稼げる方法を見つける。
しかも努力なし、短時間で、誰でもできそうな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

書いてみただけです。そんな仕組みは存在しません。

 

 

 

それはただの、詐欺の入口です。
自分で動いて努力して這いずり回って、掴み取る。
それで実現できるものです。
労せず手に入るわけはありませんよね。

 

 

 

わたしは、仕事をすることは充実した人生に必要だと思います。
お金のためもありますが、人と関わってたくさん刺激し合いながら、
よりよい形や結果に向かって試行錯誤と切磋琢磨を重ねる。
それこそが、自分を高め夢にたどり着く、唯一の方法です。

 

 

 

なので、わたしの思う幸せが実現できる働き方をする必要があります。
ただし、ひとつの仕事に絞ることはありません。
リスク分散の意味でも、絞るべきではないと思います。
仮に今の倍稼げても、朝から晩まで缶詰めでは意味ないですし。

 

 

 

夢を実現できる「環境」

 

家族との時間がとれて、一緒に色んな経験をしていける。
そのために一番いいのは、
場所と時間を自分で決められる仕事ですよね。

 

 

 

博打でなく、安定的に収入を増やすには、兼業が最も有効です。
政府もオススメとはいえ、サラリーマンには
まだまだハードルが高いですが。

 

 

 

一方で、複数の仕事で収入を得るためには、効率化が不可欠です。
時間の節約のため、作業にしろ、人間関係にしろ、
無駄は徹底的になくさなければ到底まわりません。
加えて、常にベストのパフォーマンスを出せなければなりません。

 

 

 

それらを追求できる働き方、つまり環境が必要です。

 

 

 

わがままな条件満載ですが、世の中に皆無ではありません。
むしろ、ITがあらゆるところに浸透し「繋がり」が増えている
これからの時代にこそ、どんどんと増えてくると思います。

 

 

 

うまくネットワークの仕組みさえ作れば、もはやオフィスは、
必要な時に借りて集まるだけの場所になりつつあります。
本当に重要な、他言無用や契約締結の場面とか、
製造や工事、教育などの現場を除くと、
もはや通勤すら時間を無駄にする行為になってきています。

 

 

 

対面し顔を見ながら話し合う意義、効果は間違いなくあります。
時にそれが予想以上の効果を発揮することがあります。
が、いつもでなくていいです。たまにだからいいのかも。
現代には様々なツールがあります。テレビ会議とかスカイプとか。

 

 

 

どんな仕事にも納期や締め切りがあるものですが、
それを守り、顧客が満足できるクオリティが維持できれば、
仕事をする時間、場所は限定する必要なくなりますよね。
AIの発達した社会では、そんな仕事しか残らないかもしれません。

 

 

 

人間関係はどうでしょうか。

 

 

 

サラリーマンの場合、上司や同僚が自分にとって大好きな人だけ、
という環境であれば、それは最高に恵まれていると思います。
また、社内外での飲み会も、いつも楽しみで仕方がない、
のであれば、いいと思います。

 

しかし、全てが全て、そうではないですよね。

 

 

 

部下は上司に服従するべし、を地でいく上司とか。
仕事以外にも自分の価値観を押し付けて満足する先輩とか。
飲み会とゴルフが最高のコミュニケーションと信じて疑わない、
団体行動が何より大事なご老体たちとか。

 

自分が飲みたい、ゴルフしたいだけでしょう。

 

 

 

サラリーマンは、仕事に関わる人間関係を選べません。
ですが、人間関係は仕事に影響します。確実に。
人間は好き嫌いする生き物ですので、仕事の対応や内容が
人間関係の良し悪しで変わってくるのは、ある程度仕方ないです。

 

 

 

なので、社内外の人たちと長い時間をかけてよい関係を築き、
その輪の中で便宜を図りながら仕事をスムーズにこなすという、
日本社会伝統の仕事の仕方は有効と言えます。
定時外も休日も、かなりの部分が関係づくりに費やされますが。

 

 

 

自分の人生は仕事のためにある、というのであれば、
一部の先輩上司が言うように、飲み会やゴルフなどに
全ての時間を捧げて良好な人間関係を築いて、
その輪の中で高いレベルの仕事をするのもいいんでしょう。

 

 

 

が、自分がやりたいこと、やるべきことが社外にある時にも、
短い人生の時間を大きく割く価値あるもの、でしょうか。

 

 

 

「何でもやれ、できるようになれ」とか言う人もいますが、
広く深く、何でもできる人はいません。なる時間もありません。
社内にしろ社外にしろ、仕事は、お互いに結果に責任を持つ
プロ同士として、スキルと成果をやりとりして進むと思います。

 

 

 

親しさや以心伝心で円滑に進めりやりたかは確かに有効ですが、
そんなズルズルとした馴れ合いが全てでは、決してありません。

 

 

 

むしろ、ほとんどのエコノミストが予想を外し、
変化についてこれなかった組織がバタバタ倒産する現代では、
時間がかかりすぎると足かせになるんではないでしょうか。

 

 

 

これが個人として尊敬してやまないとか、
仕事抜きに交流を持ちたいとか、そう思う相手であれば別です。

 

 

 

自分の人生を深め広げる友人になりたいと思う相手なら、
全力でお付き合いすべきですよね。
でなければ、仕事の上での付き合いでいいんではないでしょうか。
ドライに過ぎる考え方なのかもしれませんが。

 

 

 

仕事の上での人間関係と、プライベートでの人間関係。
入り混じる部分は当然あっていいと思います。
その方が、自分の可能性も広がります。
むしろ、境目を持たない生き方ができる環境には憧れます。

 

 

 

そうではなく、自分の人生において目指す姿、幸せに関して、
明らかに邪魔とか無駄になるものは断固、
お断りすべきだと思います。
難しいんですが、やはり意識すべきだと思います。

 

 

 

わたしはゴルフはしないので、飲み会の話に偏りますが、
わたしはお酒は大好きですが、相手によります。
家族や友人たち、気の置けない人たちとのひとときは、
何にも代えがたい価値があります。

 

 

 

また、一人で飲むお酒も好きです。
居酒屋は寂しくなるのでお一人様はしませんが、
行きつけの飲み屋やバー、家でのんびり飲むのもまたよろし。
自分の気持ちがいい時間は、無駄では全くありません。

 

 

 

一方で、悩み相談ならともかく、仕事の延長や愚痴大会とか。
特に、前にも聞いた同じ話を延々繰り返す場合は、苦痛ですよね。
しかも力関係上、非常に断りにくいとなれば、拷問です。
もうパワハラです。訴えてやる的な。

 

 

 

やるべきこと、やりたいことは公私ともたくさんあるのに。
時間とお金と体力を無駄にしている気がしてなりません。
仕事のやり方、考え方、人付き合いや飲み会一つにしても。
全部、自分の目指す幸せの糧になるものを選びたいですよね。

 

 

 

そんな働き方、人間関係を実現できる仕事は何か、環境はどこか。
今、あちこちと探しているところです。

 

 

 

ひとつの仕事にこだわるつもりはありませんが、
仕事はやってみなければわからないのも事実です。
候補を絞り終えたら、集中して取り組んでいきます。

 

 

 

自分の夢、ありたい姿、最高の形。
それを軸にして、実現するには何が必要か、何をすべきか。
それを明確にして、最高を目指して地道に取り組む。

 

 

 

それが、短い人生を望み通りに生きる、
たった一つの道ではないでしょうか。


筆者:鳴海 研

化学メーカーにつとめる30代理系サラリーマン。
一人っ子として育てられたと思ったら実は違ったり、
借金で育てられたり家族が蒸発したり会社の先輩が失踪したり、
色々経験する中で辿り着いた、本当に生きたい人生とは。
あなたはどんな未来を実現したい?そんなことを書いています。

⇒鳴海研ってどんなやつ?

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