
年間約630万トン。そのうち家庭から約300万トン、事業から約330万トン。
おそろしい桁の量ですが、何を表すかご存知でしょうか。
これは、日本での「食品ロス」、つまり食べ残されたり、食べられるのに
捨てられてしまっている食べ物の数量です(2013年度推計)。
大きすぎてピンと来ないぐらいの数字ですが、世界全体の食糧援助量が
約320万トンだそうなので、その約2倍です。
WHOとか国境なき医師団とか青年海外協力隊とかが、世界の子供を
飢餓から救おうと必死で集める食糧の2倍、わたしたちは捨てている。
おそろしいですね。桁も、事実も。
飢餓をなくすためにどれだけの食糧が必要かはわかりませんが、
誇張も何もなく、わたしたち日本に住む人たちが、要る分だけ食べて、
要らない分を他に回せれば、飢えずに済む人が相当増えるわけです。
国連総会で採択された通称SDGs「持続可能な開発目標」の目標2は、
「飢餓に終止符を打ち、食糧の安定確保と栄養状態の改善を達成する
とともに、持続可能な農業を推進する」です。
この開発目標は全部で17目標あります。
この目標2のうち、前半部分については、わたしたちが捨てている
約630万トンの食べ物があればかなり進むのではないでしょうか。
それだけのものをゴミ箱に叩き込んでいるのが、
もったいない文化を誇る我らが日本です。いやはや。
ということで、2016年から食べ残しを減らす取り組みが広がっています。
代表例が、いわゆる「30.10運動」。宴会の開始後30分、終了前10分は
食べる時間に充てましょうというものです。
熊本県あさぎり市では条例に盛り込まれています。
取り組みやすいので、着実に広がっているようです。
長野県松本市、埼玉県狭山市、鹿児島県指宿市、栃木県さくら市など。
京都市では、30.10運動によって食べ残しが4分の1にまで減ったという
結果が出たそうです。効果ありますね!
ゼロにはなかなかならないのでしょうが、根付いていってほしいです。
食べ残しの是非については、国や文化によって全く異なるのは
広く知られています。
中国や韓国、スペインでは、特にもてなしの席では残すのがマナー。
「十分な量の食事でもてなす」ことが良しとされているからです。
一方で、フランスやインドではタブーです。
フランスでは「美味しくなかった」という意思表示になるとのこと。
日本はどうかというと、「もったいない」という意識から
食べ残しは好まれないですよね。作り手に対して失礼にもなるし。
それでもなお、約630万トンもの食べものが捨てられているんです。
未調理の素材もありますが、料理の食べ残しだってかなりの割合です。
それも、幹事の声掛けとか、30.10運動という「意識づけ」で
75%も改善する。ということは、やればできるわけですよね。
アレルギーは当然、好き嫌いがあれば、それを避けて料理するとか、
同席者と協力して食べるとか、方法はいろいろあるはずです。
学生時代の友人の格言があります。
「やればできる、は、できないのと同じ。できるならやってみせろ」
例えば経費の中に75%も無駄があったら放っておけないでしょう。
それと同じですよね。
訳されず海外でも通じる「もったいない」は、間違いなく誇れる文化。
日本が率先せずどうします。
食べる分だけ手に入れる。手に入れたものはちゃんと食べる。
ひとりひとり、できることからやっていきましょう。

今日の昼食時の話題です。
わたしの職場の女性がひとり、育休から復帰しました
福利厚生関係の制度はそこそこ充実していて、
産休に3カ月、育休に丸1年取得し、これから時短勤務です。
時短は始業就業から1時間を短くできます。
子育て期間中は、子供の送り迎えで朝夕と時間が必要ですし、
急な体調不良や病気が長引くと、休みも多くなります。
両親(子供から見ると祖父母)の家から離れていて
協力が得られにくければ、なおさらでしょう。
また、子供が小さい時に次を授かった場合。
時短勤務中に産休、育休、明けて数年間は時短勤務となります。
3人子供ができれば、フルタイム勤務から10年外れる場合だって
十分にあり得ますよね。
ある課長が言いました。
部下として仕事をお願いする立場として、これはやりにくい。
営業職や研究職ならなおさら。やはり男性がやりやすい。
けど、そんなことは採用した時からわかりきっている。
今更どうこう言って慌てるのは、準備不足だ、と。
実はわたしはこの課長のこと、好きではありません。
ゴシップ大好きで、口を開けば半分は噂話と人の批判だし。
自分の憶測を事実に織り交ぜて、誤解を生む言い方をするし。
ただ、何に対しても自分の視点を持っている人です。
さきほどの発言で、わたしはこの課長を少し見直しました。
言う通りですよね。
驚きの事実なんか何もなく、とっくにわかっていたことです。
女性しか子供は産めないし、出産のための休業は不可欠です。
命より優先する仕事なんて、どこにもありません。
そのために採用制限するとか、制度を利用するのに否定的とか、
発想自体が全くわけがわかりません。
未来のために、今から

長期間の時短勤務、というのは確かに会社にとってリスクです。
が、それは、母親が育児を全て担う前提の話ですよね。
それぞれの会社に制度があれば、ですが、例えば父親と母親が
期間を分け合えば、リスクは半分で済みます。
おじさんやご老人たちが子育てをしていた時は、
「男は外で稼いで女は家を守る」という時代だったのでしょうが、
最近は違ってきています。母親の手伝いじゃなくて、
夫婦一緒に子育てするケースが増えてきているのでは?
わたしの周りにはまだ子育て中の夫婦は少ないですが、
同期はそうでした。
男性ですが、母親と同期間、フルタイムの育休を取りました。
二人目の時も。今の会社の制度では男性も育休が取れます。
これが、周りの中高年の男性陣に全く理解されませんでした。
部長には「何で旦那まで育休取るのか」と言われ、
おかしいことに二人目の育休の時には異動までさせられ、
明けて2年も経つのに、今も人の口にのぼります。
このおじさんたちはきっと、奥さんに子育てを全部押し付けて、
家では「苦労して仕事して稼いでる俺は偉い」と威張って、
外では「家事や子供のことは妻に任せてる」とか言って、
それがかっこいいと思ってきたのでしょう。
子育て終わった今でも、たまに言いますね。
男はそうあるべきだ、そうでないのは情けない、みたいな感じで。
数十年間、自己満足のために奥さんに我慢と苦労と服従を強いて、
たまに手伝うだけで、ほとんどサボってきただけなのに。
家事だけならそうでもないと思いますが、
育児も合わさると、冗談抜きでブラック企業真っ青です。
時間やタイミング関係なしに要求してくる相手の隙を縫って、
掃除洗濯買い物もろもろこなし、食事も作らないといけない。
奥さんに家事と育児を全部任せるということは、
旦那が酔っぱらって夜遅くなった時も、
休みの日に「疲れた」とゴロゴロしてる時も、
24時間265日、奥さんを働かせるということです。
奥さんが休めるのは、両親とかママ友に子供を預けられる時だけ。
両親の協力が得にくければ、年に何日あるでしょうか。
それを尻目に立派ぶる姿の、一体どこがかっこいいのでしょう。
理解に苦しみます。そんなんなら子供、もうけなければいいのに。
話が逸れました。
育児放棄や子供の虐待とか悲しい事件も多く起こる世の中ですが、
今、男性も家事育児に参画して女性に活躍してもらおう、
という大きな流れになっています。欧米に数十年遅れて。
本音は労働力の補充で、男性の労働が軽くなるわけはないとしても。
なので、男女ともに育休が取れる制度と、育休を取れる風土が
全ての組織に必要です。罰則を設けてもいいですね。
こういうと、驚く方もいるでしょう。
「何を考えているのか」と、恫喝されることもあり得ます。
ですが、わかりきっていることでしょう。
資金がないとか貯蓄に不安があるといった理由で、
結婚しなかったり遅らせる男女が多いのはみんな知っています。
育てられない不安がある中で、子供をもうけますか?
子供をもうけるかどうかは、完全に夫婦の自由意志です。
もうけない、という選択だってあります。
ですが、本当は子供が欲しいけど諦める夫婦だっているわけです。
子供をもうけても働いていけるか、これは大きなポイントですよね。
というわけで、大事なのはこんなわかりきっていることではなくて、
準備を始めることです。制度を作り、取りやすい風土を作る。
少子化が止まらないって焦っていますが、何も変わらなければ、
そのまま進んで日本は若者にとっての地獄になります。
やることわかっているんだから、やりましょう。
そして、おじさんたち、ご老人たちも考えて欲しいですよね。
「昔はこうだった」とか思考停止はやめて。
自分が生きていることで、若者が生きていけなくなる。
そんな未来を避けるために。

現役早大生の女性が、若干20歳で世界最年少の快挙を成し遂げたそう。
「エクスプローラーズ・グランドスラム」という、
世界7大陸の最高峰と南極点、北極点の9つ全てに到達する偉業。
なにやら必殺技のような、ゲームの称号のような。すごい!
1つめの達成は18歳だったというから、9つをたった2年間で制覇したんですね。
南谷真鈴さん、ニュースでは「冒険家」と紹介されていました。
冒険家。イメージはあるけど一体何をする人?
冒険家を職業と見ると、スポンサー収入で冒険をし、
調査や経験を講演なり書籍にするなりで収入を得るみたいですね。
自分の興味とか専門分野から「何を追うのか」を決め、道筋を立て、
スポンサーを探して、旅に出る。これが一連の流れです。
スポンサーだって慈善事業ではないですよね。
誰でも行ける、できることをしても「冒険」とは言わないし、
「すごい」とか「危ない」とか、驚きや憧れがないと
スポンサーのビジネスが成り立ちませんし、
講演や書籍に誰もお金を出しません。
冒険家というのは、自分の生き方を世に問う仕事、と思います。
いや、そもそも仕事なのかはわかりませんが。趣味の延長?
ともあれ、強烈な原動力が自分の中にないと、しんどかったり
危なかったり壁に当たった時に進めなくなります。
そこであっさり引き下がってしまうと、
世に問うレベルの冒険にはなりません。すごい!がないです。
冒険ほど危険なにおいがなくても、やっぱり、
「誰も見たことがない光景」を見る、作る仕事はワクワクします。
そんな仕事は、もしかしたら仕事の枠を超えるのかも。
それが「ライフワーク」と呼ばれるものかもしれませんね。
きっと、冒険家にとって、冒険はライフワークなのでしょう。
南谷さん、次はセーリングでの世界一周に挑むそうです。
どんどん世界を切り拓いていきますね。
誰もやったことがないこと、ではないのでしょうが、冒険です。
絶対しんどいし、死にそうになるけど、やりきったら絶対楽しい。
あー、おもしろそう!
「おもんないわー」とか思いながら我慢してる場合じゃないですね。
こういうニュースは、何というか、エネルギーを貰えます。
わたしも、わたしの幸せの実現に向かって粛々と進みます。
あなたも、あなたのやりたいこと、
夢に向かって進んでいますか?
①あげるより、あげたい派

妻 「今度誕生日やね。何が欲しい?」
わたし「え?あありがとう。そやなあ……………」
妻 「…………………」
わたし「…………………」
妻 「………欲しいもの、ないん?」
わたし「なくはないけど………ベルトとかネクタイとか?」
妻 「何年か前にあげてるやん」
わたし「うん、まだまだ現役やね。時計もあるしなあ………」
妻 「ちょっといいハンカチとか、アクセサリーは?」
わたし「消耗品はなあ。アクセサリーは手元にあるので十分やし」
妻 「服とか靴とか本とか?」
わたし「服と靴も十分あるし、本は売るかも知れんし………」
妻 「そんなこと言ってたら決まらんやーん(叩く)」
わたし「ちょ、誰のプレゼントやねんな(笑)」
わたし「あ、あれがいい。うん、そうしよう」
妻 「なになに?」
わたし「ちょっといいご飯を頑張って作って。俺のために」
妻 「え?そんなんでいいの?」
わたし「ケーキも作って」
妻 「えー?」
わたし「そこはうんって言おうよ」
妻 「えー…わかった。頑張る。から、ケーキは手伝って(笑)」
わたし「えー…しゃあなしやで」
わたしは、あまり物欲がない人間のようです。
子供の頃はおもちゃやゲームをそれなりに欲しがりましたが、
大人になってからは特に、誕生日やクリスマスに何が欲しいかと
聞かれると、困ってしまうことが増えました。
ないと困るもの、例えば最低限の衣類は買います。
でも、それ以上となると、どうも不要に思ってしまいます。
いずれ捨ててしまう雑貨などは特に。
よっぽど気に入ったものだけ買って、しつこく持っています。
モノよりも、体験とか経験にお金をかけたいと思っています。
気の置けない人と食事を楽しむとか、映画や美術館に行くとか。
プレゼントをしたり一緒に料理をするというのも、
相手との楽しい時間を共有する経験にお金をかけているわけです。
もちろん、旅行やスキーに行ったり、BBQをするのも。
記憶だってだんだんと薄まっていくものですが、
体験や経験は新鮮な驚きをもって自分を豊かにしてくれますし、
知らない世界や価値観も教えてくれます。
共有した相手との絆も強くしてくれます。
これは、モノにはできないことです。
②2回目で居酒屋の大将に覚えられる

わたしが子供の頃、両親の交友が広く、
お酒が出る大人の食事の場にもわたしを伴って行っていたこと、
たくさんの大人が出入りする場所へ日常的に行っていました。
オシャレなパーティなんかではなく、
山歩き、山菜取り、海や山中でのキャンプですが。
読んで字のごとく、山が多かったです。
よく、両親の友人や学校の先生たちに、
「受け答えがしっかりしているね」と言われました。
何かを聞いても、ちゃんと(それなりの)答えが返ってくるし、
わからないならわからない、と言ってくると。
特に子供の頃、わたしは喋るのが遅い方でしたので、
今なら、そのフォローの意味もあったようにも思いますが。
当時の会話の記憶なんてあるわけもなく、他の子はどう、
なんてのも気にもしていなかったので、真偽は謎です。
ただ、確かに大人と話をする時間は長い方だったのではないかと
それだけは思います。
しっかりしているかはともかく、知らない人と
何か話をすることに抵抗はなくなった気がします。
そのおかげか、人見知りとは無縁になりました。
居酒屋やバーのカウンターに座ると、店員さんと話すことも多いです。
特に大将や女将(マスターやママ)は話好きだったりするので、
料理やお酒の話から仕事の話まですることも。
同じお店に二回も行けば、かなりの確率で覚えてもらえます。お得。
誘われれば、妻の職場のイベントに参加したりもします。
バーベキューとか忘年会とか、お酒の場が多いですが。
妻の勤め先の元店長(今はエリア統括)のおじさんとは、
仕事のやり方や業界の話、人事のあり方なんて真面目な話もします。
ここ数年で、自分の仕事の上での人間関係よりも、
その外での関係の方がずっと面白いし刺激的だと思うようになりました。
いろんな価値観や考え方に接することが出来るし、
日々の生活と直結しないからこそ、気負わずできる話もあります。
これからも広げていきたいと思っています。
③八方美人なのに、ガンコ…?
よくあるシチュエーションではないでしょうか。
来週の社内の飲み会、店選びでもめている。
課長は、若手の参加者が多いので焼肉でどうだ、と言い、
部長は、ゆっくり話ができる日本料理屋がいいだろう、と言う。
で、平行線の挙句、周りに意見を求めてくる、とか。
わたしはどちらも好きですし、持ち出しが同程度であれば
「どちらもいいですね」と無難に返します。
もし、苦手な選択肢が来たとしても、ゲテモノでなければ
「いいですね」と返すことが多いです。
結果、焼肉になれば「課長チョイスさすがですね」
「次は部長おすすめの日本料理にしましょうか」
日本料理屋になれば「部長さすがいい店をご存知ですね」
「課長おすすめの焼肉も美味しいらしいですね」
どちらに転んでも、どちらも気分を害さない立ち回りをしようと
考えることが多いです。飲み会でも、仕事でも。
なので、ちょっと意味は違いますが、ガツンと主張するよりは、
わたしは八方美人に振舞う人間だと思っています。
一方で、時にわたしのことを「ガンコ」と評する人もいます。
ガンコというと、納得しない限り自分の意見を頑として曲げない、
というイメージがありますよね。
例えば、お酒の席で他部署の部長がふと言いました。
わたしとしても自己イメージと合いませんでしたし、
一緒に聞いた同僚も「そうかな?」と言っていました。
気になったので、後日、聞いてみたことがあります。
いわく、仕事の面で、
「その場では体よく振舞っても、納得していないことがある」
「君が行動に移すのは、ちゃんと納得したことだけ」
「そういう意味で、ガンコな人間だと思う」と。
確かに、もうちょっと若い時には、噛み付くこともありました。
「ここまではわかるが、ここからはわからん」
「わからんことはやりようがないから、やりません」
といった感じで。自分ではそれをガンコとは思っていませんでした。
わたしをガンコと評した人の中には、
噛み付いていた当時のわたしを知らない人もいます。
それでも、いまだにどこからか滲み出るものがあるのか。
本当のところはわかりません。
周囲の評価を気にしすぎて、いいことは何もありません。
が、意外に思うことは理由を聞いてみると、
自分では思いもかけない「見られ方」を
発見できるかもしれませんね。
④自分の宝を愛でると、相手の宝も愛でられる

例えば。
誰にも話しかけられず、読書に没頭できる半日。
ワイングラスを片手に、リラックスして家で映画を観る2時間。
気の向くままにブラブラと散歩をする数時間。
ゲームやプラモデル作りに集中しっぱなしの3時間。
毎日なくてもいいんです。
でも、一週間や二週間に一度ぐらいは、こんな時間がほしい。
一人だけの、自分のためだけの時間がほしい。
そう思いませんか?
自分の部屋でもいいし、一人で出かけるでもいいし、
家族みんな出払っている時に留守番するでもいいです。
自分のためだけに時間を使うことで、自分のメンテナンスができる。
なぜ、とか、どこを、なんてわかりませんが、そう思います。
これって、実は思っていても、家族を持つと諦める人が多いようです。
でもやんわり主張してみると、なんとかなったりします。
もちろんストレートに言うのもOKでしょう。
相手の性質や自分との関係によるでしょうが。
自分にとって大事なものを大事にできればこそ、
誰かの大事なものも尊重できる。
恋人もそうですし、家族ならなおさら。
そんなふうに思います。
⑤お掃除ロボを思いながら、淡々と掃除をする

学生時代、化学の研究に携わっていました。
実験器具を洗う作業は、食器を洗うのと同じで避けて通れません。
一日の終わりにまとめて洗う人が多かったですが、
わたしは、実験のすき間を見つけてはせっせと洗うタイプでした。
実家を出てから。ほこりにアレルギーがあることもありますが、
一週間に一度は必ず、できれば3日に一回、掃除機をします。
一人暮らしの時はもちろん、結婚した今でも続いています。
たまに妻に「嫌味かそれは」とか言われながら。
実験器具の洗いも掃除機も、隅っこまで、できる限り綺麗にします。
しようと心がけています。
それは、どちらも面倒で大嫌いな作業なので、やり直したくないから。
やらなければいけないことなので、一回で確実に終わらせたいからです。
とはいえ、いつもいつもちゃんとするわけでもなく。
面倒くささが勝ってしまったときは、手抜きもします。
手抜きをして「次にちゃんとやればいいや」と
自分を誤魔化しています。
やらなければいけないことを嫌々やっていて、
それも気分によって手抜きもする。
わたしの自己評価は「大雑把」という感じです。
それでも周りからは、几帳面だと言われることが多いです。
何を勘違いしたか、細かい作業や家事が好きだと思っている人まで。
全くそんなことはありません。
可能であればやりたくないです。面倒です。嫌々です。
真剣にお掃除ロボの導入を検討中です。
今は余裕がないので、ボーナスを何回か積み立てる予定です。
広い面積はロボットが日々頑張ってくれて、週末に
隅の方をちょこっと掃除するだけ。なんて楽。技術革新最高。
今の生活で、どうしてもやらなければいけないこと。
でも、その作業や行動は、実はやりたくない。
そんな場合は、もう淡々と粛々とこなすしかないじゃないですか。
嫌だ嫌だと言ったところで、やらないといけないんだし。
やらなくてよくするためには、と日々考えながら、
ただ淡々とこなしている姿が、きっと周りから見ると
「嫌がる作業を嫌な顔せずやって、きっちりしているね」
という感想になるのかもしれません。
⑥目玉焼きにはケチャップ派

あなたは目玉焼きに何をかけますか?
醤油?ソース?それとも塩コショウだけ?
わたしはケチャップ派です。
主流ではないようですが、おいしいですよ。お試しあれ。
という会話を、同僚としたことがあります。
ちなみに彼は醤油派でした。ご飯のお供なのだから醤油一択だと。
まあ、食べ物の話なので、そこで終わればいいんですけどね。
そうはなりませんでした。
彼は「目玉焼きには醤油」ということに強い信念を持っていて、
ケチャップ派のわたしを論破しようと持論を展開し始めました。
ケチャップなど邪道だ、もはやケチャップの味しかしない、
卵焼きにはケチャップかけないだろう、合わないのだよ、と。
論破といっても、わたしに論じる気が全くないので、
ただ一方的に話すだけでしたが。生返事をしながら聞いていました。
結果、目玉焼きには醤油をかけるよう改めたまえとなり、
「いやだ」と返事をしておしまいになった気がします。
人間には「承認欲求」というものがあります。
誰しも、誰かに認めてもらいたい。
その通りだね、とか、すごいねよくやったね、とか。
それはよくわかります。わたしも当たり前に持っています。
目玉焼きに何をかけようが、仮に砂糖をかけようが、
好きにすればよろしい。単にそれぞれの好みです。
ですが、わたしたちは自分と違う意見に出会った時、
相手に自分の意見が正しいと認めさせたくなることがあります。
何も食べ物の話だけではなくて、仕事の進め方やり方とか、
AとBとどちらがいいかとか、こだわりを持っていることとか。
お互いに「これがいい」という主張がぶつかると、
自分の意見の方がいいんだ、そうだろう?という話になります。
仕事やルールに関することなら、すり合わせは必要です。
お互い納得して、決まりを守らないと進まないですよね。
でも、一事が万事、すり合わせなくていいと思うんです。
あなたはあなた、わたしはわたし、という部分の方が多くていい。
それが、違いを認め合うということですよね。
たまにいるじゃないですか。
「あなたにわたしのことを良く知って、理解してもらいたい」
そう主張してくる人。
お互いに理解し合えない部分は必ずあります。
だって違う人間なんですもん。
自分で自分のことも100%理解できないのに、
どうやって人のことを理解しきれるでしょうか。
「この人は、自分とは違う考えを持っているんだ」
そこをお互い大事にできるからこそ、
困った時や相談したいことがある時、
お互いの意見が重要になるんだと思います。
⑦人生とは小説よりも奇なり

わたしは、自分の人生が特殊であるとは思っていません。
広い世界はもちろん、狭い日本にだって、どこにでもある境遇です。
ただ、ちょっと変わっているようです。
身の上話を誰かにする機会なんて少ないですが、
必ず「大変やね」と言われます。「よくグレずに育ったな」とも。
そんな大層な、と思いますが、確かに色々積み重なって、
それらが絡まり合って、今の自分を形作っています。
たった30数年ですが、わたしが経験したあれやこれや。
少しだけご紹介したいと思います。
暗い話です。ご注意を。
父が同僚と建築デザインを設立して某テーマパーク設計に関わったり。
月の収入が100万を超えたり。
数年後、父にサラ金からの借金が数百万あることがわかったり。
借金で育てられた衝撃は、高校1年生にとってもかなりのものでした。
それから数年、父は日雇いの仕事もしながら会社の立て直しに。
母も働きに出て、わたしもバイトして奨学金を借りて。
なんとか一歩ずつ、大きなマイナスからゼロに向かっていた頃。
両親がペーパー離婚することになりました。わたしが20歳の時です。
理由は、母が夢としていたマイホームを建てるため。
同居は続けていましたが、だんだんと父が変になっていきました。
仕事と偽ってパチンコに行き、酒量が増え、風呂にも入らず。
そんなある日、父が、置き引き被害に遭ったと言いました。
調達した現金を車内において食事したら、車の窓が割れていて、
200万円入ったバッグがなくなっていたと。
これで我が家は破綻しました。母は父を信用できず、喧嘩が絶えず、
父は酒におぼれるようになり。そして突然、蒸発しました。
また、前触れもなく、母から驚きの事実を伝えられた日もありました。
ずっとわたしは一人っ子として育てられていましたが、
実は父違いの姉がいると。たしか18歳の時ですね。
その姉が結婚し子供が産まれた、会いたいと打診があったと。
これも気持ちの整理に時間がかかりました。
背景には時代のせいと言えなくもないこともあり、受け入れましたが、
18年も伏せられていたことには気持ちがついていきませんでした。
結局、わたしも会いました。若い頃の母によく似ていました。
その後、姉、母、元夫の関係は再び繋がったかに思えましたが、
姉の心の奥底に「捨てられた」という思いがあり、
埋めがたい溝になっていたようです。近しい関係にはなりませんでした。
そして12年後、40手前で姉が亡くなりました。乳がんでした。
母は、通夜では母親の席に座ったものの、葬儀は欠席しました。
姉には育ての母というべき人がおり、配慮したようです。
ただ、それが原因で、元夫とは断絶状態のようです。
ちなみに父にも母親違いの子供がいるようです。蒸発後に聞きました。
姉が亡くなる一年ほど前、わたしの母方の祖父が亡くなりました。
90歳を超えての大往生でした。肺がんですが、寿命でしょう。
ただ、祖父母が若かった頃の確執が原因で、今わの際まで
祖母が祖父をけなすなじるの、ひどい状態でした。
大学院に進学し付き合った彼女と数年後同棲しました。
彼女がうつ病になりました。
幸運にも1年ほどで寛解しましたが、言葉で表せない1年でした。
ただ、乗り越えられたことで、彼女との結婚に踏み切れました。
親の離婚、再婚なんて特に珍しくもありません。
前の配偶者との間に子供がいることもあるでしょう。
わたしの友人にも数名いるぐらいですし、
この歳になると自分自身が経験していることも。
親が社会的に成功したほぼ直後、借金を作って蒸発する。
これはあまり聞かないケースかも。
自分で経験してネタにして本を書くと儲かるぐらいですし。
とはいえまあ、そんなこともある、と想像できる範疇ですよね。
多感な時期の出来事だったので、わたしの結婚観、人生観に
大きな影響を与えました。
反面教師という意味合いでも。
さすがに、姉が亡くなった時には堪えました。
親しくもなかったですが、こんなこと自分に起こるの?と。
家族が若くして亡くなる辛さの1割ぐらい、わかる気がしました。
姉の子供は長子で10歳。たまりませんでした。
祖父母の件は、わたしが結婚してからの出来事でしたので、
余計に考えるものがありました。
姉の死、妻と乗り越えたうつ病の経験も相まって、
わたしにとって、人生で譲れないものに気付くことができました。
駆け足で書くと、どうしても伝わらない部分がありますね。
もうちょい詳しくはこちらに載せています。
興味があれば。
●「良く生きる」ための1つだけの条件
●何のために生き、何を目指して働くのか
確かにきついこともたくさん起こりましたが、
その結果、今のわたしがあります。
むしろ、いろいろ起こったからこそ、たくさんの反面教師を得たからこそ、
今のわたしになったわけです。
自分の人生が「特別厳しい」と思った時、きっと何もできなくなります。
可哀想なわたしを誰か助けて、もう動けない、とか。
そんなのはまっぴらごめんですよね。
自分の人生はひとつだけ、一回だけなので、誰かと違うのは当たり前です。
小説で読んだことのあるような出来事が、
小説でも書いてないような重なり方をしている。
それが、わたしたちの、それぞれの人生なのだと思います。
それで違いが生まれない方が異常ですよね。
だから、面白いんです。
⑧わたしの人生は、わたしの幸せを実現するためのもの

会社に、人のいい先輩がいました。30代の若手です。
柔らかい物腰で、穏やかな物言いで、真面目で、
人の話を真剣に聞いてくれて、後輩に慕われていました。
うっかりものなのが玉に瑕、そんな先輩でした。
その先輩が、ある日突然、会社に来なくなりました。
無断欠勤なので上司が携帯に電話すると、電源が入っておらず。
数日後には携帯が解約されており、家も引き払い済み。
実家に連絡すると、親御さんも初耳だといいます。
聞くところによると、その前日の全社イベントでミスをしたようで、
上司にきつく叱責されたそうです。
来場者に大変失礼なミスで、叱責の場に居合わせた人が引く勢いで。
完全に音信不通のまま、数週間が過ぎました。
うっかりもの、というのはそのままの意味で、
その先輩は、普段の仕事にもミスが多かったようです。
そこに大きなヘマをやらかし、責任者の上司としては
腹に据えかねたのでしょう。
きつく叱られても仕方ないと、そう思います。
仕事上の指摘であれば。それ以上はただのハラスメントです。
ですが、音信不通の数週間で上司がしたことは、何もありません。
無断欠勤から退職したらどうなるか、規定を確認したぐらい。
先輩の同僚や後輩、労働組合はほうぼう手を尽くしました。
といっても連絡手段がないので、大してできませんでしたが。
先輩の職場の人に話を聞くうちに、上司からの叱責は日常的で、
吃音や手の震え、やたら汗をかく「症状」があったことがわかりました。
入社当時、全くそんな症状はなかったそうです。ぞっとしました。
少なくともわたしが入社した7年前には全て症状があったので、
てっきり、先輩の癖なんだと思っていました。
そんなに長期間、上司にも職場の人にも、放置されていたわけです。
最悪の事態が頭をよぎりました。
それは、わたしだけではありませんでした。
地元の新聞に死亡記事が出るたび、何人もの人と同じ話をしました。
今回は違ってよかった、まだ連絡はつかないのか、と。
そしてさらに数週間後、先輩から退職届が郵送されてきました。
退職願いではなく、退職届です。
本来なら人事部しか知らないことですが、すぐさま拡散しました。
当事者である上司が、これ見よがしに言いふらしたので。
それと同時に、親御さんのところに連絡があったようです。
本人希望で会社へ連絡先、住所は伝えられなかったそうですが、
ひとまずは生きていることがわかり、ほっとしました。
現代の日本社会の中にあって、生存確認できて安心したわけです。
異常だとは思いませんか。30代ですよ。
退職届を受けて上司は「いなくなって清々した」と言い放ちました。
過程はどうあれ自分が最後の引き金を引いて、清々したとか。
仮に思ったとしても、わたしたちの前で言うことでしょうか。
結局、先輩は自己都合での退職ということになりました。
上司は「懲戒でなくて感謝してほしい」とか言っていました。
自己都合にしないと会社にとって都合が悪いからだと思いますが。
その後、会社として原因究明もされませんでした。
上司の処分などあるはずもなく。
口頭注意ぐらいはあったかもですが。
その1年間で、若手が10名近く退職しました。
退職の理由は様々ですが、多くの人が先輩の事例に触れました。
自分もいつ同じ目に合うかもしれない。
会社は顧みないし変わらないことがよくわかった、と。
わたしもそう思います。そう思っている人が、多くいます。
これを受けても、会社は変わろうとしません。
社長に聞くと、重く受け止めているし対策も始めていると言うのですが、
対策も方針も一向に見えてきません。
退職者は一時より落ち着きましたが、10年単位で見ると多いレベルです。
会社の規模にしてはメンタルヘルスなどの制度は整っている方ですが、
いくら制度があっても、組織の中身が伴なわなければ意味がありません。
組織の中身を変えていくには、膨大な時間がかかります。
そして、わたしたちの時間は、限りある貴重なものです。
踏ん張って会社の中から変えていくというのは、たぶん、
おじさん好みの英雄的なかっこよさがあります。
が、自分の「生」は一回きり。満足に身体が動くのは40歳ぐらいまで。
その大事な一回だけの時間の使い方は、自分で決めたいですよね。
会社の英雄になるもよし、何も考えない代わりに会社に飼われるもよし、
サラリーマンとして仕事も家庭もほどほどにこなすもよし。
自分の一生を良く生きるために、違う世界に飛び込むもよし。
自分の歩んでいく道は、自分でしか選べません。
わたしの人生は、わたしの幸せを実現するためのものです。
そのために必要なこと、ものを選んで生きていきます。
そこに、今の会社で働き続けることは、残念ですが入っていません。
なので、外に飛び出すための準備をしています。

2016年、とある広告大手の話題が大きく取り上げられましたね。
リアルでも、ウェブでも。
若い女性の過酷な労働実態と、追い詰められていく過程が
垣間見えるLINEなどの履歴。
ぞっとしたサラリーマンは、私だけではないと思います。
この事件は、特に大きく取り上げられています。
そんなに特別なのかというと、ある意味ではそうですよね。
この会社は過去に一人、社員を過労死させています。
にもかかわらず、二人目です。
工事現場で何回も死亡事故を起こしている会社が関西にもありますが、
シリアルキラーならぬ、シリアルキリングカンパニーとか。
そんな言葉が、そのうちできそうです。
Karoshi
言葉つながりですが、「過労死」という言葉。
残念なことにすっかり耳なじみですが、日本生まれということ、
ご存知でしたか?
世界で初めて提起されたのは1982年。
「過労死 脳・心臓系疾患の業務上認定と予防」
3人の研究者と医師により出版された、専門書です。
英語では「Death from Overwork」
とも書くそうですが、「KAROSHI」で通じます。フランス語でも。
すごいぞ日本。
逆の意味で。
2016年、またしても日本から世界初の文書が出ましたね。
通称「過労死白書」。
名実ともに、日本は過労死大国なわけです。
過労死大国。
字面がものすごいです。
ちなみに、過労死の中には「過労自死」も含まれることが多いそう。
白書によると、先進国の中でも平均労働時間は日本人が非常に長く、
色々な問題が仕事によって引き起こされています。
・身体の疾患
・精神の疾患
・突然死、自死
ここ数年で減ってきてはいますが、まだまだ多いです。
今でも、毎年2万5千人以上の人たちが自死しています。
そのうち、原因が認定されているのは30%とも50%とも言われます。
理由が不明、という事件も多いのです。
「過労死白書」は、日本国内の実態と対策状況を著したものです。
世界にさきがけて発表できる、ということは、
そもそも、過労死が世界でもトップクラスに多い、ということ。
経験豊富な専門家だからこそ、世界初の専門書が書けるわけです。
なぜ、日本では過労死が多いのか?

よく言われる原因は
・非常な長時間労働
・職場の人間関係(ハラスメントなど)
です。
たとえば、
日々の無理がたたって精神的、身体的な疲労が蓄積する。
仕事の効率が落ちて長時間労働に拍車がかかり、
仕事が終わらず上司や同僚に叱られたり見放されたりする。
たまの休みはぐったりしているので家族や友人との関係も冷え、
疲れが取れず効率が更に落ちる。
とか
毎日毎日、上司に何時間も衆人環視で叱責を受ける。
気持ちが沈みっぱなしで家族や友人に八つ当たりをし、
ギスギスした職場で連携も何もあったもんじゃなく、
気が休まらない事で疲れがどんどんたまっていく。
仕事が遅れミスも増え、上司からの叱責が更に激しくなる。
というような負のスパイラルに陥ってしまうと、どこかで限界がきます。
身体に限界がくれば、不整脈や脳溢血などで亡くなったりもします。
精神に限界がきてうつ病などになれば、
判断能力がなくなり、自死してしまうことも。
どうしてそこまでして働くのか?
心を病んでしまうと自分の状態が判断できなくなり、
壊れるまで頑張り続けてしまったり、
逃げ出す、やめるということが選択肢からなくなったりしますが、
なぜ、そこまで突き詰めてしまうのでしょうか。
日本人は特に真面目だから?
常に控えめで気配りをする国民性だから?
残業するのが日本企業の文化だから?
「品質」「良質なサービス」の維持には長時間労働が必要だから?
どう思われますか?
人なのか、文化なのか
確かに日本人は真面目で几帳面、気配りできる国民と言われます。
ただし、それはあくまで他国の傾向との相対的な比較であって、
一人ひとりによって非常に大きな違いがありますよね。
残業は、もともと、契約した以上の労働を、会社の指示で行うもの。
日本以外の国でも当然、必要に応じて行われます。
労働時間管理や権利主張がしっかりしている欧米でも、
大企業の管理職では日本企業のそれと同じぐらいの残業があるそうです。
一方で、サービス残業はまた異なります。
世界の標準認識は、「労働とは、賃金や他条件を雇い主と契約し行う」もの。
賃金が出ない労働をする、という考えそのものが存在しない国が多いです。
契約書も何もなく子供を長時間使って使って捨てるブラックな世界なので、
サービス残業そのものは日本特有ではありません。
が、これを「仕方がない」、時に「やって当たり前」と受け入れる日本社会は
世界的に見ても異常であることは、疑いようもありません。
品質や良質なサービスの維持には長時間の労働が必要。
つまりは、それだけの手間をかけて提供するものに価値がある。
これは、その通りなのかもしれません。
実際、世界のどの国と比べても日本の製品、サービスの質は
高水準と言われるし、世界中の人がお金を払っているのですから。
遠い昔、貴族が支配していた室町時代から。
あるいは、武家が頂点に立った鎌倉時代から。
一握りの権力者から庇護を受ける代わりに、町民や農民は
衣食住の世話を主として労働力を提供してきました。
それが、長年にわたる、わたしたち日本の一般人の自然な働き方でした。
閉鎖された国土で、労働力と引き換えに、生きていくための保障を得るかたち。
お殿様に満足してもらい、たくさんのご褒美をもらえるよう、
米の品種改良や効率的な作付け、より頑丈な建築や土地整備の技術改良に励み、
お殿様の機嫌を良くするため観察力、洞察力を磨くことに専念できましたよね。
閉ざされた世界で磨いてきた、ある意味日本人にとって当然の技、感性が
近代に入って、海の向こうの世界に評価された。
世界の水準から見て、それだけ手間をかけたものは珍しいし、
お金を払っても惜しくない価値があるわけです。
当たり前だけど見過ごされやすいこと

ただし。
そこに、つくり手に対して、手間に見合うだけの対価が支払われていれば、です。
対価があればこそ、高い水準の製品やサービスが維持されていくし、
対価を元手に、更に高い水準を目指した活動ができる。
ほとんどのビジネスはこうやって回っています。
「何を当たり前の話を」と思われることでしょう。
そう、当たり前のことなんですよね。
お客さんが対価を払うのは、製品やサービスに対してですよね。
その製品やサービスを生み出すのは、会社や個人事業主など、組織です。
その組織は何で成り立っているか。
当たり前ですが、わたし達、人です。
人がいないと、何も、決して生まれません。
今後AIがどれだけ発達しようと、そこは変わらないと思います。
つまり、誰かが評価しお金を払う「モノ」「コト」は、
「人」によって生み出されています。
人が活動する、働く、ということが不可欠です。
生み出された「モノ」「コト」、そして「活動、労働」
それらが、相当の対価を支払われるべき価値のあるものです。
活動や労働は、人の時間と身体と頭を使う行為ですよね。
サービス残業は、人が活動する、働くという価値を下げることに他なりません。
いわば人を「安売り」することです。
過重労働やハラスメントなどで、人の活動の効率を下げる。
活動できなくする。
これも、当然、人の価値を低くすることです。
死なせてしまったら、価値も何もなく、ゼロになってしまいます。
組織が人で成り立っているのだから、
人の価値が下がれば、組織の価値も下がります。
すると、生み出される「モノ」「コト」の価値も下がります。
ゆくゆくは、誰からも見向きもされなくなる。
当たり前のことですよね。
当たり前なんですが、当たり前だからこそ、見過ごされている気がします。
組織にとっての3大資源は「ヒト」「モノ」「カネ」と言われます。
物、金はおおむね大事にされます。
特に金は、どんな時にも重要視されます。大きな金を生むために、金をかける。
しかし、人は?
教育や指導に金をかけるのは、将来のリターンを期待すればこそ。
それなら、なぜ、人の価値を下げる行為をするのか。放置するのか。
直接的にしろ遠回しにしろ、なぜサービス残業を命令するのか。
パワハラやモラハラが起こっているのを知っている、感じているのに、
なぜ放置するのか。
それらで苦しんでいる人を、なぜ見捨てるのか。切り捨てるのか。
山あり谷ありも、目指す先に輝きあればこそ

厳しい時も辛い時も人生の中にはあります。
それを乗り越えてこそ成長する、それは間違いなく正しいです。
乗り越えた先に、新たな世界や価値観があれば。
ただただ命令されて、自分を毎日安売りさせられたり。
いわれも意味もない嫌がらせにひたすら耐えたり。
助けを求めても「お前にも原因がある」と突っぱねられたり。
「会社を変わっても一緒だ」なんて呪いの言葉に絶望したり。
それらを耐えた先に、一体何を得られるんでしょうか。
そんな組織に、一体どんな価値があるんでしょうか。
きっと世界の中には、本当に人を大事にしている組織もあると思います。
でも、大事にしている、って、どういうことを指すんでしょうね。
周りから見て、待遇や制度が整っている事なのか。
決して解雇せず、働いている人の声に耳を傾ける事なのか。
納得できる評価と登用をもって、チャンスを与える事なのか。
それもひとつの見方です。
ですが、わたしは、「本人が実感できるか」だと思います。
大事にするかたち、というのは、人の数だけありますよね。
自分の周りの人たちの、逆に自分も周りの人から、価値を認め合う。
これしかないです。
「たくさんの人が集う組織では無理」とか聞こえてきそうですが、
ひとつの仕組みや制度で済まそうとするからじゃないでしょうか。
本当に、真実、十人十色です。
本当に必要なのは、制度でもなく、人の改革です。
価値を認め合える人たちが集まった組織なら、
そもそもこんな当たり前のことで悩む必要もないですよね。
自分の所属している組織がそうでないのなら。
そう変わっていける気がしないのなら。
自分で作ったり探したり、飛び出していくのも選択肢です。
あなたの価値、私の価値

ひとつの組織に勤め続けたとして、およそ45年。
20歳から65歳ぐらいでしょうか。
最近の日本人の平均寿命の半分いかないぐらいですが、
身体的、精神的に最も充実している時期です。
その間、安売りさせられ続けたり、嫌がらせに耐え続けたり。
最終的には捨てられたり、もしかしたら、殺されたり。
それで一生終わって良いほど、あなたは価値が低い存在でしょうか。
サービス残業を強制したり、ハラスメントを実際にやっていたり、
それを顧みるつもりもなかったり。
そんなクズな人でない限り、わたしはそうは思いません。決して。
わたし自身、ぜったい、嫌です。
今いる組織も、建前はともかくサービス残業歓迎な風潮がありますし、
一部ではハラスメントもあります。
それで去った同僚もいます。
それに憤る社員がいて声も上がっているのに、変わりません。
会社方針でサービス残業なし、と再度通達があっても、
部長や課長は、残業をつけるのは19時以降と命令します。
定時が17時30分なので、完全にサービスですね。
そして、労務管理をする人事もそれを黙認しています。
ハラスメントには懲罰的な人事があり、それでおしまいです。
何人も、主に新入社員をつぶしているのに、
その人は今も部長の立場でいます。
今は管理職だけの部にいますが、数年経てば新人が来るでしょう。
もしかしたら、そのうち、部長以上の職位に戻るかもしれません。
嫌で嫌で仕方がありません。
もう、社長も含め、個人がどうこうして変わるものじゃないです。
組織は人で成り立つもの。
人が変わらなければ、組織も変わらない。
でも、変わるべき立場の人が、最も変わらない。
それを待っていられるほど、自分の人生は長くも安くもない。
なので、わたしは、飛び出そうと思います。
その準備をしています。
価値を認め合える人たちと繋がりを持ちながら、
価値を高め合っていける、そんな生き方を目指して。
組織の「檻」の隙間から、外の世界をうらやむ。
それをやめて、檻の外へ。